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源氏物語

源氏物語たより616

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     危篤の葵上に向かって   源氏物語たより616

  葵上は、賀茂祭り見物の際、六条御息所との車争いがあった後、物の怪に取り付かれてひどく患う身となってしまった。そのため光源氏は女の所への忍び歩きもままならず、紫上のいる二条院にさえほんの時にしか行くことができない。
  しかも、折悪しく妊娠と言うことも加わってしまった。結婚以来十年目のことである。普段は仲睦まじい夫婦と言うわけではないけれども、大切な正妻であることに間違いはないのだから、源氏は修法やら何やらとさまざまに取り行わせて、彼女の無事を祈る。
  平安時代には、出産は極めて恐ろしいものであった。出産で命を失った人は多い。例えば、清少納言が仕えた一条天皇の皇后・定子も、三番目の子を出産した時に亡くなっている。時に二十四歳。
  そのために、貴族の邸では安産のための修法が厳粛に大々的に執り行われた。『紫式部日記』には、一条天皇の中宮・彰子が、敦成親王(後の後一条天皇)を出産する時の五壇の修法の様子がこと細かに記されている。
  『我も我もとうち上げたる伴僧の声々、遠く近く聞き渡されたるほど、おどろおどろしく、尊し。観音院の僧正、東の対より二十人の伴僧を引きゐて、御加持まゐり給ふ足音、渡殿の橋のとどろとどろと踏みならさるるさへぞ、ことごとのけはいには似ぬ』
という具合である。「おどろおどろしき」修法の声や「とどろとどろに」渡殿の橋を渡ってくる二十人の伴僧の足音を、妊婦はどんな気持ちで聞いていたのだろうか。安産祈願の修法それ自体が、彼女たちにとっては恐怖に満ちていたはずである。

  葵上は、重く患ったまま月日が経っていった。そんなある日、俄かに産気づいた。心配になった源氏は、几帳のそばに寄り、几帳の帷子(かたびら カーテン)を上げて覗き見てみた。すると、そこには日ごろは感じたことのない「可愛らしくあでやかな」葵上が臥しているのであった。
  それにしても葵上はあまりにひどく泣く。ひょっとすると親を残して先立ってしまう親不孝を嘆いているのかもしれない。あるいは自分との別れを悲しんでいるのかもしれないと想像した源氏はこう声を掛ける。
  『何事もいとかう、な思し入れそ。さりとも、けしうはおはせじ。
  いかなりともかならず逢ふ瀬あなれば、対面はありなん。大臣・宮なども深き契りある中には、行き巡りても、絶えざなれば、あひ見るほどありなんと思せ』

  さて、この源氏の言葉が、現代人にはなかなか理解できないことなのである。前半の
  「何事でもあまり深く思い詰めてはいけませんよ。それにあなたの病状はそれほどひどくはならないでしょうから」
の部分はごく当たり前の励ましの言葉で、特に問題はない。恐らく危篤の病者を前にすれば誰もが口にするであろう言葉である。問題は後半である。
  「たとえどうなろうとも、夫婦はあの世で必ず会うことができるのだし、父大臣や母宮とあなたは、親子という前世からの深い契りがあるのだから、決して縁が絶えるということはありません。生まれ変わり生まれ変わりして、いつか必ず会う機会が巡って来るもの、と思って安心していいのですよ」
という意味であるが、危篤の病者を前にしてこんなことを言うだろうか。「あなたはもうすぐ死ぬだろうから」ということを前提にしているのだから。もしこんなことを言われたら、一気に生きる気力を失ってしまうだろう。現代の我々であれば、決して言うことはないであろう。
  今でこそ、癌は病気の内にも入らなくなったためであろう、医者は、本人にさえはっきりと癌を告知するようになっている。中には当の本人が「私、胃癌の手術をしたのよ」などと恬淡と言いふらしたりする人もいる。しかし、つい先ごろまでは「あなたの病気は癌です」は禁句であり、死を宣告するようなものであった。だから家族にさえ知らせなかったのだ。
いずれにしても死を前提にした言葉掛けなど考えられないことなのだが、源氏の言葉は、妻の病気を真摯に心配するあまりの優しさと情愛に満ちたもので、源氏の得意な空言ではない。
  だからこそ、我々には一層理解できないのである。瀕死の妻に向かって「あの世」の話を真剣にするなどとても考えも及ばないことである。

  風俗や習慣と言うものは、千年の時を隔てると全く違ってしまう。源氏物語が難解であるのは、言葉の障害ばかりではない。家具・調度などの使い方を始め、風俗・習慣など、分からないことが実に多い。いつか早稲田大学の中野幸一先生に「几帳の使い方」について質問したところ、「いや、几帳は分かりませんね」と慨嘆していられた。几帳でさえこの始末である。特にこの宗教がらみの「前世」や「あの世」などの思考は、我々にとってはあまりに遠い存在である。ところが彼らは本当に信じていたのだ。源氏の言葉掛けも本心からのようなのだから、信じられないと言うしかない。


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