源氏物語

源氏物語たより601

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     垣間見られてしまった尼君   源氏物語たより601

  源氏物語には「垣間見」の場面がきわめて多い。と言うよりも、当時は、物語構成上、垣間見は重要な要素を持っていたのかもしれない。恐らく現実の社会でもそれがごく当たり前のように行われていたであろうからである。

  源氏物語の『若紫』の巻は、『伊勢物語』の第一段を下敷きにしているとよく言われる。『伊勢物語』第一段はこんな概要である。  ある男(在平業平)が、自分の元服を意義あらしめるためか、奈良に領地があったのでそこへ狩に行く。すると、こんな侘しい里に女姉妹(はらから)が住んでいるではないか。男は、この女姉妹を
  『垣間見てけり』
ということで、歌を詠んで贈る。昔男の「いちはやき(激しい)」雅心を、垣間見を通して描いたものである
 
  『落窪物語』も、垣間見によって物語は大きく動いていく。この物語の男主人公である右近少将が、供人から苦境に陥っているという落窪姫の話を聞き、興を覚え、ある晩この姫を垣間見することにした。少々長いがその場面を抜き出してみよう。
  『(供人が少将を)格子の間(はざま)に入れ奉りて・・君(少将)、見給へば、消えぬべく(消えそうに)火ともしたり。几帳、屏風殊になければ、よく見ゆ。向かひゐたるは阿漕(あこぎ 供人の妻)なめりと見ゆ。容態、頭つきをかしげにて、白き衣、上につややかなる掻練(かいねり)の衵(あこめ)着たり。
  (物に)そひ臥したる人あり。君(落窪姫)なるべし。白き衣の萎えたると見ゆる着て、掻練のはり綿(綿入れ)なるべし、腰より下(しも)に引き掛けて、側みて(そばみて 横を向いて)あれば、顔は見えず。頭つき、髪のかゝりば、いとをかしげなりと見るほどに、火消えぬ。口惜しと思へど、ついには(しまいには見ることができるのだ)と思しなす』
 
  この場面、何か源氏物語の『空蝉』の巻を想起させないだろうか。あの時の源氏も格子の隙から、空蝉と軒端荻が碁を打っているところを垣間見ている。ともに二人の女を同時に見ているし、本命の女(落窪姫と空蝉)は横向きなのでよく見えないところも似通っている。また、『空蝉』の場合は、格子に立てた屏風が押し畳まれ、暑いためか几帳の帷子(カーテン)が横木に打ち掛けられているので、部屋の中が丸見えであった。しかも火を近く灯していたのでさらに室内がよく見える。
  『母屋の中柱に側める人や、我が心掛くる(思いを掛けている空蝉)と、まず目留め給へば、濃き綾の単襲(ひとへがさね)なめり』
  二つの物語は、まるで同じような情景を描き出している。『落窪物語』の方が源氏物語よりもやや先にできているので、紫式部が落窪物語を剽窃した?

  源氏物語の垣間見で有名な場面を上げてみよう。
   ① 『空蝉』の巻、源氏が、空蝉と軒端荻が碁を打つところを垣間見る
   ② 『若紫』の巻、源氏が、紫上とその祖母の尼君を垣間見る
   ③ 『野分』の巻、夕霧が、紫上を垣間見る
   ④ 『若菜上』の巻、柏木が、蹴鞠の日、偶然女三宮を垣間見る
   ⑤ 『椎本』の巻、薫が、宇治八宮の娘姉妹が琴と琵琶を弾くところを垣間見る
   ⑥ 『宿木』の巻、薫が、超長時間、浮舟を垣間見る
  この他、几帳のほころびや屏風の上、あるいは家具の後ろからなどの垣間見を入れればきりがないほど上げることができる。

  さて、ここでは②の場合を見ていってみよう。
  源氏は、わらは病の治療のために北山の験ある聖を訪ねる。加持の合間に、庵から外に出て周囲を眺めると、眼下に清らにしなした僧坊が見える。供人に聞いてみると、某僧都がこの二年間、その僧坊に籠っているのだという。しかもそこには女の姿も見えるではないか。供人たちは
  「まさか、僧都たるもの、自分の僧坊に女を引き入れるなど・・」
と騒ぎ出す。もちろん源氏も好色心を抑えることができない。
  その日は、聖の僧庵に泊まって行くことになったが、日も長い季節なので、つれづれである。源氏は、供人を僧庵に帰し、惟光と二人だけで、先ほどの僧坊の小柴垣のところに出かけていく。そして
   『惟光の朝臣と覗き給へば、ただこの西面にしも、持仏すゑ奉りて行ふ(人は)、尼なりけり。簾垂少し上げて、花たてまつるめり。中の柱に寄りゐて、脇息の上に経を置きて、いと悩ましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず』
  有名な場面である。しかし、読者の関心は、少女が
  『雀の子を犬君(いぬき)が逃がしつる。伏籠の中に籠めたりつるものを』
と騒ぐ光景にばかり行ってしまうのではなかろうか。そのために尼君の影は薄くなってしまう。
  ところが、考えてみれば、尼君たるものが、これほどあからさまに男に垣間見されてしまうというのも、不思議なことなのだ。したがって少女への関心とともに、尼君のことももっと詳しく見てみなければいけないのである。
  源氏の目は尼君をなめまわしている。
  『四十余(よそじあまり)ばかりにて、いと白うあてに、痩せたれど、つらつきふくらかに、まみの程、髪の美しげにそがれたる末も、なかなか(かえって)長きよりも、こよなういまめかしきものかな、とあはれに見給ふ』
  顔色が大層白く品があり、痩せてはいるけれども頬の所はふっくらとしている、それに目元は涼やか、髪が美しくそがれていて、その末の短さが、かえって今風(華やか)である、と、そこまで露わに源氏に見られてしまったのである。
  そして最後の「あはれ」は、単に「しみじみとした趣がある」と解しては浅い。男(源氏)の心をしっかりと捉えて離さない魅力があると解するべきである。
  いくら尼とはいえ、ここまで垣間見られていいのだろうか。この尼君には油断があったと言わざるを得ない。それはどこから来たのであろうか。
  一つには、まさかこんな北山の僧坊に人が訪ねて来るとは思ってもいない気の緩み
  二つには、僧坊であるから、女がいるとは誰も思わないだろうという安心感
  三つには、自分は尼であるから人の関心を惹き、見られるようなことはないという思い
などが上げられる。それが油断に結びついたのだろう。
  ただ、たとえ尼であっても人にここまで見られてしまうことは、あってはならないことである。
  江戸小咄にこんな話がある。
  ある町内の男どもが集まって、どんな女が一番魅力的かの話になった。まず最初に上げられたのが「尼さん」なのである。次いで、おぼこ、年増・・そして彼らの結論は、「やはり後家が好い」ということになった。
  この話を後ろの方で聞いていた男、内心でこう思う。
  「そんなに後家さんっていいものなのか。だったら俺の女房も早く後家になればいい」
  江戸小咄のブラックユーモアである。
  いずれにしても、尼さんも男の好き心をいたく揺するのだ。先に源氏が、尼君を「あはれ」と見たのも、同じことである。ましてこの尼君は、「肌えの白さ」や「目元の涼やかさ」や「頬の豊かさ」まで見られてしまい、尼そぎの髪が普通の長い髪よりも「いまめかしく(華やかに)」感じ取られているのだ。性を離れた尼僧とはいえ、男は決してそうは取らないのである。
  この源氏の尼君垣間見の感覚は、碁を打っていた軒端荻を源氏が垣間見た時の感覚に通じている。軒端荻の姿は源氏にこう映っていた。
  『小袿だつもの、ないがしろに(いい加減に)着なして、紅の腰(紐)引き結へる際まで、胸あらはにぼうぞくなる(だらしない)もてなしなり。いと白うをかしげに、つぶつぶと肥えて・・頭(かしら)つき・額つき、ものあざやかに、まみ・口つき、いと愛敬づき、華やかなるかたちなり』

  ところで、垣間見では、髪が集中的に描かれることが多いのだが、それにはそれなりの理由がある。当時女は、男に顔を見せないためにさまざま防御の工夫をした。御簾、壁代(カーテン)、几帳、屏風、扇子などは彼女らの防具でもあった。それでも叶わぬ時は、自分の衣の袖で顔を隠した。
  几帳や屏風越しに見えるのは、髪の毛である。そこで自ずから髪の描写が多くなるというわけである。
  顔は見えない。まして頬や口元や目元などは容易なことでは見ることができない。柏木が女三宮と契った翌朝、彼女を強引に明るいところに引き出したのは、彼女の顔をよく見ようと思ったからである。
  『(女三宮を)かき抱きて(部屋から)出づるに・・まだ明けぐれのほどなるべし。ほのかに見たてまつらんの心あれば、格子を引き上げて・・』
  攻防あい争って、女も必死、男も必死なのである。

  ところが、無防備なことに、尼君は、源氏に完膚なきまでに見られてしまった。この後、例の僧都が尼君の所にやって来て、こう注意する。
  『こなたは、あらはにや侍らむ。今日しも端におはしましけるかな』
  「今日しも」とは、源氏様が来ていられる今日に限って、ということである。「いくら尼僧でも、簾垂を上げたままでいるとは」・・と、僧都は咎めたのである。さすがに尼君は慌てる。
  『「あな、いみじや。いとあさましき様を人や見つらん」とて簾垂下しつ』

  それでも、さすがに十八歳の源氏の関心は、尼君から、「雀の子を」と大騒ぎしている十歳ばかりの快活な少女に移って行く。その子が可愛かったこと、将来性豊かだったことが源氏の心を惹きつけたことは勿論であるが、もっと重大な意味をこの少女は持っていた。
  『かぎりなう心を尽くし聞こゆる人に、いとよう似たてまつれるが、まもらるゝなりけり』
  「まもらるゝ」とは、目を離さずにじっと見守ることである。源氏が、全身全霊心を尽くして愛している藤壺宮に、少女が瓜二つだったからである。

  源氏の垣間見によって、この少女は継子の悲劇を味わうことなく済んだ。また、右近少将の垣間見によって、落窪姫は継子の苦境から救い出された。尼君の不注意を咎める前に、垣間見の持つ重大さを、我々は見落としてはならないようである。



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