源氏物語

源氏物語たより602

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     “もし”が許されるならば  源氏物語たより602

  歴史の話などをしている時に、すぐ始めるのが「もし、あの時・・だったら」である。そして勝手気ままな結論を導き出してはその場を楽しむ。
  「もし、明智光秀が本能寺の変を起こさなかったら、秀吉の天下はなくて・・」
  「もし、高杉晋作や久坂玄瑞が維新まで生き残っていたら、日本の近代は大きく変わっていたことだろう。少なくとも伊藤博文が総理大臣になることはなかった・・」
  個人的にも
  「もし別の女性と結婚していたら・・」
  「もし別の道を歩んでいたら・・」
などと考えることもよくあるのではなかろうか。現実はそうではないのだから、妄想にすぎないのだが、でもそう考えてみるのもまた楽しいことであるのも確かである。

  古語に「まし」という言葉がある。しばしば「ましかば・・まし」の形で使われる。
  この言葉は、「事実に反する状態を仮設して,想像する意を表す」(『古語辞典』角川書店)で、これを「反実仮想」と言う。『帚木』の巻に
  『昼ならましかば、覗きて見奉りてまし』
という文が出て来る。光源氏が、紀伊守の邸に方違えに行った時のことである。その夜、源氏は床に就いたが眼が冴えてなかなか眠れない。すると、障子の向こうから、空蝉とその弟(小君)の話し声が聞こえてくるではないか。やおら立ち上がった源氏は、その話に聞き耳を立てる。小君が
  「美しいと評判の高い源氏さまのお姿を拝見しました。本当にご立派でしたよ」
と姉に話しかけている。そう聞いた空蝉が、先の言葉を言って布団をかぶって寝てしまう、という場面である。
  『昼ならましかば、覗きて見奉りてまし』
  「昼間だったら覗いて見たかったけど、でも今は昼ではないので、見ることはできない」という意味である。もっとも、この後、逆に空蝉は源氏にあらわに見られてしまうばかりか、犯されてもしまうのだが、それは夜であったからである。
  こんな例もある。源氏の四十の賀が紫上主催のもとに華々しく取り行われた。源氏は、その様を見ながら、かつて身を切るほどに愛した藤壺宮のことを思い出し、こう述懐する。
  『故入道の宮(藤壺)、おはしませば、かかる御賀など、われこそ進み仕うまつらましか』
  「宮が御在世でいられたら、紫上が私のために華々しく四十の賀を挙行してくれているように、私も宮のためにして上げていたはずなのに(そうすれば自分の切なる気持ちや感謝の情を知っていただくことができたのだ)」ということなのだが、宮は今は亡き人なのだ。いかんともしがたい。それでも仮想せざるを得ない、まさに「反実仮想」である。

  もう一つ例を上げておこう。『蜻蛉』の巻である。浮舟が宇治川に投身自殺したことを知った薫が、宇治を訪れ、この投身事件に深くかかわった女房の右近を呼んで、事ここに至ってしまった事情を詳しく聞く。彼女の投身自殺が、匂宮と自分との愛の間(はざま)で悩んだ結果であることを知った薫は痛く後悔する。
  『わが、ここ(宇治)にさし放ち、すゑざらましかば、いみじく憂き世に経(へ)とも、いかでか・・深き谷をも求め出でまし』
  「私が、こんな宇治の山の中に浮舟を隠すようなことをしなかったら、身投げをすることもなかったのに」ということだが、後の祭りである。彼は何をすることもできずに京に帰って行くしかなかった。そしてそこでまたこう嘆く。
  『(浮舟が)あらましかば、今宵、(京に)帰らましやは』
  「しかし、彼女はもうこの世にいないのだから、今夜は京に帰らざるを得ない」のである。結局、薫の宇治行は、悔恨と悲嘆と煩悶の交錯に終わった。

  『源氏物語』には、反実仮想をしてみると面白いと思われる場面が数知れず存在する。
  「葵上がもし死なずにいたら・・」
  「惟光の母の病を源氏が見舞った時、もし門に錠が鎖されていなかったら・・」
  「源氏が自ら須磨に流れて行かなかったら・・」
  ・・
  でもこれらを突き詰めて考えていくと、もう物語の体をなさなくなってしまう。やはり葵上は死ななければならなかったし、あの門の錠は鎖さっていなければならなかった。また源氏が率先して須磨に流れて行ったのも、物語の必然であった。それぞれそれしか源氏物語を進めていく方法はないのだから。あらためて紫式部の構想力の巧みさ、したたかには舌を巻く。

  それでも懲りずに一つだけ反実仮想をさせてもらおう。
  源氏は、わらは病の治療のために北山に籠っている験ある聖を訪ねる。
  ここで、二つの疑問が湧いてくる。一つは、源氏は桐壷帝の寵児なのである。そんな人物がどうしてそう安々と北山まで出かけて行ったのだろうかということ。二つ目は、時の人であり隠然たる実力者である源氏の召しを、一介の僧に過ぎないものが断れるだろうかということ(もっともはっきり源氏とは明かしてなかったようではあるが)。
  実は源氏は最初から北山に聖を訪ねたのではない。ある人が
  「北山に験ある聖がいるので、見てもらえばいい。こじらせては大変なことになるでしょうから」
と勧めたので、始めは聖を京に召し寄せたのである。ところが、聖は
  『老いかがまりて、室の外にもまか出ず(今では歳を取って腰も曲がってしまっているので、庵室の外にも出たことがない)』
と京に出て来るのを断ってきたのだ。仕方がないので、源氏の方からわざわざ北山まで出かけて行ったというのが事実なのである。
  それにしても、今を時めく光源の「召し」を断ることのできるというのは、この僧、相当な大物なのだろうか。確かにこの聖は、去年のわらは病流行の時には、人々の病を見事に治してしまった名医ではある。しかし、それほど身分のある人物とは考えられない。この聖に比べれば、後に登場する尼君の兄の僧都の方がはるかに位は高い。何しろ僧都は、僧正(大僧正、僧正、権僧正がある)に次ぐ高い身分なのである。源氏もこの僧都のことを
  『心はづかしき人』
と言っている。「こちらが恥ずかしくなるほど立派な人」という意味である。
  一方、聖は、大徳(徳が高く行いの清い僧)に過ぎない。恐らく身分や名誉欲などに拘らない修行一筋の人なのであろう。それにしても源氏の招請を断るなどあるのだろうか。
ということで、つい反実仮想をしたくなってくるのである。
  「もしこの時、聖が源氏の申し出を断わらず、素直に京に出てきたら、一体どういう事態が発生するだろうか」
 
  まずは、紫上を垣間見ることができなくなる、という誠に重大な問題を惹起することになる。そうなると、源氏の生涯の伴侶がいなくなってしまう。あるいは、六条院の女主には「花散里」でもなることになるのかもしれないが、源氏物語はこじんまりしたものになってしまう。まさか「末摘花」がなるとは思えないから、「朝顔」あたりが最有力候補となるのかもしれないが、朝顔の方で首を振らない。 
  となれば、皇統の姫君をどこからか探してくるしかなくなる。でもそうなると、女三宮の降嫁の話はなくなり、紫上の苦しみもなくなる。つまり『若菜』の巻上・下そのものが存在しなくなるということである。それではあの緊張感あふれるこの物語最高の山場の巻を味わうことができなくなってしまう。
とにかく紫上あっての源氏物語なのである。

  そればかりではない、眼下の風景を眺めながら供人たちと笑いあったあの明石入道も登場しなくなるのだ。それは明石君も存在しないことに繋がるし、明石姫君などはこの世に生まれてもこない。また、明石姫君が中宮になることもないのだから、あの匂宮も存在せず、宇治十帖そのものがないということになってしまう。

  そんな馬鹿なことを考えたって仕方がないではないか、と思う人もいるかもしれないが、案外こんなことを考えていると、源氏物語の意味の再発見や思わぬ価値を探し出すことができるかもしれないのだ。
  少なくとも物語上最重要人物である紫上が、こんな些細な「ことのまぎれ  (ごたごたとして想定外のことが起きること)」あるいは「違ひ目(たがひめ 行き違い)」から登場するようになったのかと考えると、それだけで面白いではないか。また、宇治十帖が、北山の聖に淵源していたのかと思うと、源氏物語の壮大さを改めて感じ取ることができるというものである。
  これも偏にあの聖が
  『老いかがまりて』
庵の外にも出れなかったが故である。
  実はこの聖、源氏にとってはもう一つの幸せを招いているのである。
  『御物の怪など、加はれるさまにおはしましけるを。今宵は、なほしづかに加持などまゐりて(明朝京に)出でさせ給へ』
と、一夜の山泊りを勧めているのである。
  でも、もう「もしこの一泊がなかったら・・」などとは言うまい。ただこれも「ことのまぎれ」であり「違ひ目」の一つと言えなくもない。

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