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源氏物語

源氏物語たより614

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     光源氏のいびつな恋   源氏物語たより614

  南殿での花の宴が果てて、光源氏は興奮冷めやらずというところであろうか、藤壺宮に何とか逢うべく飛香(藤壺)舎のあたりをうろつきまわる。しかし、殿舎の用心は厳重で、どの扉もピタリと閉じられていて入り込む余地などない。
  仕方なく彼は弘徽殿に回る。一転してここは用心も緩く、細殿の三の口の扉があいていた。と、あつらえたように向こうから若々しい声で歌を歌いながらやって来る女がいるではないか。源氏は早速その袖を捉えて、三の口から女を細殿に抱き下し、戸をぴたりと閉じてしまう。こうして彼のアバンチュールが始まる。
  こと遂げて、程なく夜が明けようとする。そこで、別れに当たって
  『なほ、名のり給へ。いかでか聞こゆべき。かうて止みなむとは、さりとも思されじ』
と女に名を聞く。名前も分からないのでは、これから音信のしようもないからである。「さりとも」とは「いくら何でも」という意味で、「よもや」とか「まさか」という意である。この言葉を面白いと思うのは、全く見も知らない女とたまたま、しかも初めて契ったばかりだというのに、「まさかこのままで、私との関係を終わらせてしまおうとは思わないでしょ?」と言うのだ。源氏の満々たる自信の表れであり、光源氏の面目躍如というところである。

  しかし、その女は源氏に名を告げようとはしなかった。扇を交換しただけで、源氏は仕方なく自分の局である淑景(桐壷)舎に戻り、横臥する。が、昨夜の女のことが気になって容易に眠りに就けない。
  「なんとも美しい人であったなあ。弘徽殿にいた以上、弘徽殿女御の妹君の誰かであることには間違いあるまい。どうも世慣れていない(男女の仲に疎い)ようだったから、まだ結婚していない五の君か六の君かも知れない」
などとあれやこれや想像する。
  で、ここまでは彼の想像は許される範囲なのだが、許されないのが次である。
  『帥の宮の北の方、(あるいは)頭中将がすさめぬ四の君などこそ、「よし」と聞きしか。なかなかそれならましかば、今すこしをかしからまし。六(の君)は、春宮にたてまつらむと(右大臣が)心ざし給へるを、いとほしうもあるべいかな』
  少し説明を加えておこう。「帥の宮」とは源氏の弟に当たり、右大臣の三番目の娘の婿になっている。頭中将とは、源氏の親しい友であるとともによきライバルである例の頭中将のことで、同じく右大臣の四番目の娘の婿になっている。「すさめぬ」とは、気に入らないという意味で、頭中将はこの妻に満足していないようで、そのために夕顔などを愛人にしていたのだろう。
  さて、この二人の娘が「容貌が素晴らしい」という評判である、と言う。そこで源氏は
  「それだったら、かえってさらによかっただろうになあ」
と思ったというのだから、何とも不道徳でありいびつな恋のあり方である。二人とも、人の妻なのだ。源氏が魅力を感じたのは、彼女たちの容貌のこともあろうが、本音は「人の妻」であるからこそ、「今すこしをかしからまし」と思ったのである。藤壺宮(父の寵姫であり自分の義母)に恋をし過ちを犯すくらいの源氏であってみれば、人妻に恋するなどは、何の不義にも不埒にも当たらないのかもしれない。
  六の君(朧月夜)は、春宮(後の朱雀帝)に入内させるという右大臣の意思があることは源氏も知っている。そこで一応「いとほしうもあるべいかな」と気の毒がってはいる。しかし、彼女が入内した後もさらに激しい恋に溺れるのだから、「いとほしう」も何もない。
  そもそも源氏が関係した女性で、まともな結婚や恋をしているのは数少ないのである。葵上とは正式に結婚したわずかな例で、まさに北の方であるが、既定の路線に乗った政略結婚でもあることもあってか、頭中将が四の君を気に入らないのと同じように、「すさめぬ(心を留めて愛することのない)」北の方なのである。
  紫上は略奪結婚で、とても正式な結婚とは言えない。明石君は、彼女の親・明石入道が望んだものであるから正式な結婚と言えるかもしれないが、ただこの時、源氏は流謫の身なのである。本来結婚などしてはいけないのだ。ずっと後に結婚する女三宮は、彼女の父・朱雀院のたっての希望なので、これは明らかに正式な結婚である。しかし、結果的には大失敗の結婚になってしまう。四十歳と十三、四歳というはなはだしい歳の差に原因があったのかもしれない。こんな無理な結婚は源氏が断るべきであった。しかし彼の好き心が常識と自制心とを抑えてしまった。
  空蝉のことは今更言うを待たない。秋好中宮(冷泉帝の后)や玉鬘(養女)への恋心もとても許されぬものではない。
 
  源氏は、なぜかくも無理な結婚や道に外れた恋ばかりに血道を上げるのであろうか。
  結論から言えば、源氏は平凡を嫌うからである。ありふれたものに価値を見出さないからである。そしてそれは源氏物語の主題である「あはれ」に大きく関係するのである。 
  このことは源氏一人の特性ではなく、当時の貴族男子一般の傾向であったように思われる。頭中将が、四の君を「すさめなかった」のは、その結婚が既定の路線に沿ったものであったからに他ならない。物語上に彼がどのようにして結婚したかは描かれてはいないが、彼の親は左大臣であり、四の君の親は右大臣である。語られなくても政略結婚であることは想像がつく。そんな結婚に男は何の魅力も感じられないのだ。
  源氏の弟・蛍兵部卿の宮が、真木柱(式部卿宮の娘、宮は藤壺宮の兄であり紫上の父)と結婚した時に、父・式部卿宮がこの結婚にあまりにも積極的であり、蛍宮を丁寧にもてなしたもので、かえって張り合いがなくなり気がなえてしまう。そこで彼はこう思う。 
  『あまり恨みどころなきは、さうざうし』
  結婚するに当たって、あまりにすんなりと決まってしまって問題もないというのも物足りないと言うのである。「ひと波乱あった方がよい」と言うのだろうが、随分贅沢というか勝手というか、奇妙な考えではあるが、分かる気もする。軌道に乗った平凡な結婚では、平安人の風流心を満足させなかったのだ。そしてやがて宮の通いも疎かになってしまう。
  「あはれ」の情は、特別なもの・変化するものに触れた時に発動する。当然のことながら、平凡なもの・ありふれたものに「あはれ」を覚えることはない。
  考えてみれば、この情は現代人にも共通するのではなかろうか。日ごろは安穏な生活や安定した結婚生活を志向していても、時にそうでもないことに心が動く。その結果、不倫を思い不義を働く。そんな情報や噂が後を絶たないのも、実はそのことと関係があるのだ。芸能人の不倫騒動がよくテレビを賑わわすが、あれが実は人間の本然の姿なのである。テレビを見ている者は、表面では「なんという男だ!」などと憤って見せるが、裏では羨ましがっている。
  まして、好き心の権化・光源氏が、わりない恋を渉猟するのは当然のことと言わなければならない。源氏の場合は、周囲もそれを認めている。彼の忠臣・惟光の言葉が思い出される。若く美しく高貴な源氏様のようなお方が
  『好き給はざらむも、情けなく、さうざうしかるべしかし』
  先ほどもあったが「さうざうし」とは、物足りない、ものさびしいということである。最後の「かし」は、詠嘆の助詞「か」と強めの助詞「し」の複合した助詞で、
  「源氏様のようなお方が、恋(浮気)をなさらぬようでは、実に風情もないし淋しい限りではないか」
と言う惟光の感慨である。とにかく平凡でありふれた恋は、源氏にはそぐわない。だから彼が、「三の君や四の君だったらさらに良かったろうに」と思うのも、「いびつ」なことでもなく、むべなることのようである。


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