源氏物語

源氏物語小さなたより1

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  近衛府のみやび  源氏物語小さな便り1

 光源氏(以下 源氏は)が46歳の時に、明石姫君の産んだ子供が立太子し、源氏の栄華は極まった。これただひとえに明石入道のお陰である。入道は、娘の明石君の出世や子孫の栄達には常軌を外れるほどの願いを持っていたのだ。
入道は、住吉神社を深く崇め、多くの願をこの神社に掛けていた。


 これを機会に 源氏は、その願果たしに行くことにした。掛けた願は、その願が叶えば「ほどか」なければならないのだ。受験の願掛けにしても安産の願掛けにしても、目出度く合格し無事子供が生まれれば、その願をほどきに、神社に行かなければならないということである。
 源氏の住吉詣では、華麗、壮大なものになった。車を連ね、行列は延々と続く。
 その中には、楽人(東遊(あずまあそび)や神樂を演奏する)や舞人(東遊などを舞う)も交じっていた。住吉神社の境内で音楽を演奏し舞を舞うのだ。
 楽人は賀茂の祭りや石清水八幡宮の祭りの時に演奏する専門の楽人たちであったが、舞人には衛府の者を選んで連れてきた。衛府とは、内裏の内外や京市中を警備するいわば警察官である。近衛府、衛門府、兵衛府の三つがあり、それぞれに右、左があったのでこれを六衛府と言う。特に近衛府は、天皇に近侍しその護衛などもする。その中将ともなると、出世頭で、その衛府の官人たちが舞を舞うのである。彼らは、その道の達者で、舞を舞わせたらプロはだしである。しかも
 『容貌きよげに、丈だち等しきかぎりを選せ給ふ』
というのだ。顔が美しく整い、背丈も同じくらいの者を選んだということで、この選に漏れた者の中には、『恥に愁えへ、嘆きたる好き者』もいたという。
 またこの時の楽人の中にも、二人ほど衛府の官人が選ばれていたという。相当の腕だったのだろう。笙を吹いたのか、あるいは篳篥(ひちりき)を吹いたのか。 
 衛府の官人には、屈強の武人がなるのかと思いきや、踊りや管弦に長けた者がなっていたのだ。中には和歌の達者もいて、それを資格として入った者も多く、特に近衛府はこの傾向が強かった。
 平安時代は、純友や将門の乱を除けば、戦争らしい戦争は、保元・平治の乱までなかった。衛府の官人たちは、すっかり儀式を華やかにする添え物となっていたのだ。
 そういえば、県警のブラスバンドなどがとても見事なのは、その伝統を受け継いでいたのだろう。
 なお、平安京市内の警備は、検非違使(今の裁判官と警察官を兼ねたようなもので、権限は強大であった)が当たっていて、衛門府の官人は多く検非違使を兼ねていた。

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