郷愁

凛とした思い

 ←おかあちゃん →源氏物語 たより1
 終戦後、アメリカ兵が厚木飛行場に駐留してきた時の母の思い出が二つある。
 昭和21年、私は小学校に入学した。ある日、アメリカ兵がジ-プに乗ってやって来ると下校途中の我々の所に車を停めた。そして、ジ-プに積んであった菓子を我々子供に配りはじめた。子供たち十数人がそのジ-プに群がり集まり、われ先にと手を出し菓子をねだった。私は、臆病だったのか集団の後ろの方で手を出していたので、とうとう一つの菓子ももらえなかった。配り終えた車が去っていくのを子供心に寂しく見送るばかりであった。
 私が、一つの菓子ももらえないのを見た近所の友達が
 「あれ、剛さん一つももらわなかったの?」
と言うと、五つも六つも手にしていた菓子の一つを私に譲ってくれた。何か涙が出そうになってしまった。それは、今思えばア-モンドかなにかをチョコレ-トか飴かで包んだような菓子で、大変上等なものであった。もちろん、戦後のことでもあり、ア-モンドもチョコレ-トも見たこともないし、まして食べたこともないもの
であったが。
 家に帰ると、母は気分が優れないということで床に臥せっていた。あのころ母は体調が悪かったのかよく寝ていたものだが、その母の枕元に座わって今日の出来事を話して聞かせた。でも、なぜかその菓子は友達にもらったものだとは言えず、自分がアメリカ兵から直接もらったものだというように話した。見たこともない貴重な菓子でもあり、寝ている母にもぜひ食べてもらおうと思って差し出したのだが、母は少しも食べようともしないで言った。
「じゃあ、みんなで食べなさい。」
病気のために食欲がなかったということもあるかも知れないが、当時、日本にはなかったのではないかと思われるような珍しい菓子だ。食べたくないはずはない。
それを「子供たちで」ということで私の手に返してしまった。結局、妹と弟と三人で食べた。今ではどんな味がしたのか忘れてしまったが、覚えているのは母の子供に対する優しい情のようなものだ。
もう一つの思い出は、やはりアメリカ兵にかかわる母のことである。
このチョコレ-ト事件をさかのぼる昭和20年、まさに終戦の年のことである。
アメリカ兵が厚木飛行場に来たというので、「彼らは日本人に対してどんな乱暴をするかわからない」とだれもが戦々恐々として村じゅう緊張しているころのことだ。アメリカ兵がジ-プに乗って村むらを回ってきた。ある日、私の家にも、雲をつくような赤ら顔の大男たちが二人やってきた。
この時、家には大人は母しかいなかった。縁側で母は何やらアメリカ兵と話しをしている。もちろん母は英語などできるはずはない。それなのにアメリカ兵と堂々と渡り合っている。
我々子供は奥の部屋に逃げ込み、障子を細目に開けてこわごわと、成り行きを見守っていた。「よく一人で怖くないな。」と母の度胸に感心しながら見ていた。
やがて。母はタンスから一枚の女物の花模様の和服を取り出すと、彼らに見せた。
アメリカ兵はその和服に満足したのか、しばらくするとその和服を持って帰っていった。
母の手にはチュ-インガムがたった一つ握られていただけであった。あの和服と交換したのだ。ずいぶん高いチュ-インガムであった。
今考えれば、あのアメリカ兵は不良の兵隊で、わずかな菓子を持って高価な日本の品物と交換するためにあちこち歩き回っていたのかも知れない。あるいは、単に占領国の「日本が珍らし」ということで村むらを回っていただけかも知れない。が、いずれにしても日本人にとってはたまらない。外国人など当時見たこともなかったし、まして純農村地帯の綾瀬に外国人が来るなどということは想像もしないことだ。
ちょうど幕末の日本にアメリカ人等がやってきた時の日本人の驚愕と同じ程度のものがあったはずだ。そういえば、幕末の外国人、たとえばペリ-などが当時の絵にまるで天狗のような、鬼のような姿で描かれている。
母の目にも、彼らは天狗か鬼かのように映っていたはずで、あの時、母もずいぶんの恐怖にさいなまれていたはずだ。それなのに堂々一人で渡り合っている。その姿は、アメリカ兵に対する恐怖を越えて、我々子供に、「おかあちゃんて、すごいな!」という尊敬の気持ちを起こさせるに十分なものだった。
 その後も母の凛とした態度はいくつか見てきたが、この時の姿を今も畏敬の念を交えて私の脳裏に焼きついている。
 山本周五郎の作品に、『郷土』という短編がある。 
 慶應四年、鳥羽伏見の戦いのあと、官軍に抗すべく奥羽連盟に加わっていた秋田藩・佐竹氏は、同盟を脱した。憤った隣藩の庄内藩が秋田藩に攻撃を仕掛けた。秋田藩・桑首の庄屋・戸部家では女子供を避難させるべく支度をしていたが、そこに、こともあろうに、安全な辺地にいっていた祖母が戻ってくる。
 そして、避難するどころか平然 終戦後、アメリカ兵が厚木飛行場に駐留してきた時の母の思い出が二つある。
 昭和21年、私は小学校に入学した。ある日、アメリカ兵がジ-プに乗ってやって来ると下校途中の我々の所に車を停めた。そして、ジ-プに積んであった菓子を我々子供に配りはじめた。子供たち十数人がそのジ-プに群がり集まり、われ先にと手を出し菓子をねだった。私は、臆病だったのか集団の後ろの方で手を出していたので、とうとう一つの菓子ももらえなかった。配り終えた車が去っていくのを子供心に寂しく見送るばかりであった。
 私が、一つの菓子ももらえないのを見た近所の友達が 「あれ、剛さん一つももらわなかったの?」
と言うと、五つも六つも手にしていた菓子の一つを私に譲ってくれた。何か涙が出そうになってしまった。それは、今思えばア-モンドかなにかをチョコレ-トか飴かで包んだような菓子で、大変上等なものであった。もちろん、戦後のことでもあり、ア-モンドもチョコレ-トも見たこともないし、まして食べたこともないもの
であったが。
 家に帰ると、母は気分が優れないということで床に臥せっていた。あのころ母は体調が悪かったのかよく寝ていたものだが、その母の枕元に座わって今日の出来事を話して聞かせた。でも、なぜかその菓子は友達にもらったものだとは言えず、自分がアメリカ兵から直接もらったものだというように話した。見たこともない貴重な菓子でもあり、寝ている母にもぜひ食べてもらおうと思って差し出したのだが、母は少しも食べようともしないで言った。
 「じゃあ、みんなで食べなさい。」
 病気のために食欲がなかったということもあるかも知れないが、当時、日本にはなかったのではないかと思われるような珍しい菓子だ。食べたくないはずはない。それを「子供たちで」ということで私の手に返してしまった。結局、妹と弟と三人で食べた。今ではどんな味がしたのか忘れてしまったが、覚えているのは母の子供に対する優しい情のようなものだ。
 もう一つの思い出は、やはりアメリカ兵にかかわる母のことである。
 このチョコレ-ト事件をさかのぼる昭和20年、まさに終戦の年のことである。
 アメリカ兵が厚木飛行場に来たというので、「彼らは日本人に対してどんな乱暴をするかわからない」とだれもが戦々恐々として村じゅう緊張しているころのことだ。アメリカ兵がジ-プに乗って村むらを回ってきた。ある日、私の家にも、雲をつくような赤ら顔の大男たちが二人やってきた。 
 この時、家には大人は母しかいなかった。縁側で母は何やらアメリカ兵と話しをしている。もちろん母は英語などできるはずはない。それなのにアメリカ兵と堂々と渡り合っている。
 我々子供は奥の部屋に逃げ込み、障子を細目に開けてこわごわと、成り行きを見守っていた。「よく一人で怖くないな。」と母の度胸に感心しながら見ていた。
 やがて。母はタンスから一枚の女物の花模様の和服を取り出すと、彼らに見せた。アメリカ兵はその和服に満足したのか、しばらくするとその和服を持って帰っていった。
 母の手にはチュ-インガムがたった一つ握られていただけであった。あの和服と交換したのだ。ずいぶん高いチュ-インガムであった。
 今考えれば、あのアメリカ兵は不良の兵隊で、わずかな菓子を持って高価な日本の品物と交換するためにあちこち歩き回っていたのかも知れない。あるいは、単に占領国の「日本が珍らし」ということで村むらを回っていただけかも知れない。が、いずれにしても日本人にとってはたまらない。外国人など当時見たこともなかったし、まして純農村地帯の綾瀬に外国人が来るなどということは想像もしないことだ。ちょうど幕末の日本にアメリカ人等がやってきた時の日本人の驚愕と同じ程度のものがあったはずだ。そういえば、幕末の外国人、たとえばペリ-などが当時の絵にまるで天狗のような、鬼のような姿で描かれている。
 母の目にも、彼らは天狗か鬼かのように映っていたはずで、あの時、母もずいぶんの恐怖にさいなまれていたはずだ。それなのに堂々一人で渡り合っている。その姿は、アメリカ兵に対する恐怖を越えて、我々子供に、「おかあちゃんて、すごいな!」という尊敬の気持ちを起こさせるに十分なものだった。
 その後も母の凛とした態度はいくつか見てきたが、この時の姿を今も畏敬の念を交えて私の脳裏に焼きついている。
 山本周五郎の作品に、『郷土』という短編がある。
 慶應四年、鳥羽伏見の戦いのあと、官軍に抗すべく奥羽連盟に加わっていた秋田藩・佐竹氏は、同盟を脱した。憤った隣藩の庄内藩が、秋田藩に攻撃を仕掛けた。秋田藩・桑首の庄屋・戸部家では女子供を避難させるべく支度をしていたが、そこに、こともあろうに、安全な辺地にいっていた祖母が戻ってくる。
 そして、避難するどころか平然としている。七歳の孫・仙吉はそのわけを盛んに「おばあさん、なぜ避難しないの?」と聞く。「先祖代々の土地を守るのは当然でしょ。」と、彼女は語るだけだ。その話を聞いた12才の金之助も、13才の長女・みよも、そして嫁のりうも、郷土に残って庄内藩に当たろうとする。
 その噂は、たちまち桑首の村全体に拡がり、だれひとりとして自分の土地を立ち退こうとするものはいなくなった。
「戦火を前にして眉一つ動かさず、無事に戦火が治まっても格別うれしそうでもない、不退転の姑・きよえ女」を尊崇の目で見守る嫁・りう。
 というような筋であるが、なにか自分の母親とこの作品の姑・きよえ女が重なるような、戦後のワンシ-ンであった。




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