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源氏物語

紫式部の筆の冴え 朱雀院行幸 源氏物語たより643

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     紫式部の筆の冴え(朱雀院行幸の段)  源氏物語たより643

  如月の二十日あまり、朱雀院への行幸があった。陽暦で言えば三月、桜の花は「まだしき」ほどであるが、それでも気の早いつぼみは開きかけている。供奉する百官の袍はみな青色(禁色の麴塵 黄緑色)で、下着は桜襲(表白、裏紅色)という華やかな出で立ちである。それは「まだしき」ほどの桜にもはるかに勝って、行幸に華を添える。
  光源氏ももちろん供奉する。帝と同じ赤色の袍を着ているので、
  『いよいよ一つものと輝きて、見えまがはせ給ふ』
ほどで、源氏か帝かどちらがどちらか見分けも付かない美しさ。

  いよいよ舞が始まった。まずはこの季に相応しい「春鶯囀」が舞われる。
  かわらけ(盃)を回しながら、源氏、院、帥の宮、そして帝と順繰りに歌が詠われていく。回想の歌、春の到来を喜ぶ歌、世の栄えを寿ぐ歌、そして最後は帝の謙遜の歌である。儀礼的な歌ばかりではあるが、行幸に相応しい華やかで浮き立つものである。それはすべての歌に鶯が詠み込まれているからであり、その中に花や霞や笛の音が踊っているからであろう。
  そしてやがて管弦になる。音楽を奏している所(楽所)は遥か遠いので、物足りなく思ったのだろう、帝は琴類を取り出して、帥の宮には琵琶を、内大臣(かつての頭中将)には和琴(六弦)を、院には筝の琴(十三弦)を、源氏には琴(七弦)を賜る。いずれもその道の名手によるものなので、たとえようもなく美しい音が奏でられる。取り巻く殿上たちは、その演奏に合わせて唱楽する。「安名尊(世のめでたさを寿ぐ催馬楽)」や「桜人(男女が掛け合う愉快な催馬楽)」が唄われる。そして、
  『月おぼろにさし出でて、をかしきほどに、中島のわたりにここかしこ篝火灯して、大御遊(おほみあそ)びはやみぬ』
という情景をもって、長時間に及ぶ盛大な宴は終わる。
  平安人の雅にして華麗、そして平穏にして爛熟した文化の粋を夢の中に見るような風情である。まるで絵巻の世界だ。

  ところが、夜が更けて行幸の帰りの場面になると、情況は一変する。帝は
  『かかるついでに』
と、大后(かつての弘徽殿女御)が、朱雀院(三条と四条の間、朱雀通り西側に面した仙洞御所。八町~三万六千坪余~にわたる敷地)敷地の中に住んでいられるので、そのまま通り過ぎてしまうわけにもいかず、見舞うことにした。源氏もお供する。
  大后はもう五十七、八歳になられる。現在で言えば八十近いであろうか、すっかり年老いてしまった大后を見て、源氏はしみじみ思う。
   「こんなに長生きする人もあれば、藤壺宮のように三十七歳の若さで亡くなってしまう人もある。なんとも残念なことではないか」
  大后を見舞った帝は、儀礼的な挨拶の後、
  「これからも時々お伺いすることにします」
と申し上げる。源氏も『さるべきさま(しかるべき適当な)』の挨拶をした後
  『ことさらに、さぶらひてなん』
と申し上げる。「いずれ改めてお見舞い致しましょう」という意味である。そして、
  『のどかならで、帰らせ給ふ』
のである。帝と源氏が、賑わしく豪勢に帰って行く姿を目の当たりにして、大后の気持ちはさすがにおだやかでない。
  『いかに思し出づらん。世を保ち給ふべき御宿世は、消たれぬものにこそ』
  (源氏は昔のことをどう思っているのだろうか。もともと政権を握られるような宿世を持っている人は、やはり容易に消せるものではなかったのだ)
と嘆く。
 
  華麗で雅な宴は一転して、背筋も凍るような刺々しい場面へと移って行く
  そもそも二人が大后を見舞ったのは「ついで」なのである。もとより心から見舞う気持ちなど微塵もない。恰好がつかないからと世間体を慮っただけの「御見舞い」なのである。
  しかも、年老いた大后を一瞥するや、藤壺宮を思い出すという源氏の失礼。そして「こんな人がいつまでも長生きしていて、あの理想的な藤壺宮が若くして亡くなるとは、なんと残念なことか」と心中嘆く不遜さ。
  また、帝は「またまたも(折々見舞いをする)」と言い、源氏も「さらにさぶらひてなん」と言うのだが、しかし彼らが再びこの大后を見舞うことなどありえないことで、まさに儀礼的な挨拶言葉に過ぎない。
  そして「のどやかならで(そそくさ、あたふたと)」大后の元を去って行く。その様は百官にかしずかれ守られての大層な威勢なのだから、大后とすればやりきれない。彼女の敗北のつぶやきが哀れに空しく響く。
  かつの政敵・源氏が流謫先から召喚され、あっという間に権大納言となり、とんとん拍子に出世していく様を見て、彼女はこう言っていたものである。
   『つひに消たずなりぬること』
  源氏が須磨に流れて行った時は、源氏を「消す」には絶好のチャンスであった。ところがそのチャンスを彼女は生かすことができなかった。今でも大后は源氏を消し去ることができなかったことを悔いそして怨みに思っているのだ。しかしながらそれも源氏の持つ稀有な宿運があるゆえにいかんともし難い、と悔しがるのだから、なんという暗鬱な光景であることか。
 
  行幸という明から、暗鬱・無惨な死闘へと変転する場面転換は、紫式部の筆の冴えというしかない。
 
  この段で注目すべき事柄がいくつかある。
  その一つは、実に不可解な事象をこの段に設定しているということである。晴れやかな行幸だというのに、その宴たけなわ、なんと「省試」が行われるのである。「省試」とは、大学寮の学生に課す試験のことで、これに受かると文章生(進士とも言う)になれる。実はこの「省試」は源氏の息子・夕霧のために行われたものだった。夕霧は既に「寮試」には受かっていて擬文章生になっている。彼は、とにかく努力家であるとともに、天性の才能の持ち主であった。あの膨大な『史記』を二、三ヶ月でマスターしてしまったという。
  それにしても、そんな試験がこの晴れがましい場になぜ持って来られたのだろうか。
  それはおそらく夕霧の非凡な才能を満天下に知らしめることが目的だったのではなかろうか。そしてそのことは源氏の威光をますます輝かせることに繋がって行く。
  朱雀院は志半ばにして帝位を去ってしまった。それは源氏の天賦の能力や威厳に屈したからである。つまり、院もその母である大后も、源氏の能力・才能や威厳には及びもつかないということである。それをより明瞭にするために、夕霧を借りて場違いな「省試」をここに設定したものと考えられる。
  
  もう一つ目を引くのは、先の詠歌が四人だけで終わってしまっていることである。そこには内大臣の歌さえない。この事について語り手はこう言っている。
  『これ(宴の歌)は、御わたくしざまに、うちうちのことなれば、あまた流れずやなりにけん。また書き落としてけるにやあらむ』
  「宴の歌は、私的なことなので四人だけで止まってしまって、他の人々には回って行かなかったのかもしれない。あるいはもっと他にも歌があったかもしれないが、書き落としてしまったのかもしれない」と、とぼけているのである。
  これが紫式部得意の「省筆」である。省筆は、源氏物語全編ではなんと四ケ所で使われている。「頭が痛いから書くのをやめた」とか、「忘れてしまったから・・」とか「うるさければなん・・」などと言っては筆を留めてしまう。時には
  『珍しからぬこと書きおくこそ憎けれ』
とまで言っている。『宇津保物語』などが、平気で十数首も歌を羅列していることと対照的である。あるいは、この言葉の中には、清少納言批判があるかもしれない。清少納言は、さしたることでもないのに、「をかし」「をかし」と言っては、もの・ことを書き連ねている。それに対して紫式部は『紫式部日記』の中でこっぴどく非難している。なんにでも無節操に興味を示す浮かれを厭い、冗長になることを戒めているのである。

  しかし、この場面での「書き落とす云々」は、それとはいささか趣を異にしている。
  それでは、もう一度四人の歌を振り返ってみよう。源氏は、桐壷帝時代の盛儀を回想している。院は、自分の所にも春を運んでくれたこと(帝が来てくれたこと)の感謝を詠っている。帥の宮は、今の世の盛儀は、昔と少しも変わっていないと冷泉帝の治世を賛美している。帝はその褒め言葉に対して謙遜をもって応えている。
  そして草子地は
  『鮮やかに奏しなし給へる用意、殊にめでたし』
と帥の宮の行き届いた配慮に特別な賛辞を送っている。本来この帥の宮の歌に尽きるのだが、それでは華やかな宴にはあまりに物足りなく寂しいということで、他の三人を加えたと言ってもいいかもしれない。
  実は行幸も管弦も歌も「省試」もどうでもよかったのだ。現在の時世のすべての盛儀は、光源氏の力があったがゆえであることさえ語りつくせれば、それで十分であったのだ。つまり、源氏の栄華・栄光や盛儀と大后の凋落の哀れを対比して描くことにこそ、この段の目的があったということである。
  源氏と帝が、大后を見舞った後、彼女のあれこれが語られる。大后の世の中に対する不平・不満ややっかみ、あるいは飽くなき欲望が語られ、そしてその「さがなさ(ひね曲がった性格)」もこれでもかというほどに綴られていく。
  
  ところで、この「省試」には、十人の優れた擬文章生が選び抜かれていたのだが、夕霧は異彩を放っていて、わずか三人の合格者の中に入った。そして、
  『秋の司召しにかうぶりえて(五位に叙せられること)、侍従になり給ふ』
のである。源氏の栄華に極まりはなく、大后の凋落はなはだしい家門とは雲泥の差である。
 
  物語(文章)においては、提示された事象はすべて主題に関わっていなければならない。そしてそれらの全てが最終的には主題に向かって収束されていく必要がある。したがって余計なもの無駄なもの冗長なものは省かれなければならない。
  一見、物語上でどういう意味を持っているのか不可解に思われた「省試」も、光源氏の栄光・威光と大后の凋落に深く関わるものであった。最初の上達部たちの華麗な出で立ちも、源氏讃美に異ならない。
  源氏物語には、全ての事象が緊密に関係しあっていて、無駄や余計や冗長なものがない。もし「首をかしげる」ような事柄があったとしたら、それは読者の読みの浅さに由来していると考えるべきである。


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