源氏物語

源氏物語たより610

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     二つの無垢を壊した光源氏   源氏物語たより610

  先にも述べたように『末摘花』の巻はとても「滑稽譚」とは言えない。光源氏の末摘花いびりで終始笑わせようとしているだけである。玉上琢弥も『源氏物語評釈』(角川書店)の中で、こう言っている。
  「この巻をユーモア文学の傑作だと言う人の気が知れない。・・末摘花を笑い者にしてしまうと、それがあまり強すぎて、かえってまた末摘花に同情してしまう。いずれにしても作者は喜劇を描ける人ではない」
  とにかく読者を笑わせようとする思いが強すぎるために、無理が生じて笑えなくなるという逆効果を生んでいるのだ。ただ私は「作者は喜劇を描ける人ではない」とは思わない。紫式部ほどそれとないユーモアをちりばめられる作者を知らないし、『空蝉』や『花宴』は見事なユーモア文学になっている。
  とにか、作者に末摘花に対する「情」が欠落しているところに、この巻の印象を不快なものにしてしまう要因がある。もし、彼女にもう少し温かい思い入れがあったなら、末摘花も救われていたはずである。
  なぜなら、彼女は、本来誠に純真無垢な女性であったと思うからである。
 
  源氏が彼女の邸を最初に訪れたのは、春の十六夜の月の美しい晩。ただしこの時は末摘花の琴をほのかに聞いただけで、他に用があっとこともあって何事もなく帰ってしまう。二度目はそれから随分時が立った秋、八月二十日余のことである。
  『待たるる月の心許なきに、星の光ばかりさやけ』
き宵のこと、靫負の命婦に案内された時である。源氏を物陰に隠した命婦は、末摘花に琴の演奏を促す。その音が源氏の所に仄かに聞こえてくる。その演奏を「決して悪くはない」と、琴の名手・源氏が聞いているのだ。
  命婦は、源氏の来訪を告げる。そして
  「源氏さまがおっしゃることを、物越しにお聞きになればいいので」
と勧める。すると彼女はひどく恥ずかしがりながら、
  『人にもの聞こえむやうも知らぬを』
と言いつつ、奥の方にいざって隠れてしまう。
  呆れた命婦が懇々と説得する。すると日頃、人の言うことに反論したり拒否したりすることができない性質なので、こう言って命婦に妥協案を出す。
  『いらへ聞こえで、ただ聞けとあらば、格子など鎖してはありなむ』
  何とも頼りない逢瀬であることか。自分は何も言わないで、相手の言うことだけ聞いていればいいというのなら逢いましょう・・と言うのだから。しかも「格子を下したままなら」とまで言う。命婦ならでもこれには驚くしかない。
  なにしろ相手は天下の近衛の中将(正三位中将)なのである。それに皇子様。そのお方を、格子の外に置いておくなどできるわけがない。
  しかし、彼女の境遇を考えるならば、これも仕方がないのではなかろうか。父・常陸宮が亡くなってからどれほどたっているのか、物語上では知ることはできない。しかし、屋敷の荒れ具合からすれば、もう随分久しいはずである。この間、彼女の所に尋ねて来る者など皆無だったはずである。そんな女性が、男と堂々と洒落た会話などできるはずはない。初めて男と接するのだから、「男にものを言うすべも知らない」と言うのも「ただ聞くだけでよければ・・」と言うのも、うべなるかなで、決して非難できることではない。
  また格子など開けたままでおいたら、男はすたすたと自分のそばに寄って来るだろう。日ごろ何人とも触れたことのない者はすくみ上ってしまう。「格子を下すのがせいぜいの防御」と言うのもやむを得ない。同情の余地はある。
  そもそも没落貴族の娘に「光源氏さまを」と言う方が、間違っているのだ。
  それにしても焦った、命婦は
  「源氏さまはそんな浅はかな振る舞いなどなさる人ではございませんから」
と説得にこれ勤め、命婦自ら、障子(襖のこと)に固く錠を鎖して、源氏の御座を作ると、さっさと自分の部屋に下がってしまう。

  こうして無事に世紀の逢瀬が展開されるのである。末摘花は、情況を飲み込めないままに何の繕うところもなく、おっとりと構えていて、源氏が何を話しかけても一切答えるない。源氏は最初こそ、そのおおらかさが、気が利きすぎているよりもかえって奥ゆかしく好ましい、と評価していたのだが、それにしても想像を超えた
  『御いらへは絶えてなし』
なのである。
  この後、源氏は強引に彼女の部屋に押し入り、ことを遂げてしまう。驚いたのは末摘花、まさか男がこういう手段に出て来るとは思いもしない。それに先に命婦は「源氏さまはそんなに軽々しい振る舞いなどしないお方」と言っていたではないか。
  『ただ我にもあらず、恥づかしく、つつましきより外のことまたなければ』
とじっとしているしかなかった。
  源氏はどうも納得がいかないところはあるが、「こういう女性もまたあはれ(いじらしい)」と思い直し、頭をかしげながら夜深く我が家へと帰って行く。

  末摘花の年齢は分からないが、恐らく二十歳近くなっているだろう。それなのに源氏が「他愛ないことや面白いこと」をいくら話しかけても、全く返事が返ってこないというのはたしかに異常ではある。しかし、誰とでもそうかと言えば、そうではないのだ。源氏と会う前に、彼女は命婦と
  『星の光ばかりさやけく、松のこずゑ吹く風の音、心細くて、いにしへのこと語り出でて、うち泣きなどし給ふ』
というごく普通の女性であり、また感性も豊かな人物なのである。そもそも源氏の知識や機智にそう臨機応変に応対できる女性はいない。

  源氏が、あの雪の朝、彼女の姿を見てしまってからというもの、末摘花いじめが始まってしまう。彼女に若干の異常さや常識のなさがあることは確かだが、あれほどに侮り蔑む必要があっただろうか。
  先に見たように末摘花は、誠に純粋無垢である。源氏が事あるごとに、彼女を人でなしの人物に仕上げていってしまっただけのような気がしてならない。末摘花は、最上級貴族・光源氏の犠牲になったと言っても過言ではなかろう。

  私は、もう一人、源氏の犠牲になった女性がいる気がする。それは「女三宮」である。彼女は十四、五歳で、四十歳の源氏に降嫁した。彼女は若いだけではない。もともと歳よりも
  『げにまだいと小さく、かたなりにおはすらんうちにも、いといはけなき』
女性であった。「かたなり」とは成熟していないということ、また「いはけなし」とは幼いということである。そういう噂は源氏の耳にも入っていたはずであるが、実際に結婚してみると、そのあまりにも幼いのに驚かされるのである。それがこんなふうに描かれる。
  『何心もなく、ものはかなき御程にて、いと御衣がち(着物に隠れてしまうほど小さい)に、身もあえかなり。殊に恥ぢなどもし給はず。ただ稚児の面嫌ひせぬ心地して』
  「稚児の・・」の意味は、幼児が人見知りをしないということである。なんとも失礼な評である。そんなことがあって、源氏の足は次第に彼女から遠のいてしまう。その結果、彼女は柏木と密通するという過ちを犯してしまう。このことについては後に詳しく見ていくつもりである。

  光源氏は、二人の誠に無垢な女性を「無きもの」に至らしめてしまった。もし彼が、紫上を徹底して育てたように、この二人に対しても誠意をもって当たっていたら、二人の悲劇はなかったはずである。源氏は、一度でも関係した女性は見捨てることなどしなかった男である。彼の息子夕霧もその点、感心し驚いている。
  『(花散里は)かたち(容貌)のまほならず(まともでない)もおはしけるかな。かかる人をも、人(源氏)は思ひ捨てざりけりな』
  また、玉鬘の女房・右近も源氏のことを
  『さしも深き御心ざしなかりける(女)をだに、落としあぶさず(捨てることなく)とりしたため給ふ御心長さなりければ』
と評価している。末摘花と女三宮に限っては、この「心長さ」に欠けてしまったのはどういうことであろうか。二人とも、むしろ捨てられてしまった方が幸せであったと思われて仕方がない。





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