源氏物語

源氏物語たより617

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     葵上の死 ~その際の源氏の真情~ 源氏物語たより617

  昨年の暮れに痛めた腰が未だ回復せず、パソコンの前に座るのもつらい。最近少し良くなってきたと思っていたら、今度は膝の具合が悪い。腰をかばって不自然な歩き方をしていたために膝に来てしまったのだろう。年老いるとは悲しい現実である。留めようがないのだから。
  光源氏が、正妻の女三宮を柏木に凌辱(りょうじょく)されたと知った時の、彼の屈辱はいかんともし難いものがあった。准太上天皇としての誇りも名誉も一気に頽(くずお)れ去ってしまったのだ。
  朱雀院の五十の賀の試楽の日、源氏に会わせる顔もなくやつれた様子で六条院にやって来た柏木に向かって、彼は冷徹にこう言い放つ。
  『すぐる齢にそへて、酔ひ泣きこそ留め難きわざなりけれ。衛門の督(柏木のこと)心留めてほほ笑まるる、いと恥づかしや。さりとも(そうはいっても若さは)今しばしならむ。さかさまに行かぬ年月よ。老いはえ逃れぬわざなり』
  「老いはえ逃れぬわざなり」は、まさに最近の私の実感そのものである。生・老・病・死、いずれも人にとっては苦の本源で、できることなら自分の身に降りかからないでほしいものだが、「さりとも」避けることはできない悲しい事実である。「生」は、人が産道から生まれ出る時の苦しみだというのだが、私は「生きていること」そのものが苦しみの連続であるというふうに解釈している。その生の中に我々は老・病・死の危機をいつも抱えているのだ。
  この四つの苦しみは、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦(求めても手に入らない苦)、五蘊盛苦(ごおんじょうく)の四つと合わせて「八苦」と言われる。これらの苦が一斉にやって来るのが「四苦八苦」である。でもやはり先の四苦こそ、万人の最大の嘆きではなかろうか。まして、源氏のようにいくつになっても若く美しく、栄誉を尽くした人にとっては「老い」ほど怖いものはないであろう。
  ただ、今の私の心境をありのままに言えば、「死」はさほど怖いものではない。死に至るまでの老いと病が怖い。老いと病を経ずにあの世に行けたらと思っている。

  葵上は、夕霧を生む時に亡くなる。まだ二十六歳の若さである。源氏は、彼女と心を割って馴れ親しむ関係にはついになれないままで終わってしまった。彼女が重く患っていた最後の最期に、美しい姿で横たわっている彼女の手を握って、優しい言葉を掛けた時だけが、わずかに二人の間に情の通じ合った時と言っていいだろう。その時の彼女の姿がこう描写されていた。
  『例はいとわづらはしく恥づかしげなる御まみ(目つき)を、いとたゆげに見上げてうちまもり聞こえ給ふに、涙のこぼるるさまを見給ふは、いかがあはれの浅からん』
  「まもる」とはじっと見つめることである。またこの場合の「あはれ」は「情愛」の意を表す。「どうして葵上に対する情愛が薄いことがあろうか、愛しくてならない」と言う意味である。妻の死を直前にした源氏の情である。
  この後、小康を得た葵上は夕霧を出産する。ところが、「これで安心」と油断した源氏や彼女の父・左大臣や兄弟もこぞって参内してしまった時に、葵上は
  『たえ入り給ふ』
てしまうのである。

  彼女の葬儀の帰り、八月二十日余りの有明の空をしみじみと眺めやりながら、源氏は悲しみの歌を詠む。
  『のぼりぬる煙はそれとわかねども なべて雲井のあはれなるかな』
  鳥部野で火葬にされた葵上は、煙となって空に昇って雲となって行った。今その空を見上げても、どれが葵上の雲であるかは、はっきりと見分けることができない。が、あの空井のすべての雲が葵上と思われてきて、愛おしくてならない、と言う意である。
  左大臣邸に帰っても露も眠ることができず、日ごろの葵上の様子を偲び、また彼女に対する今までの自分の対応を深く反省する。
  「いずれは私の本意を分かってくれる時があるだろうと、暢気に構えていたことが、返す返すも悔やまれてならない。いい加減な浮気のことで彼女に辛い思いをさせてしまった、結婚以来、私のことをうとうとしい者、気恥ずかしい存在と終生思わせてしまった」などなど彼の反省は尽きることがない。そして
  「今さらいくら嘆き省みても始まらない。いっそのこと自分が先に逝ってしまえばよかった」
とさえ思うのである。悲痛の限りの反省と言っていい。

  さて、この源氏の反省は本心からのものであろうか。日ごろはあれほど疎々しい夫婦関係で、偶に逢えば冷たい皮肉や刺々しい言葉の交換に終始していたのだ。夕霧が生まれたこと自体奇跡のようなものである。そんな妻に対して「自分の方が先に逝けば・・」などと思えるものであろうか。源氏はとかく言葉が達者で、心にもないことを平然と言い放ったりしてきた。特に女を口説く時などは「鬼神さえ聞き惚れてしまう」ような甘やかな言葉が迸(ほとばし)り出たものである。そんな彼の反省と思うとつい「本心?」と思ってしまうのだが。
  しかし、これ以降、四十九日の喪が果てるまでの源氏の挙措を見ていると、「本心」と言わざるを得ないものがある。彼は、この四十九日間、一歩も左大臣邸を出ていないのである。まして彼の本業のような好色ごとには寸分も心動かすことがなかった。また愛しくてたまらない紫上がいる二条院(自邸)にさえ戻っていないのである。これは単に葵上に対して冷酷であったことに対する反省からではないと思うしかない。
  人は、「死」と言うものに真向かうと本性がむき出しになるもののようである。「四苦」の中でも死はとりわけ人に真情を吐露させる作用を持っている。それは血縁の死に限らない。雪崩で十六歳、十七歳の高校生が八人も亡くなったと言うニュースなどに接すると思わず心が痛み、彼らの親の慟哭に熱いものがこみ上げてくる。それが人の本然の姿だからであろう。まして血縁の場合の嘆きは深い。日ごろはそれほど親しくしていたわけでもなく、あるいは疎い関係であったとしても、同じである。亡き人に対する過去のあれこれが自ずから心に浮かんでくるから、涙が止まらないのだ。「死」とはそういう作用を持つものである。同じ別れでも「生別」は、いずれまた会うことができるという思いがあるから、悲しみは死ほど深くない。
  源氏の場合は、夫婦だというのに、馴れ親しむこともなくつれない関係のまま、死と言う絶対的な状況に陥ってしまったからこそ、思いは複雑になり嘆きは深くなったのだ。

  葵上の四十九日が果てて、源氏が自邸に帰った後、左大臣が彼の部屋に入ってみると次のような二つの歌が残されていた。
  『亡き魂ぞ いとど悲しき 寝し床のあくがれがたき心ならひに』
  (共にした床を離れがたく思うにつけても、亡き人のことがいっそう偲ばれる   新潮社 円地文子訳)
  『君なくて塵つもりぬるとこなつの露うち払ひいく夜寝ぬらむ』
 (あなたのない床に、いく夜涙を払って一人さびしく寝たことだろう  同)
  この歌を見た左大臣と葵上の母・大宮は
  『御声もえ忍びあへ給はず泣い給ふ』
のであった。
  私は、かつてはこの二つの歌を、源氏お得意の、心のもない空言と思っていた。そればかりか、左大臣がやがてこの歌を見るであろうことを計算した源氏の謀りごととさえ思っていた。何しろ二人は「床を共にしたこと」などほとんどないはずだからである。
  しかし、今はそうは思わない。この歌は源氏の本音である。死は人を変えてしまう力を持っている。それは葵上の兄・頭中将さえびっくりしていることでもよく知ることができる。頭中将は、日ごろ源氏が、妹の葵上とは疎い関係であったのに、この四十九日の間の、葵上の死を深く悼む姿を見て
  『あやしう、年ごろはいとしもあらぬ御心ざしを』
と驚いている。「いとしもあらぬ」とは、それほど愛し合う関係ではなかったのに、ということで、死は、人の気持ちを変えてしまうほどに強い作用を人に及ぼすのだ。

  しかし、「年月はさかさまにいかぬもの」であるとともに、過去を洗い流すものでもある。年月は、死の悲しみをさえ忘れさせてしまうと言う怖い作用も持っている。もっともそれだからこそ、源氏物語は面白いのであって、源氏がいつまでも葵上の死の悲しみにうちひしがれ、その死に拘泥し続けていたら、朧月夜も出てこないし、明石の君も存在しなくなる。死以上に怖いものは変化する人の心と言えなくはない。


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