スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←源氏物語たより608 →源氏物語たより610
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより608】へ
  • 【源氏物語たより610】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

源氏物語

源氏物語たより609

 ←源氏物語たより608 →源氏物語たより610
     『末摘花』の巻の読後感   源氏物語たより609

  『末摘花』の巻の読後感は、どう贔屓目に言っても爽やかではない。むしろ何回か読むにつれて、「爽やか」どころか不快感を覚えてしまう。これは他の巻にはない感覚である。なぜであろうか。
  その大きな要因は、作者に末摘花に対する優しさや情が欠落しているということにあると思われる。作者は、末摘花に対して何か悪意や敵意でも持っているようで、徹底して虚仮にし、笑い飛ばし、毒づいている。読み始めた頃こそ「面白い話」と思ったのだが、その執拗なまでの虐めが、私に不快感をもようさせてしまうのだ。
  後に登場する源典侍や近江の君も、異常なほどの滑稽で非常識なパーソナリティ―を持っている。そのために登場人物や読者に笑い飛ばされる。しかし、これらの人物に対しては、作者に温かな情と余裕のある思いやりがあるためであろう、微塵も不快感を感じさせない。いずれも楽天的で明るくへこたれない強さを持った人物として創りあげられているので、呆れながらも楽しんで読むことができる。
 
  ところが、西郷信綱は『源氏物語を読むために』(平凡社)の中で
  「末摘花に関する物語は明らかにこうした「をこ」の伝統を踏まえ、それを取り込んだものだが、その奇想において、またそれが実現されて行く過程の面白味において、これは色好み滑稽譚の傑作というにはばからない」
と言っているのだが、私にはこの巻が「滑稽譚の傑作」とはとても思えない。西郷はこの巻を何度も読んでいるのだろうか、疑問に思えて仕方がない。
  ところでここにある「をこ」は、漢字では「痴、烏滸、尾籠」などと書き「おろかなこと、たわけ、ばか」という意味で、西郷は、『今昔物語』や『平中物語』の「をこ」の話を引いて、「末摘花」物語と比較しているのだが、末摘花自身が「をこ」であると言っているわけではない。信じられないほどの不器量で生活感がなくセンスのかけらもない女(末摘花)に翻弄される光源氏を「をこ」と見ているようである。
  いずれにしても、今昔物語や平中物語のように、心から笑える話ではないことは確かである。

  この巻には、物語を面白くするために誇張や無理が多く、自ずから矛盾も多くなっている。それもまた好感を持てなくしている要因になっているのではなかろうか。
  この物語は、源氏の乳兄妹である大輔の命婦が、源氏に末摘花を紹介するところから始まる。命婦は、自分の父親の所(実母は再婚していて、父の所には継母がいる)に行くよりも末摘花の邸に行くことの方が多いようで、自分の部屋さえ持っている。つまり末摘花のことは何事も熟知しているわけである。にもかかわらず源氏に紹介した時にこう言っている。
  『(末摘花の)心ばへ・容貌(かたち)など、深き方はえ知りはべらず』
  これはどう考えてもおかしい。この冒頭の部分にすでに無理がある。天下無双の源氏様に、なぜ天下最低と熟知している女性を紹介しようとしたのか、命婦の意図が理解できない。恐らく末摘花の極貧を救ってあげようという善意から出ているのかも知れないが。
  さらに、命婦は、源氏と末摘花の関係を
  『心にくくもてなして止みなん(奥ゆかしい女性と思わせる程度で終わらそう)』
とも思っているという。これもありえないことである。なぜなら彼女は、源氏に直接こんなことまで言っているのだから。
  『うへの「まめにおはします」と、もて悩み聞こえさせ給ふこそ、をかしう思う給へらるる折々侍れ』
  「帝が、あなた様のことを「真面目すぎて困る」とおっしゃっているのを聞くと、ちゃんちゃら可笑しくって」という意味である。それほど衆人周知の好色な源氏が、どんな女性であれ「心にくくもてなし」ただけで終わるはずはないではないか。 

  さらにおかしいと思うのは、源氏が、末摘花の所に何度も通うようになって随分久しいというのに、彼女が痩せ痩せであることや鼻が高いこと、顔や胴が長いことがなぜわからなかったのかということである。もちろん、寝殿造りは内部が真っ暗闇で、容貌などは良くは見えないだろう。しかし、痩せているか胴長であるか鼻や顔が長いかなどは、同衾すればすぐわかることである。にもかかわらず、最初に会ったのが八月だというのに、雪の季節になるまで、そういう事情が分からなかったという。源氏は閨で何をしていたのだろうか。
  雪のあした、末摘花を見た時の源氏の呆れようについては、今更ここに述べることはやめよう。この姫君をこよなく愛していた故常陸宮に対しても失礼に当たるから。
  また、黒貂の衣を着ていたというのも信じ難いことである。源氏は、彼女の貧窮を見て生活面の援助は限りなくしているはずである。特に衣料関係などは有り余るほど支給しているのではなかろうか。それにもかかわらず寒いからと言って、父親譲りの貂の皮衣を源氏の前で着るなどということはあり得ない。この頃は、源氏の支援によって生活に余裕が出てきたはずだ。それゆえに、後に源氏が須磨に退去して以来、彼女の所に通わなくなった時の、『蓬生』の巻の極貧の生活とのギャップが際立つのである。
  その他にも無理や矛盾は、上げればきりがないほどある。

  作者は、末摘花の肢体や容貌の醜さ、あるいは極端な無口や世間離れを俎上に上げるばかりではない。彼女のすること為すこと全てに嘲笑と軽侮と冷笑を浴びせる。もういい加減にしてあげたらと思うのだが、とことん許さず、彼女の非常識やセンスのなさをほじくり出し暴き出す。まるで窮鼠を追い詰める猫の如くに、である。

  そしてその冷酷さはこの巻の最後にまで至る。
 正月を前にして、二条院の女性方は、源氏の晴れ着にと、さまざま趣向を凝らし腕によりをかけて作り、贈る。末摘花は、源氏に衣を贈れるような状態にないのだからやめればいいのに、人情に篤い昔気質のところがあって、命婦を介して衣と手紙を源氏に贈る。命婦は初め手紙だけを源氏に見せる。そこにはこうあった。
  『から衣 君が心のつらければ 袂はかくぞそぼちつつのみ』
  「あなたが訪ねてもくれないので、私の衣はこのように涙で濡れっぱなしです」と言う意である。源氏は「かくぞ」という言葉に不審を抱く。そこで、命婦を問い詰めてみると、果たして源氏の正月用の衣も一緒に贈られていた。その衣は
  『今やう色の、え許すまじく艶なう古めきたる、直衣の裏表ひとしう、こまやかなる、いとなほなほしう、つまづまぞ見えたる』
ものであった。文章に分かりにくいところがあるが、要は、艶もなくなった古めかしい衣で、仕立ても野暮ったい、とても身分ある源氏が着るようなものではないということである。命婦はあまりにもひどい衣だったので、最初は源氏に見せるのを憚っていたのだ。
しかし、いくらセンスがないとはいえ、彼女の家には、侍従と言う気の利いた女房もいるわけである。「源氏様への贈り物」というのだったら、最善の配慮をもって「こんなに古めかしい物でないものを」と助言したはずである。でもまあ、それは事情があったのだと許すことにしよう。許せないのはそれを見た時に源氏が詠った歌である。
  『なつかしき色ともなしに なににこの末摘花を袖に触れけん』
  「別に心惹かれる女でもないのに、どうして私はあんな赤鼻の女にかかわってしまったのだろうか」という意味である。あまりの侮辱ではないか。全てが源氏の好色から出ているのだというのに、彼女の赤い鼻ばかりを咎める。
  もっとも許せないのが、その歌を
  『をかしと思う』
という命婦の反応である。末摘花の援護者であるはずの命婦までが、彼女を虚仮にし出している。さらにその翌日、内裏に来て「花の赤い梅」とうそぶく源氏のおふざけに対して、命婦は、
  『寒き霜朝に、かいねり(練り絹の衣)好める鼻の色あひや、(源氏に)見えつらむ』
と、にやにやするのである。源氏共々末摘花の鼻の赤さを嘲弄しているのである。これは許せることではない。
  しかも先にこの命婦は「末摘花の容貌などは良く知らない」と言っていたが、ここでそのウソもばれてしまった。 
  もうこのあたりで、末摘花いじめの例示はやめておかなければならないのだが、この巻の最後を省略するわけにもいかないので、あえて上げることにしよう。
  源氏は、二条院に戻って紫上と絵を描いて遊ぶ。そのうち源氏は髪の長い女(末摘花の唯一の美点はこの長い髪)の絵を書き、その女の鼻に紅を塗る。そして紫上に
  『まろが、かくかたはなりなん時、いかならん』
と聞く。紫上は
  『うたてこそあらめ』
と即答える。もちろん彼女は末摘花の鼻のことなど知る由もないのだが、源氏の鼻のてっぺんがこんなに真っ赤になっては「うたて(嫌だ)」と思うのは当然である。源氏は幼い若紫まで巻き込んで末摘花を愚弄しようとしているのである。

  ここまで末摘花を愚弄する作者の意図は一体何なのか。今では想像の域を出ないのだが、恐らく、時、所、情況を弁えることもできず、センスもない、そして物の情趣も理解できない、いわば「あはれ」とは無縁であるような女性に対して、作者は、前世からの宿敵のような思いを持っていたのではなかろうか。そういう人物は徹底して許そうとしないのかもしれない。源氏物語を貫く「あはれ」の思想とは対極にある存在として末摘花と言う人物を創造したのだろう。が、それがあまりにも極端に走りすぎ呵責ないものになってしまった。

  『蓬生』の巻では、末摘花が一変する。愚弄されることもなく、むしろ好ましい女性に変身している。それは、『末摘花』の巻であまりにも末摘花を虐め過ぎてしまったことへの作者の良心の呵責ではないだろうか。でもそのことで、『末摘花』の巻の不快感が、若干でも緩和されるのが救いである。
 
  とにかく執拗なほどの嘲弄、侮蔑の上に、文章も難解と言うのだから、この巻は割愛して、次の巻『紅葉賀』に進むべきかも知れない。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより608】へ
  • 【源氏物語たより610】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより608】へ
  • 【源氏物語たより610】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。