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源氏物語

掛詞こだわり症候群 源氏物語たより646

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     掛詞こだわり症候群   源氏物語たより646

  光源氏と朧月夜は二人示し合わせて、こともあろうに五壇の修法が行われている夜に、弘徽殿の殿舎で密会をする。五壇の修法とは、壇を設けて不動明王を中心に五体の明王を据え、国家安穏、天皇の病気平癒、国家・国民の繁栄(増益)、あるいは和合・親睦(敬愛)などを祈願するもので、国家的行事である。当然天皇も参加する。
  朧月夜は、この夜は天皇がそちらに出てしまうので、男と逢うには絶好の機会と判断したのだろう。夫の留守を狙って男に逢う、それだけ考えても、朧月夜は、情熱的積極的で奔放な女性であることが分かる。彼女はおそらく薬師寺の「吉祥天像」のような豊満な官能的な肢体の持ち主であったのだろう。この夜、二人は目くるめく歓喜の時間を堪能し尽くしたはずである。

  しかし、どんなに官能の快楽に酔い痴れた夜といっても、いずれは明ける。案の定、近衛の夜警の官人が時を知らせるべく回ってきて、
  『寅一つ』
と告げている。
  「寅」とは、昔の時刻の名の一つで、午前四時ごろを指す。ただし当時は一刻を二時間としていたから、寅は午前三時から五時までの間を言った。この場合には、その寅に「一つ」が付いている。一刻(二時間)を四つ(三十分刻み)に区切ったからだ。つまり、「寅一つ」は、その最初の、三時から三時半までを言う。
  今でも落語や講談に出て来る「草木も眠る丑三つ時」がそれに当たる。「丑」は午前二時(一時から三時までの二時間)で、その三つということだから、午前二時から二時半までということになる。人はみな寝静まって魑魅(ちみ)妖怪の出没する時間が、「丑三つ時」なのである。

  夜警の官人の声を聞いた朧月夜は、こんな歌を源氏に詠み掛ける。
  『心からかたがた袖を濡らすかな あくと教ふる声につけても』
  「心から」は「人のせいでなく、自分から」ということで、全体の意味は
 「自ら求めたことではありますが、夜が明けるという夜警の声を聞くにつけましても、あれやこれや辛く悲しい恋の思いに涙で袖が濡れて仕方ございません」
となろう。
 
  ところで、この歌には「掛詞」が使われていると言うのだが、見つけ出せるだろうか。答えは「あく」である。この「あく」を、ほとんどの解説書や訳本が「明く」と「飽く」とが掛けられていると解釈している。つまり「夜が明ける」と「あなたが私を飽きる」という意味が掛かっているということであるが、果たしてそうだろうか。
  例えば小学館の「日本の古典」は、訳の最後に
  「あなたがこの私を飽きるというふうに聞えて」
と付け加えているし、岩波文庫の「日本古典文学大系」は、「『明く』に『飽く』を掛けている」とわざわざ注釈している。角川書店の「源氏物語評釈」は全文を上げておこう。
  「『あく』と教えるあの声、夜は明け、あなたはあきていられると教えるあの声を聞くにつけても、自分から選んだ道ながらあれこれ泣かれてなりません」
  このようにすべての解説書が「あく」を、「明く」と「飽く」の掛詞として、何の疑いも持たずに決めかかっているのである。祥伝社の「謹訳源氏物語」(林望訳)などは
  「私の恋心ゆえに、あれこれと物思いして袖を濡らしております。ああやって、夜が明くと教える声をきくにつけましても・・・だって、あなたがもうこの恋に飽くと聞こえるのですもの」
と訳し、御丁寧にも「明く」と「飽く」の上に点(ヽ)を付けている。

  しかし、源氏が朧月夜を飽きたなどということが、物語のどこに書かれているというのだろうか。この段階で源氏が、この恋に飽きてしまっているなど、とうてい考えられないことである。そもそも飽きているのに、弘徽殿に入り込んで恋の饗宴を繰り広げるなどという危険を冒す男が、この世にいるだろうか。朧月夜にしても、そういう危険を冒してまで自分を求めている源氏を「私のことを飽きていられるのではなかろうか」などと考えるはずはないのである。
  それに二人の恋は、この「賢木」巻の最後にも再登場する。しかも、この時も「こともあろうに」右大臣(朧月夜の父)の邸で逢瀬を持っているのだ。飽きた女と、その女の家で逢うはずはない。
  結局、大胆にして危険すぎるこの逢瀬は、左大臣に見つけられてしまい、源氏は京を離れ、須磨でのわび住まいを余儀なくされる結果になる。
  そんな辛く苦い思いをした相手でも、彼は須磨からちゃんと手紙を送っている。
  『こりずまの浦のみるめもゆかしきを 塩焼く海士はいかが思はん』
 (懲りもしないで今でもあなたに逢いたいと恋い慕っている私を、塩焼く海士はどんなふうに思って見ているだろうか)
という歌で、苦い経験などどこ吹く風、懲りもせず朧月夜との逢瀬を訴え続けている。この歌からも、朧月夜を「飽きた」などという気持ちは一切読み取ることはできない。二人はまさに熱愛中なのである。そして二人の関係は、十五年後まで続いて行く。
  したがって、先のような掛詞の解釈が出るはずはないのである
  私は円地文子(新潮社)の訳が最も妥当であると思っている。それは
  「夜が明けると教える声を聞くにつけても、我が心から別れが惜しく袖を濡らします」
というもので、これで十分意を尽くしているし、実に爽やかで明快で端的である。源氏物語の訳文を読むなら、円地文子のものが最高であると、私はいつも思っている。
 
  円地の訳のように、この歌は後朝(きぬぎぬ)の辛く悲しい別れを詠っているのである。恋する者にとって、夜明けほど辛いものはない。古歌には、これを題材にして詠われたものがいかに多いことか。百人一首にもある。
  『明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな  藤原道信』
  「朝になればまた夜がやって来る。だから今夜もあなたに逢えることは分かっている。でもやっぱり別れなければならないこの朝ぼらけほど恨めしいものはない」という意味で、別れの辛い心情がよく出ている歌である。恋する者は皆こうなのだ。
  学者や訳者は、掛詞に拘りすぎている。彼らは鵜の目鷹の目で掛詞を探す。うっかり見落とすと大変!とばかり強迫観念に駆られて探し回っているのだろう。あるいは、掛詞の講義で失敗したことがあり、トラウマになっているのかもしれない。
  こうなってしまうもう一つの理由に、「贈答歌の決まり事(ルール)?」みたいなものがある。男の歌に対して、女は反対の(心にもない)感情や意思をもって応えるというものである。ただしこの場面では朧月夜が先に男に歌を詠み掛けているのだから、このルールに拘る必要はない。

  掛詞に拘りすぎるという傾向は、「引歌」でも言える。わざわざ引歌としなくてもその意図は容易に伝わるというのに、やれ「万葉集から引いたものである」とか「古今集からである」とか「拾遺集からである」とか、鬼の首を取ったように詳しく執拗に説明を加える。
  その引歌が分からなければ物語の解釈が不十分になってしまう場合とか、また古歌のイメージを重ねることによって、本文の詩情をますます深めることができるという場合でなければ、無視するか軽く扱っていいのではなかろうか。
  これについてはまた後に述べることにするが、掛詞は一種の言葉の遊びである。掛詞と捉えないと歌の詩情を深くつかむことができないのならとにかく、そうでないのなら、あまり拘ることもない。まして掛詞に拘りすぎて物語の本旨を誤ってしまうのでは問題は大きいと言わなければならない。


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