源氏物語

源氏物語たより619

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     泣かせる光源氏   源氏物語たより619

  葵上の喪に籠っていて左大臣邸から一歩も出ないでいた光源氏だが、そろそろ四十九日の法事も近い。もうここから去らなければならない時期に来ている。そんな状況の時にしかるべき女房だけを集めていろいろ物語をしながら、こう言う。
  「この喪の間は、他のことに紛れることなく皆さんと馴染み親しむことができた。今更言っても詮無い妻の死ではあるけれども、妻が亡くなってしまった以上、なかなか今のように皆さんにお会いし馴れ親しむことはできなくなるであろう。そうなると耐えがたいことも多くなるだろうな」
  左大臣邸の女房たちはみな源氏贔屓ばかりで、彼女らの心の恋人である。源氏の言葉は彼女らの心に辛く耐えがたいものとして突き刺さる。
  『いとどみな泣きて』
次のように言うのだが、最後まで言いきれずにまた忍び泣くのである。
  「葵上さまの死は、心も裂ける程に悲しいことではありますが、それはそれ、宿命でございます。でも私たちにとって一番悲しいことは源氏さまがこのお邸からすっかりお姿を見せなくなってしまうことでございますわ・・」

  とにかく源氏の話し上手は格別で、今までも何人の女を泣かせてきたことであろう。鬼・神さえ源氏の言葉にはほろっとしてしまうほどなのだ。左大臣邸に来ても、妻の葵上とは背き背きの冷たい関係ではあったが、女房の一人ひとりにはここにやって来るたびに笑わせ泣かせしてきたのだろう。特に泣かせのテクニックは抜群で、あたかも歌舞伎の千両役者のようだったのかもしれない。彼の一言は女房たちの心をわしづかみにしてしまう。源氏が一言言えば笑みがこぼれ涙がこぼれるのだ。
  源氏の教養は深く知識も豊かである。それは処々で彼が繰り広げる弁舌によく表れている。音楽、絵画、書、香道、教育、人物評価・・どの分野をとってもいささか饒舌すぎる程に闊達自在である。しかし、教養・知識がいくら豊かであっても人の心をとらえることができるとは限らない。恐らく彼は、話の間や抑揚、あるいは具体の引用などに生得的な才を持っていたのであろう。そんな源氏が、匂うばかりの容貌で愛嬌たっぷりに話すのだから、聴く者は自ずから魅了されてしまう。葵上との関係はうとうとしいばかりに、源氏が左大臣邸を訪れることは少なかったのかもしれないが、彼がやって来るたびに女房たちは笑いそして涙に袖を濡らしていたのだ。
  その源氏が、いくらうとうとしい関係であったとはいえ、葵上が亡くなってしまったのでは、ここへのお出ましは極端に少なくなってしまうことは必定である。女房たちが
  「名残なきさまに(完全に)」
と形容したのはうべなるかなである。それに対して源氏はこう言って彼女たちを安堵させる。
  「「名残なく」はないでしょう。気長に構えている人は私がそんな男でないことはいずれわかってくれるはずですよ」
  しかしこれは単なる慰めに過ぎない。「夕霧」という葵上との間にできた子があるとはいえ左大臣邸を訪れなくなるのは目に見えている。だから源氏の一言に女房たちが涙にくれるのは当然のことである。

  そのうちの一人・中納言の君(源氏の召人)は源氏の態度を
  『あはれなる御心かな』
と思うのである。この場合の「あはれ」は「殊勝」という意味である。また召人とは「傍に召し使う女、侍妾」のことであるが、いわばご主人の愛人であり、性の慰め人である。もちろん妻ではないから身分的には何の保証もなく極めて不安定な立場にあり、男の愛が醒めればそれで終わるしかない。
  中納言の君が源氏のことを「あはれ」と思ったのは、正妻を亡くした源氏なのだから、今は全くのフリーで、今こそ葵上に遠慮することなく自分と情愛深い契りを結んでいいはずなのに、この四十九日の間、一切自分に手を付けようとしない、そんな源氏を「殊勝なこと」と感嘆したのである。
  彼女は、左大臣家の嫡男・頭中将の求愛をけって、たまのお出ましを心待ちにするほど源氏に魅かれていたのだから、源氏が「名残なく」ここにやって来なくなることは身を裂かれるほどに辛い。
  これから五年後、源氏は京を離れ須磨に流謫する身となる。須磨に流れて行くに際して源氏はしかるべきところをこっそり訪ねて回り別れを告げる。左大臣邸をも当然のことながら訪ねていく。ところがなんとこの夜は左大臣邸に泊まってしまったのである。最愛の妻・紫上が二条院にいるのだから、永の別れを前にして少しでも長く一緒にいたいであろう。それなのに左大臣邸に泊まったのは何故か、それは中納言の君との別れを惜しんだからである。そのことを語り手はこう言って皮肉る。
  『これにより泊まり給へるなるべし』
  「これにより」とは中納言の君がいるからということで、この夜の源氏の言葉がまた彼女を泣かせる。
  『また(再び)対面あらむことこそ、思へばいとかたけれ。かかりける世(流謫の身になること)を知らで、心安くもありぬべかりし月ごろを、さしも急がで(あなたとあまり逢わず)へだてしよ』
  今までもっとあなたと気楽に逢うことができた時には安心しきっていて、隔て隔てにしてしまったことが残念、と言うのである。中納言の君はものも言えずにひたすら泣くしかない。

  さて、先ほどの場面で、源氏はもう一人の人物を泣かせている。それは「あてき」と言う童である。左大臣邸で源氏がこよなく可愛がってきた童である。彼女には親はない。それが、女主人(葵上)をも亡くし、今また自分を可愛がってくれていた源氏が去って行く。そのあてきに源氏はこう言う。
  『あてき、今はわれをこそは、思ふべき人なめり』
  「葵上のいない今、私をこそ頼りとすべき人(親)と思いなさい」という意味である。源氏が今後ここにやって来ることは少なくなるであろうが、こう言われれば源氏を頼りにして我慢して待つことができる。あてきは
  『いみじう泣く』
のである。
 
  源氏物語には「泣く」場面が多い。それが嫌だという人もいる程である。しかし「泣く」とはどういうことであろうか。人との別れや死、あるいは不如意な思いや特別・殊勝な情況や愛しい事象などに直面した時に、胸を締め付けられ、しみじみとした感情が思わず涙を誘うのではないか。それがまさに「あはれ」なのである、源氏物語の主題であるこの「あはれ」は、涙とともにあるのだ。だから、源氏物語は「涙の系譜」と言っていいかもしれない。冒頭の『桐壷』の巻は、帝と桐壷更衣の死別の涙に始まっており、最後の『夢の浮橋』の巻は、浮舟のこの世との別れ・母との決別の涙に終わっている。  
  光源氏とは、その涙を宿命的に背負わされた人物なのである。


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