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源氏物語

源氏物語たより607

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     光源氏の罪の意識のほど   源氏物語たより607

  光源氏が、北山にわらは病の治療に行った夜、最前、山の上から見ておいた瀟洒な僧坊に住む僧都から
「一夜の宿をわが坊で・・」
という申し出を受け、僧都の所に泊まることにした。
  その夜、この僧都から、この世が無常であることやあの世の素晴らしいこと(あるいは恐ろしい話)などさまざまな法話を聞いた源氏は、ひどく感激するとともに、自らの罪について深く考えさせられる。
  『我が罪のほど恐ろしう、あぢきなきことに心を占めて、生ける限りこれを思ひ悩むべきなめり。まして後の世のいみじかるべきこと思し続けて・・』
  彼が言っている「罪」とは、もちろん藤壺宮との不義に関することである。彼が言うまでもなく、この不義は誠に罪深いことで、凡人のありきたりの不倫話とは質が違う。なぜなら、藤壺宮は、源氏の父・帝の妃であるばかりか、父帝が飛び切り寵愛している妃なのである。しかも当然のことながら宮は、源氏にとって「義母」に当たる。
  これ以上の罪があるだろうか。日本の歴史上にもないという(というのは、後に二人の間に生まれた不義の子・冷泉帝が、両親の秘密を知って古今の書物を調べた結果、そんな例は一つもなかったと言っているから事実なのであろう ~『薄雲』の巻~)。
 
  源氏としても、この不義については深刻な恐れを抱いていて当然のことである。そのために僧都の話を聞き、
  「どうしてこんな定めない世だというのに、無益な恋に心を悩まさなければならないのか」
と胸に痛く応えたのだ。特にあの世の話は恐ろしい。焦熱地獄に落ちるのかあるいは阿鼻叫喚地獄か。だから、藤壺との不義は「生きているかぎりの恐ろしい悩み」になると思うのもまた当然である。そこで彼はしみじみこう思う。
  『かやうなる住まひもせまほしう思え給ふ』
  「かやうなる住まひ」とは、人間としての愛欲や物欲を離れた僧都のような澄み切った生き方のことである。端的に言えば「出家する」ということで、自分の罪の深さに強い恐れを抱き、俗世を捨てるという覚悟であり、これは誠に殊勝な心がけと言わなければならない。

  ところが、この「出家したい」と言う舌の根の乾かぬうちに、こう続いていくのだから、また驚くしかない。源氏という男は,どうも一筋縄では測りかねる男のようである。
  『・・せまほしう思え給ふものから、昼のおもかげ心にかかりて恋しければ・・』
  「昼のおもかげ」とは、若紫(後の紫上)のことである。
  昼間、山の上から見た僧坊が気になった源氏は、惟光と共に小柴垣を透かして垣間見をする。そこで見たのが
  『つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみじううつくし。ねびまさりゆかむさまゆかしき人』
である。
  源氏は五戒のうちの「不邪淫の戒」を犯している。僧都の話によってその行為を痛く反省させられた、と思っていたら、なんと直後には女のことを頭に浮かべているのだから驚くしかない。「(思え給ふ)ものから」の「ものから」が効いていて皮肉である。
  のみならず、この後、僧都にその少女と結婚することを許してくれるよう願い出るのだ。彼が、若紫と結婚したいと思ったのは、彼女の容貌の愛らしさや、将来が期待できる素質の持ち主だからではない。その少女が
  『かぎりなう心を尽くし聞こゆる人に、いとよう似たてまつれる』
からである。あの不義を犯した人に、この少女がこの上もなくよく似ているから、結婚したいというのである。
  なんという不遜であろうか。これでは「出家したい」と言うのも空言ということになってしまう。もっとも源氏は今後ともしばしば「出家したい」と言っているから、「出家」は彼の口癖であり、空手形にすぎないのだが。
  彼には地獄の恐れなど微塵もなかったようである。かぎりなう心を尽くし申している藤壺宮との逢瀬はそう簡単なことではない。そこでこの少女を宮の形代としたいと考えのだから罪は深い。これでは機会さえあれば、再び藤壺宮と不義を犯しかねない。僧都の説法を聞いた時のあの反省は、全くの当座の罪逃れであり、自己韜晦(とうかい)に過ぎなかったのだ。

  この翌朝、法華三昧を行うお堂から、懺法(せむぽふ)の声が山おろしと滝の音に乗って聞こえてくる。「懺法」とは、「罪過を懺悔する経典」のことで、それが源氏の耳に誠に尊く聞こえてきた。そこで、源氏は僧都に次の歌を詠いかける。
  『吹き迷う深山下しに夢醒めて 涙もよほす滝の音かな』
  「吹き迷う深山下し」は、源氏が女性に心迷わせている心境を言っているのかもしれない。その迷いの夢が、今「懺法」の声を聞いたことによって、その罪に目覚めて、しみじみと涙をもようされました、という意味であろう。ここでまたまた彼は深い反省の境地に至ったのである。しかし、僧都は、源氏の浅い懺悔の心境を喝破する。
  『さしくみに袖濡らしける山水に すめる心は騒ぎやはする』
  「さしくみに」とは、「いきなり」という意味で、あなたは滝や深山下しの音にいきなり涙されるとおっしゃいますが、この山に住んでいる(心の澄んでいる)私などは、そう簡単に山水の音に心動かすなどということはありません、とチクリ刺したのである。というのは、山に登ってきて始めて見る幼い少女に、いきなり心動かすなどという煩悩の持ち主は「目が覚める」も「澄める心」もないのである。そこで「あなたとはわけが違いますぞ」というわけである。

  ところが、例の通り源氏は僧都の皮肉などには少しも動じなかった。明け行く空の色や鳥の声、あるいは鹿のたたずみ歩くさまに心を奪われるのである。煩悩熾烈な源氏には、僧都の説法も返歌も、何の意味も持たなかったのだ。わらは病こそ治ったようであるが、これではこの少女との将来も、また藤壺宮との関係も誠に怪しいものと言わざるを得ない。

  源氏の「罪の意識の薄さ」については、「たより260」で触れたところであるが、あの時は、朧月夜(朱雀帝の尚侍)との密会が露顕して、須磨に流れて行った時の源氏の罪意識の薄さに就いて述べた。明らかに「帝の寵姫と不義を働く」という重罪を犯しているにもかかわらず、
  『我は春日の曇りなき身』
と頭中将などに向かって明言したり
  『犯せる罪のそれとなければ』
と八百(やほ)よろづの神に豪語したりしている。源氏には罪の意識が極めて薄いようである。

  それに不思議なことには、あれだけ罪を犯しておきながら、彼は生涯その報いは受けていない(女三宮と柏木の不義をその報いという人があるが、私はそうは思わない)。
  しかしそれゆえに、人間のどうにもならない煩悩というもののあり方を源氏が象徴的に見せてくれていて面白いのだが。そもそも北山の僧都の話に発奮した源氏が、あの場で出家していたら源氏物語は存在しないのだ。この調子で行くと、光源氏が阿鼻叫喚地獄で喚き騒ぐ姿はまず見ることは出来ないであろう。


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