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源氏物語

源氏物語たより620

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     几帳が分からない   源氏物語たより620

  光源氏は、葵上の中有(ちゅうう)の四十九日の間、左大臣邸に籠りきっていたために、紫上には久しく会っていない。中有の喪が明けて二条院に戻って彼女を見てみると、大層美しく身づくろいしているので、思わずこう声をかける。
  「久しく会わなかった間に、すっかり大人びてしまったね」
  源氏は紫上を惚れ惚れと見ながら、
  『小さき御几帳ひき上げて見たてまつり給へば、(紫上が)うちそばみて(横を向いて)恥ぢらひ給へる御さま、あかぬところなし』
と心から満足するのである。

  ところで、この前半の部分
  「小さき御几帳ひき上げて見たてまつり給へば」
が分からない。とにかく当時の風俗の中で、家具・調度については分からない点が多いのだが、特にこの「几帳」については分からない。ある時、早稲田大学の中野幸一先生にこの点を聞いてみたことがあるが、
  「いや、几帳は分からないですね・・」
と言われただけで言葉を濁されてしまった。この時、国文学の専門家でも分からないのでは、私に分かはずはない、と実感した。

  几帳とは、方形の台(これを土居という)に二本の柱(足)を立て、その上に横木(手)を載せ、この横木に帳(とばり、かたびら~帷子)を垂らす。帷子は、四枚あるいは五枚の布を使い、それぞれを縫い合わせるが、その中途は縫い合わせないで置く。これを「ほころび」といい、その目的は良くは分からないが、とにかくこのほころびを開いては、彼ら(彼女ら)は、几帳の外側にいる人物を見たり、また外側から部屋の中のお姫様を覗いたりしている。だからいわば「覗き窓」のようなもので、そうするのがこのほころびの第一の目的なのかもしれない。
  本文には、「小さき御几帳」とあるが、概ね几帳には小さいのと大きいのがあったようで、小さい几帳は、高さが三尺(1m10㎝ほど)、大きいのが四尺である。横幅は、それぞれ五尺(2メートル弱)と六尺である。
  几帳の役割は、室内を仕切ったり中が見えないように隔てたりするものであるが、軽いので移動は自由にでき、部屋のどこにでも持ていける。風の強い時などには壁際に寄せて置いたりする。

  さて、几帳と言うものをこのように理解できたとしても、なお分からない点が多いのである。先の文章においても疑問はいくらでも出てきてしまう。
  まず、紫上が「美しく身づくろいしている」とか「すっかり大人びている」とかあるのだが、源氏はいつの段階でそう見たのだろうか。そもそも紫上は小さき几帳の向こう側にいるのだから、源氏にはまだ見えていないはずではないか。
  また「小さき御几帳ひき上げて」とはどういうことなのだろうか。帷子を引き上げて見たということであろうが、四枚の帷子は互いに縫い合わさっているので、「引き上げる」と全部がめくれあがってしまう。恐らく引き上げた帷子を横木に掛けておくのだろうが、帷子は横木からだらしなくだらりと垂れてしまい、誠に締まりがない。美しい人を見るのには不似合いな所作と言わなければならない。
  几帳の幅はたかが2メートルなのだから、横に回って見ればいいし、高さも1メートル少々しかないのだから、上から覗けば済む。それがはしたない行為だというのなら、几帳の機能の一つである「ほころび」を開けて見ればいいことだ。彼がそうしなかったのはなぜなのだろう。
  どうやらここにはルールが存在したとしか考えようがないのである。つまり几帳の上から覗いたり横に回って見たりしてはいけないという厳然たる決まりがあったということである。ただし、『紫式部日記』には、道長が几帳の上から紫式部に女郎花の花を一枝折って指し出し、覗いているところが描かれている。
  『橋の南なる女郎花のいみじう盛りなるを、一枝折らせ給ひて、几帳の上よりさし覗かせ給へり』
  道長がルールを破ったのか。

  そして、さらに大きな疑問は、源氏と紫上はれっきとした夫婦なのだから、今更几帳を隔てて対面しなければならない必要はないはずではないか、ということである。もっとも当時は兄妹でも姉妹の姿を見ることはできなかった。親でも容易には娘を見ることはできなかったのである。源氏が養女である元斎宮(梅壺女御、故六条御息所の娘)の姿を見たくてうじうじする場面が『薄雲』の巻にある。里帰りした梅壺が、几帳越ではあるが、源氏には誠に「柔和で優美に」感じられるのだが、その姿を直接見ることができないのをこう残念がる。
  『見たてまつらぬこそ、口惜しけれ』
  とにかく男が女性をじかに見るのは至難の業であったことは確かであるが、夫婦は別であるはずだ。特に二人の場合はもう結婚してから四年も経ち、この間、二人は夜ごと閨を共にしてきたのである。相思相愛の夫婦が几帳越しとは解せないことである。

  几帳や御簾越しに相手の容姿や人柄を偲ぶからこそ女性が美しく妄想されるのだろうが、とにかく几帳は分からない。
  いずれにしてもこの翌日のことである、源氏と紫上が、
  『をとこ君はとく起き給ひて、女君はさらに起き給はぬ朝あり』
と言う状況になったのは。几帳が、源氏の欲情をますます高める働きをしたのかもしれない。


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