源氏物語

源氏物語たより603

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     笛の音は流れて   源氏物語たより603

  北山の験ある聖にわらは病の治療をしてもらった翌日、光源氏は山を下りることにした。すると頭中将などの若き公達があまた勢揃いして、山まで源氏を迎えにやって来る。そして源氏に対してこう不平を言う。
  『かやうの御供は仕うまつり侍らん、と思ひ給ふるを、あさましくおくらかさせ給へること』
  「こんな山路の旅ならぜひともお供しようと思っていたのに。私たちをすっかり置いてきぼりにして・・」という意味で、京の街中の桜はすっかり終わってしまっているが、山の桜は今も盛んに咲いている。こんな素敵な外出だというのになぜ黙って出かけてしまったのかと憤っているのだ。
  そして、岩がくれの苔の上に席を設けて盃が回り始める。と、頭中将が
  『懐なりける笛取り出でて、吹きすましたり』
と遊びまで始まってしまった。笛ばかりか、篳篥(ひちりき)や笙まで飛び出してくる。さらに例の僧都(紫上の祖母の兄)が、琴を取り出して、源氏に一曲所望するという始末である。源氏は
  「気分がすぐれず、耐え切れないでいるというのに」
と不平を言いながらも素晴らしい演奏をする。
  彼らは、源氏の病などは口実で、とにかく一緒に大騒ぎして遊びたかったのだ。

  『末摘花』の巻にも笛が登場する。源氏が内裏からの帰り道、末摘花の邸に寄って、彼女の唯一の得意・琴をほのかに聴く。さて邸から退散しようとすると、誰かが自分の行動を見張っているではないか。勿論頭中将である。彼は、内裏を源氏と一緒に退勤したのに、妙なところで車を止めたもので不審を覚え、後を付けて見張っていたのである。源氏はこっそり彼から離れようとするが、見つかってしまう。そして互いに
  「どうして私を置いてきぼりにしたのだ」
  「思いも寄らぬことをしないで欲しい」
と文句を言い合うが、結局、
  『一つ車に乗りて、月のをかしき程に雲隠れたる道の程、笛吹き合わせて大殿(左大臣、葵上)におはしぬ』
ということになってしまう。二人は良きライバルであり友でもあるので、こうなるのも当然であろう。ここで気になるのが、「笛を吹き合はせて」ということで、彼らは内裏からの帰りで、いわば公務退出時なのである。事故でもあれば通勤保証は出ない。にもかかわらず、二人とも笛を携えていたということがなんとも不謹慎に思われて仕方がない。もちろん公務は終わっているのだから勝手とはいえ、これでは公務も疎かになるのではなかろうか。
  ことほど左様に、平安の男どもは誰もみな笛を懐に入れていたようである。

  『枕草子 218段』は、清少納言がいろいろな楽器についての印象を語った段である。最初に取り上げられているのが「笛」で、少々長いがなかなか情趣溢れる文章なのでそのまま上げてみよう。
  『笛は、横笛いみじうをかし。遠うより聞こゆるが、やうやう近うなりゆくもをかし。近かりつるがはるかになりて、いとほのかに聞こゆるもいとをかし。車にても、徒歩よりも、馬にても、すべて懐にさし入れて持たるも、なにとも見えず、さばかりをかしきものはなし。まして聞き知りたる調子(曲)などは、いみじうめでたし』
  前半の部分などは、子供の頃の村の鎮守の祭りを思い出させる。実家が神社に近かったので、太鼓の音ははっきりと聞こえてくる。心を弾ませて神社に行くにつれ、笛の音が聞こえてくる。あの「あはれ」の情は、未だに記憶に鮮明である。また、この部分は、ベートーベンの「田園」を思わせる。雷鳴が近づき、やがて遠ざかって行く情趣である。
  後半の部分に「すべて懐にさし入れて持たる」とある。懐に入れて持っていると、笛というものはかさばらないから、持っていること自体よくは分からない、それが面白いと清少納言は言うのである。
  実はこの笛の文章の後に、篳篥が登場するが、これは「ところせく(大仰)」て、扱いにくいのでは、あれを吹いている者の顔を想像すると可笑しい、と言っている。確かに十七本もの管を突き立て、手元はパイナップルのようなごついものに吹き口が付いている。光源氏が,篳篥を吹いている様を想像すると、吹き出してしまう。清少納言が笛とは大きく評価の差を付けたのは当然である。但し、貴顕の者はこんな楽器は吹かないから安心である。「北山」の文章の中にも、
  『例の篳篥吹く随身』
とある。もう専門化していたのだろうが、それなりに彼らは重宝に使われた。
  枕草子の文章からしてもやはり当時は、笛は雅男(みやびお)必携のものだったのであろう。

  そう言えは、五条の橋の上で、弁慶と戦った牛若丸も笛を吹きながら橋を渡っていた。しかも女の衣装を頭から被って、と言うのだが、そもそも女はあまり管楽器はやらないし、すぐ男と知られてしまう。それに、暗がりの五条の橋を女が一人で歩くだろうか。しかも笛を吹きながら。多分この話は嘘であろう。
  もう一つ笛で有名な話を上げておこう。『平家物語』の「敦盛最後」の段である。
  圧倒な軍勢の源軍に負け戦を強いられた平家は、首を打たれあるいは散って行く。源軍の剛の者・熊谷次郎直実が「好き敵はないか」と見まわしたところ、繁藤の弓を持ち、連銭葦毛の馬に黄覆輪(きんぷくりん)の鞍をつけ、それに乗った立派な若武者が、沖の「たすけ舟」に向かって逃げていく。
  「敵に後ろを見せるとは。かえってまいられい!」
と扇で招くと、観念したのだろう、踵を返して直実のところに戻って来て、争いとなった。しかし、関東の荒武者の直実に勝てるわけもなく、無様に組み敷かれてしまう。
  直実がその若武者の顔を見ると、何とも美麗。しかも自分の息子・小次郎と同じ年恰好ではないか。首を掻くのもあまりに惨い。しかし、後ろには梶原や土肥の源氏の武者が雲霞の如くいる。助けるわけにもいかず、首を掻く。と、この若武者は
  『よろい直垂をとって、首を包まんとしけるに、錦の袋に入れたる笛をぞ腰にさゝれたる』
のであった。若く美麗で雅な若武者を自分の手にかけてしまった熊谷直実の悔恨たるやいかばかりであったろうか。あまりの惨さに人の世の無常を感じた熊谷直実は発心の思いが進み、やがて出家していく。
  もちろんこの若武者こそ、平経盛の子息・敦盛である。笛は祖父・平忠盛が鳥羽院より賜ったもので、そこから経盛に、そして敦盛が笛の名手ということで、祖父、父、孫と相伝されたものであった。それにしても如何に笛の名手とはいえ、戦場にまで名器を手放さずに持ち込むとは。凄まじいほどの風流心と執念には涙がこぼれる。
  紫式部や清少納言から、二百年近くも経った武士(敦盛はすっかり貴族化しているが)たちの中にも、笛を肌身離さず持ち歩いていた者がいたのである。
 
 源氏物語に戻ろう。
 桐壷帝は、源氏を溺愛するあまり、女御、更衣の部屋の御簾の内まで彼を連れて行って、彼女たちに自慢して回る。なんと源氏を蛇蝎の如く嫌っている弘徽殿女御の所まで連れて行くという有様。まして、帝の寵姫である藤壺宮の所では、
 「この子の母はあなたに大層似ている、嫌がらずに可愛がってあげてください」
とまで言う有様。もちろん宮の顔を直接見ることはできないが、時によっては、几帳のほころびなどからほの見ることもある。やがて源氏はこの宮にひどく魅かれていく。
  しかし、元服を境にして、女御・更衣の部屋に入ることは禁じられてしまった。源氏とすれば何としても宮に逢いたい、しかし逢えない。逢えないことでさらに思慕の念は燃え上がって行く。
  宮の面影をかすかに感じられるのは、管弦の時だけである。
  『大人になり給ひて後は、ありしやうに御簾の内にも入れ給はず。御遊びのをりをり、琴、笛の音に聞きかよひ、ほのかなる御声を慰めにて・・』
  最初の二つの例(北山と末摘花)は、のどかで可笑しみの笛であったが、これは深刻である。切ない思いを笛の音に乗せて何とか相手に伝わって欲しいと必死なのだから。源氏はこの時、十二歳。そんな幼い者の技量で、どこまで心を込めて吹き、自分の思いを笛に乗せられるというのだろうか。誠に心もとない努力なのだが、源氏にとってはこうする以外にない。
  ずっと後に、柏木の未亡人・落葉宮に対する夕霧の思慕の情も、笛を仲立ちにして一層深まって行く。

  嫋嫋たる笛の音を戸外で吹いたり聞いたりすることなど全くなくなってしまった現代だが、それがために人としての深みや味がなくなってしまっているかもしれない、と思わないでもない。

  (腰を痛めてしまったために、パソコンを長く操作できず、推敲もおろそかなものになってしまった)
  (関連文章  「たより101」、「たより254」)


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