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源氏物語

おっとり桐壺帝 源氏物語たより639

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     おっとり桐壷帝  源氏物語たより639
 
  光源氏が、里下りしている藤壺宮(以下、宮)と密会したのは、卯月(陰暦四月で、今の五月に当たる)の頃であることは、次の二つの根拠から間違いないといえる。
  一つは、密会が、源氏がわらわ病の治療のために北山に登って若紫を垣間見た少し後に行われたことである。山に登ったのは
  『弥生(同 三月)のつもごりなれば』
とあった。「つもごり」とは、月の終わりの頃という意味である。そして、
  『京の花盛りはみな過ぎにけり。山の桜はまだ盛りにて』
ともあった。確かに今の暦でも四月の終わりでは、桜の時期は過ぎている。山にでも登らなければ桜は見られない。この後、宮に逢っているのだ。
  二つ目の根拠は、二人の密会によって生まれた子(後の冷泉帝)の出産日が翌年の二月であったことである。この十カ月前といえば、やはり卯月ということになる。

  それでは、宮が里(三条院)下りをしたのはいつのことであろうか。文章上にはこれについての記述はないが、如月(同 二月)と推定される。というのは、後に、
  「宮が帝との間の子を妊娠した。出産予定日は師走(同十二月)である」
とあるからである。内裏の者や三条宮の者たちは、二番目の皇子誕生ということで大騒ぎをする。十二月が出産予定ということは、帝が宮と最後に性の交りをしたのは、その十カ月前、つまり二月ということになる。その後、里下りをしたということだ。里下りした理由は「悩み給ふことありて」とあるだけで、何の病であるかは分からないが、源氏と密会するまでに既に二カ月も経っているので、随分長い療養といえる。これほど長期にわたるのでは、帝が
  『おぼつかながり、嘆き聞こえ給ふ』
のも無理はない。
 
  源氏は、宮が里下りしているのを千載一遇のチャンスと捉え、宮付きの女房・王命婦に泣きつき責め立てて、例の「わりない」逢瀬を持ったのである。二人が性的な契りを持ったことは当然のことではあるが、彼の歌でもそれは十分推測できる。
   『見てもまた逢ふ夜まれなる 夢のうちにやがてまぎるるわが身ともがな』
  歌にある「見る」とは、夫婦の関係を結ぶこと、あるいは男・女が契りを結ぶ意にも使われる。歌の意は、
  「今回このように嬉しい契りを結べたとしても、今後はあなたと逢うことなど無理なことでしょう。だったら、この夢のような官能の中に消えてしまいたいものです」
ということである。
  おそらくこの歌は、宮と濃密・官能的な性の行為の最中に、閨の中で詠んだものであろう。行為の後
  『命婦の君ぞ、御直衣などは、搔き集め持て来たる』
とあるからだ。「御直衣など」とあるのが暗示的で、要するに源氏は素裸であったということだ。この場面を読むたびに、源氏物語には珍しく性の匂いが芬芬(ふんぷん)としていて、興奮を禁じ得ない。
  宮は、その七月にいったん内裏に戻る。五カ月も内裏を留守にしていたということだから、随分長い里下りになってしまったものである。

  さて、この里下りの間に宮が妊娠していることが分かる。帝との最後の契りが二月ということなので、出産予定は当然十二月ということになる。ところが、その十二月も何の兆候もなく過ぎていく。一月になってしまったので、さすがに三条宮の人々も
  『この月は、さりとも』
  (いくらなんでも、この月には生まれるであろう)
と待ちわびるのだが、その一月も過ぎていく。世の人たちは
  『御物の怪にや』
と噂する。
  この間の、宮の心配たるや尋常ではない。源氏との間の子に間違いないからである。もしその秘密が公になれば、自分は空しく死んでいくしかない、とまで思い詰めるようになる。そして、なんと予定日を二カ月も過ぎて、
   『如月(同二月)の十余日のほどに、男御子生まれ給ひぬ』
のである。帝も三条宮の人々もこれでほっとし、皇子の誕生を喜び合う。
  しかし、これは全く異常な事態である。にもかかわらず、帝も三条宮の人々も世の人々も
  『御物の怪』
のためということにして、何の疑念も挟むことなく事態を容認してしまう。
  
  私は男なので、妊娠・出産のメカニズムについては全く無知である。そこで妻に「出産というものは、予定日をこんなにも延びてしまうことがあるものなの」と聞いてみた。ところが妻も意外に無知であった。
  「そんなに延びてしまうことはないでしょう」
と言う程度で、「ではどれくらいまでならあり得るのか」とさらに問いただしてみると、
  「私、そんなこと知らないわよ」
と突き放す。これには困ってしまって、「家庭の医学」や何やら引っ張り出して調べていたところ、パソコンに参考になる情報があった。それはある産院の出産予定日と実際の出産日とのずれを出した統計である。
  よく「十月十日」という。言うまでもないが、胎児が母親のお腹にいる期間が「十月と十日」であるということである。この「月」は、28日として計算されている(女性の生理が概ね28日周期であることからきている)。これを日にちで表すと、28日×10カ月=280日と言うことになる(十月十日の「十日」についてはよく分からない)。そしてこれを週で割ると、280日÷7=40となる。この計算によって、通常は妊娠してから40週目に子供が生まれるということである(ここにはいろいろ面倒な計算式があるが)。
  先の産院の統計によれば、三十九週と四十週に65,7%が生まれ、三十七週から四十一週までの間には96、3%が生まれるとある。三十六週以前に生まれてしまうのを「早産」と言い、四十二週以後に生まれるのを「過期産」と言うそうだ。ただしその確率は極めて低い。(以上は、私の無知もあり、相当の過ちがあるかもしれない)
 
  藤壺宮の場合は、出産予定日よりも二カ月も遅れての出産ということになり、実に四十八週目に当たる。これは現実的にはあり得ない。それでなくとも、過期産になると羊水減少や胎盤機能低下をきたしてしまい、幼児の皮膚に異常が出てしまうと言う。これは栄養不良状態から起きるそうだが、宮の栄養不良など考えようがない。
  いくら医療知識のない時代とはいえ、また、物の怪が人々に深く信じられ、人知を超えた現象はみな物の怪のせいとして済ましていた時代とはいえ、あまりに素直すぎ、暢気すぎる人々の反応である。
  さらに信じられないのが、帝である。彼は、男として宮を疑うことはなかったのだろうか。宮は、半年近くの長期にわたって里下りしているのだ。疑う余地は十分あるというのに。宮を盲愛するばかりに、一点の疑念もさしはさむ余地がなかったのだろう。

  誕生後、二カ月経って、皇子が内裏にやって来る。生後二カ月とは思えないほどに成長していて、その顔は驚くほど源氏に似ていた。帝は
  「美しい容貌の者は、互いに似通うものなのだな!」
などと暢気に感動している。そして源氏に向かってこんなことを言うのだから、そのお人好し加減には驚かされる。
  『(源氏を幼い時から見慣れているので、その頃の源氏と)いとよくこそおぼえたれ。いと幼き程は、みなかくのみあるわざにやあらん』
  「おぼえ」とは、似るということで、「小さい時はみなこのようによく似るものなのだろ」と言うのだから、聞いている源氏は、恐怖し恐懼し、また嬉しくもあはれにも感じて顔の色が変わってしまう。読者も、帝のあまりの暢気さ素直さに涙が出てきてしまう。

  帝は、源氏をも盲愛していたから、宮との不倫など毫も考えもしなかったのだろうが、それにしてもうかつすぎる。源氏に末摘花を紹介した大輔の命婦が、帝のそんなところを、源氏にこう言って笑っている。
  『上の(帝が)、(源氏さまのことを)まめにおはしますと、もて悩み聞こえさせ給ふこそ、をかしう思う給へらるる折り折り侍れ』
帝は、源氏のことを「まめ人間」と思っているのだ。そしてこのことは、宮中でも皆知っていて、笑いものにしているようだ。この命婦の言うとおり、確かに我々はこの段階でも、源氏の女好きは何度も見てきている。とても「まめ」どころではない。しかし帝にはそうは映らないのである。可愛い息子盲愛のしからしむるところと言うしかない。

  帝は、この皇子が、宮と源氏の不義の結果であることを全く知らないままにあの世に行ってしまう。帝を、迂闊者、疑うことを知らないお人好しと非難することはたやすい。
  しかし考えてみれば「知らない」ということほど幸せなこともない、というのもまた真実である。帝が二人の秘密を知らなかったがゆえに、源氏も宮も、いろいろなことはありながらも、とにかく安穏な人生を全うすることができたのだ。帝がもしその事実を知ったら・・と考えると身の毛がよだつ。
  ずっと後に、女三宮と柏木の密通を、源氏が知ってしまったことで、柏木は「死」という悲惨な結末を、また女三宮は二十二歳という若さで「尼」という罪業を背負わなければならなかったことを思うと、あの時、源氏が二人の秘め事を「知ってしまった」ことが、いかに罪作りな行為であったか、思い知ることができる。
  現在でも、不倫をはじめとする秘め事が、週刊誌やテレビでしばしば大々的に取り上げられる。しかしスクープされた結果のために当事者の事態が好転したなどという話は寡聞にして知らない。むしろ逆の場合が多い気がする。概ね「おっとり」構えて放っておいた方がよさそうだ。




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