源氏物語
光源氏の魅力 源氏物語たより648
光源氏の魅力 源氏物語たより648
光源氏の魅力については今更言うまでもなく、その容貌はもとよりあらゆる分野において傑出した能力・才能を持ち、いかなる人物の追従をも許さない。
そんな源氏を語り手は徹底的に褒めあげる。あまりに褒めすぎて後ろめたさを感じたのだろう、『賢木』の巻でこんな弁解している。
藤壺宮の御八講に当たって参会の人々が次々登場する。皇子たちも捧物をささげて仏の周りを巡っている(行道)。しかしそれらの人々と比べると
『大将殿の御用意など、なほ似るものなし。常に同じやうなれど・・』
「源氏さまの心構え・有様は、他のどなたとも比べようもないほどに勝れていらしゃる。いつも同じように源氏さまを礼賛ばかりしてしまうのですが・・」というわけである。とにかく源氏のやること為すことすべてに褒め言葉を並べるのだから、さすがの語り手も気が咎めるので、こんな弁解がましい言葉が出てきてしまうのだ。
ところが、その弁解の舌も乾かぬうちに、結局結びは次のようになってしまう。
『見奉るたびごとに珍しからむをば、いかがはせん』
「源氏さまは見申し上げるたびに、礼賛したくなるほど優れていらっしゃるのだから、こればかりはどうにもなりませんわ」という開き直りで、「いかがはせん」と言われてしまったのでは、誰も文句の付けようがない。
私は、源氏の能力・才能のうちでも、「弁舌」の才が最も優れているのではないかと思っている。彼の教育論、音楽論、絵画論、物語論、香道論、女性論などは、いずれもまさに「なほ似るものなし」と言えるレベルの高さである。弁舌が爽やかなうえにその論理の確かさ、意味深さはたとえようがない。
その中でも、相手の気持ちを浮き立たせる能力には比類ないものがある。これが、彼が女性を籠絡する時の有力な武器になっているのである。空蝉との初会の時に
「あなたのことははるか以前からずっと心に懸けておりました。このような機会が訪れることを待ち望んでいたのです」
というのである。もちろん今まで空蝉のことなど知りもしないし(噂には聞いていたようだが)全くの「初会」である。平凡な男の言葉だったら、「心にもない嘘八百を・・」と取られてしまうのだが、なにしろあの源氏さまがおっしゃるのだ。しかも彼は「情けなさけしう」言うものだから、真実味が加わり、言われた女性は舞い上がってしまうこと請け合いである。
空蝉に対しては『関屋』の巻でもこの武器を使っている
源氏が、流謫の境涯から都に復帰できたことも含めて、大行列を仕立てて石山寺に願ほどきに出かける。一方、常陸の介(かつての伊予の介)も、任終えて空蝉ともども、これも大行列を仕立てて帰って来る。この二つの大行列が、なんと逢坂の関で鉢合わせしてしまう。
この時、源氏は次のような手紙を空蝉に贈る。
『(私の)今日の御関迎へは、え思ひ捨て給はじ』
「私が今日わざわざこうしてあなたを関までお迎えに上がった誠意は、いくらなんでも無視することはできないでしょう」という意味であるが、源氏は自分の願ほどきに来ただけであって、ここで出くわしたのは全くの偶然でしかないのだ。にもかかわらず「私の御関迎へ」と言う。しかし言われた空蝉にすれば、悪い気はしない。少なくとも自分に対して心を掛けていてくれたのだと思うだろうから、嬉しくないはずはない。
軒端荻にも梅壺女御にも朝顔にも、この武器を使って歓心を買ってきた。ただ空蝉は最後まで源氏に靡こうとはしなかった。心の中では、
「このように夫ある身でなく、独り者の時に源氏さまから声を掛けられていたのだったらどんなに嬉しいことであったか・・」と悔やんではいるのだが。
この武器は、源氏がずっと年寄るまで「宝刀」として使われていく。
五条のごみごみした狭い屋敷でなく、しっとりとしたところでしめやかな逢瀬をもちたいと夕顔を六条の廃院に連れ出した時に、お供をしたのが女房の右近である。右近は
『艶なる心地して』
美しい二人の道行に、うきうきしながら同道する。ところがその夜、夕顔は急死してしまう。主のいなくなった右近は、「秘密の保持」という源氏の思いもあって、二条院に引き取られる。
夕顔のことをひと時とて忘れることのない右近は、その忘れ形見である玉鬘を何とか見つけ出そうと、効験あらたかな長谷観音に長年願をかけ続けていた。
そして、夕顔が亡くなってから十八年後、ついに長谷観音に近い椿市という町の宿で、偶然にも玉鬘一行と遭遇する。
源氏も、以前から夕顔の娘を探し出せないものかと願っていて、そのことを右近に伝えていた。
右近は、玉鬘発見の報告をすべく六条院に急いで赴く。源氏を前にして、その顛末を知らせようとすると、源氏はこんな戯れごとを言いかかる。
『など里居は久しくしつる。例ならずや。まめ人の引きたがえ、こまがへるやうもありかし。をかしきことなどありつらん』
(どうして里下りがこんなに長くなったのか。いつもと違うではないか。まじめ人間だと思っていたのに、それとは反対に「こまがへる」ようなこともあるのだなあ。さぞ良いことでもあったのだろうよ)
「こまがへる」とは、若返って、好色に乱れるということである。
右近の歳は分からないが、おそらく源氏と同い歳くらいであろう。というのは、源氏と夕顔の例の道行を「艶なる気持ち」で見ていたのだから、あの当時は、源氏と同じく若かったはずである。
あの時、源氏は十七歳。それから十八年も経過しているので、右近も三十五、六歳にはなっていよう。三十歳半といえば、当時はすっかり年増で、「恋」などとは縁遠いお年ごろである(源氏は別だが)。
ところが、源氏は、そういう右近に向かって、「こまがへる」と言い、「何か良いことがあったのだろう」と言う。もちろん戯れごとではあるが、言われて悪い気はしない。人は誰でも他人から若く見られたいものだからである。「恋などする御歳・・」と言われれば、何か心がくすぐられるものだ。ましてあの光源氏さまから言われるのだから、年増も有頂天になってしまうのも道理と言えよう。右近は源氏の戯れごとに対して
『(この邸を)まかでて、七日に過ぎ侍れど、(私などに)をかしきことは侍りがたくなん』
と真面目に答える。しかし彼女の心の内は、鬱勃として嬉しさをかみしめていたのではなかろうか。
源氏は、このように人を舞い上がらせる戯れごとを言う能力を、天性として持ち合わせていた。しかもそれを愛嬌たっぷりに情けなさけしく言いかかるというのだから、言われた者は舞い上がる。これは誰にも真似のできない芸当であり魅力である。
しかし、人の心をくすぐり和ませる、そして何かその気にさせ、生きることに意欲を持たせるそんな能力を、現代人も磨く必要があるのではなかろうか。以前、今は亡き元文部大臣・町村氏の挨拶を聞いたことがある。ほんの五、六分の話ではあったが、聞く者の気持ちを高揚させ、みんなが類ない資質を持っているかのような錯覚を起こさせてしまった。四角四面にありきたりの挨拶を真面目くさって言うばかりでは、世の中味気ない。ぎすぎすした現代では、源氏ほどではないとしても、相手の心を高めるそんな話術を身に付ける必要が特にありそうだ。
光源氏の魅力については今更言うまでもなく、その容貌はもとよりあらゆる分野において傑出した能力・才能を持ち、いかなる人物の追従をも許さない。
そんな源氏を語り手は徹底的に褒めあげる。あまりに褒めすぎて後ろめたさを感じたのだろう、『賢木』の巻でこんな弁解している。
藤壺宮の御八講に当たって参会の人々が次々登場する。皇子たちも捧物をささげて仏の周りを巡っている(行道)。しかしそれらの人々と比べると
『大将殿の御用意など、なほ似るものなし。常に同じやうなれど・・』
「源氏さまの心構え・有様は、他のどなたとも比べようもないほどに勝れていらしゃる。いつも同じように源氏さまを礼賛ばかりしてしまうのですが・・」というわけである。とにかく源氏のやること為すことすべてに褒め言葉を並べるのだから、さすがの語り手も気が咎めるので、こんな弁解がましい言葉が出てきてしまうのだ。
ところが、その弁解の舌も乾かぬうちに、結局結びは次のようになってしまう。
『見奉るたびごとに珍しからむをば、いかがはせん』
「源氏さまは見申し上げるたびに、礼賛したくなるほど優れていらっしゃるのだから、こればかりはどうにもなりませんわ」という開き直りで、「いかがはせん」と言われてしまったのでは、誰も文句の付けようがない。
私は、源氏の能力・才能のうちでも、「弁舌」の才が最も優れているのではないかと思っている。彼の教育論、音楽論、絵画論、物語論、香道論、女性論などは、いずれもまさに「なほ似るものなし」と言えるレベルの高さである。弁舌が爽やかなうえにその論理の確かさ、意味深さはたとえようがない。
その中でも、相手の気持ちを浮き立たせる能力には比類ないものがある。これが、彼が女性を籠絡する時の有力な武器になっているのである。空蝉との初会の時に
「あなたのことははるか以前からずっと心に懸けておりました。このような機会が訪れることを待ち望んでいたのです」
というのである。もちろん今まで空蝉のことなど知りもしないし(噂には聞いていたようだが)全くの「初会」である。平凡な男の言葉だったら、「心にもない嘘八百を・・」と取られてしまうのだが、なにしろあの源氏さまがおっしゃるのだ。しかも彼は「情けなさけしう」言うものだから、真実味が加わり、言われた女性は舞い上がってしまうこと請け合いである。
空蝉に対しては『関屋』の巻でもこの武器を使っている
源氏が、流謫の境涯から都に復帰できたことも含めて、大行列を仕立てて石山寺に願ほどきに出かける。一方、常陸の介(かつての伊予の介)も、任終えて空蝉ともども、これも大行列を仕立てて帰って来る。この二つの大行列が、なんと逢坂の関で鉢合わせしてしまう。
この時、源氏は次のような手紙を空蝉に贈る。
『(私の)今日の御関迎へは、え思ひ捨て給はじ』
「私が今日わざわざこうしてあなたを関までお迎えに上がった誠意は、いくらなんでも無視することはできないでしょう」という意味であるが、源氏は自分の願ほどきに来ただけであって、ここで出くわしたのは全くの偶然でしかないのだ。にもかかわらず「私の御関迎へ」と言う。しかし言われた空蝉にすれば、悪い気はしない。少なくとも自分に対して心を掛けていてくれたのだと思うだろうから、嬉しくないはずはない。
軒端荻にも梅壺女御にも朝顔にも、この武器を使って歓心を買ってきた。ただ空蝉は最後まで源氏に靡こうとはしなかった。心の中では、
「このように夫ある身でなく、独り者の時に源氏さまから声を掛けられていたのだったらどんなに嬉しいことであったか・・」と悔やんではいるのだが。
この武器は、源氏がずっと年寄るまで「宝刀」として使われていく。
五条のごみごみした狭い屋敷でなく、しっとりとしたところでしめやかな逢瀬をもちたいと夕顔を六条の廃院に連れ出した時に、お供をしたのが女房の右近である。右近は
『艶なる心地して』
美しい二人の道行に、うきうきしながら同道する。ところがその夜、夕顔は急死してしまう。主のいなくなった右近は、「秘密の保持」という源氏の思いもあって、二条院に引き取られる。
夕顔のことをひと時とて忘れることのない右近は、その忘れ形見である玉鬘を何とか見つけ出そうと、効験あらたかな長谷観音に長年願をかけ続けていた。
そして、夕顔が亡くなってから十八年後、ついに長谷観音に近い椿市という町の宿で、偶然にも玉鬘一行と遭遇する。
源氏も、以前から夕顔の娘を探し出せないものかと願っていて、そのことを右近に伝えていた。
右近は、玉鬘発見の報告をすべく六条院に急いで赴く。源氏を前にして、その顛末を知らせようとすると、源氏はこんな戯れごとを言いかかる。
『など里居は久しくしつる。例ならずや。まめ人の引きたがえ、こまがへるやうもありかし。をかしきことなどありつらん』
(どうして里下りがこんなに長くなったのか。いつもと違うではないか。まじめ人間だと思っていたのに、それとは反対に「こまがへる」ようなこともあるのだなあ。さぞ良いことでもあったのだろうよ)
「こまがへる」とは、若返って、好色に乱れるということである。
右近の歳は分からないが、おそらく源氏と同い歳くらいであろう。というのは、源氏と夕顔の例の道行を「艶なる気持ち」で見ていたのだから、あの当時は、源氏と同じく若かったはずである。
あの時、源氏は十七歳。それから十八年も経過しているので、右近も三十五、六歳にはなっていよう。三十歳半といえば、当時はすっかり年増で、「恋」などとは縁遠いお年ごろである(源氏は別だが)。
ところが、源氏は、そういう右近に向かって、「こまがへる」と言い、「何か良いことがあったのだろう」と言う。もちろん戯れごとではあるが、言われて悪い気はしない。人は誰でも他人から若く見られたいものだからである。「恋などする御歳・・」と言われれば、何か心がくすぐられるものだ。ましてあの光源氏さまから言われるのだから、年増も有頂天になってしまうのも道理と言えよう。右近は源氏の戯れごとに対して
『(この邸を)まかでて、七日に過ぎ侍れど、(私などに)をかしきことは侍りがたくなん』
と真面目に答える。しかし彼女の心の内は、鬱勃として嬉しさをかみしめていたのではなかろうか。
源氏は、このように人を舞い上がらせる戯れごとを言う能力を、天性として持ち合わせていた。しかもそれを愛嬌たっぷりに情けなさけしく言いかかるというのだから、言われた者は舞い上がる。これは誰にも真似のできない芸当であり魅力である。
しかし、人の心をくすぐり和ませる、そして何かその気にさせ、生きることに意欲を持たせるそんな能力を、現代人も磨く必要があるのではなかろうか。以前、今は亡き元文部大臣・町村氏の挨拶を聞いたことがある。ほんの五、六分の話ではあったが、聞く者の気持ちを高揚させ、みんなが類ない資質を持っているかのような錯覚を起こさせてしまった。四角四面にありきたりの挨拶を真面目くさって言うばかりでは、世の中味気ない。ぎすぎすした現代では、源氏ほどではないとしても、相手の心を高めるそんな話術を身に付ける必要が特にありそうだ。
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