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源氏物語

驚愕藤壺中宮の出家 源氏物語たより650

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      驚愕の藤壺中宮出家   源氏物語たより650

  藤壺中宮は、十二月十日余の日、御八講を行う。亡き桐壷院や母后などの追善供養のためである。この法会では、朝夕二座ずつ四日間にわたって法華経八巻の講説が行われ、仏が讃えられる。三日目は、桐壷院の追善であり五巻の中の日にも当たるので、特に優れた講師を選んで行われる。また、今は右大臣全盛の時代なので、人々はそれを憚って参会するのを控えていたのだが、さすがに中宮主催の法会の中の日というのでは、ということで大勢の上達部が参会する
  そして、御八講の最後の日に、中宮はご自身の結願として、突如出家の旨を仏に申しあげた。参会の人々はあまりのことに驚き呆れる。中宮の出家など過去の歴史にあったのだろうか。宮の兄である兵部卿宮は、あまりの出来事に法会の途中にもかかわらず、中宮の御簾の中に入り込み、その真意を確かめるとともに翻意を促すが、中宮は
  『心強うおぼしたつさま宣たまひて』
  (気強く出家の決心のほどをおっしゃって)
比叡山の座主を召し、受戒なさる旨を伝えてしまう。そして、伯父に当たる横川の僧都に髪をバッサリ切ってもらう。邸の中は大騒ぎで泣きわめく。参会の人々や親王たちも、散会後、涙に濡れつつ三々五々家路に向かう。

  中でも最も驚いたのは、もちろん光源氏その人である。彼は人々がみな帰ってしまった後まで残り、どうして突如出家など思い付いたのかと問い詰める。それに対して、宮は王命婦を通してこう応える。
  『今始めて思ひ給ふることにもあらぬを。もの騒がしきやうなりつれば、心乱れぬべく』
  (今はじめて思い立ったことではございませのに。ただ前もって出家の意志を漏らしたりすると、みなさんが大騒ぎをすることでしょう。そうなると自分の決心が揺らぐといけませんから)
  その時、風が激しく吹いてきて、宮がいられる御簾の内の匂いが奥ゆかしく香って来る。それとともに、源氏の匂いも香り合って、あたかも極楽を思わせる夜の様となる。
  しかし、源氏にとっては極楽どころではない。どうしても宮の出家に納得がいかず、こんな歌を詠いかける。
  『月のすむ雲居にかけて慕ふとも このよの闇になほや惑はむ』
  「月の澄み渡る真如(仏道)の世界を慕って出家なさったとしても、やはり『このよの闇』に悩まれるのではないでしょうか」という意味である。

  源氏は、彼ゆえの宮の出家であることに全く気付いていない。
  実は、先ごろ源氏は、宮と三度目の逢瀬を持つべくわりない行動に出て、宮から厳しく拒否されているのだ。宮は、源氏との不義がこのまま続けば、いずれは世の知るところとなろう。そうなれば
  「わが身のことはとにかくとして、春宮にどのような災いが起こるか分からない」
とそれを怖れて、源氏の求愛を厳しく拒絶したというのに。源氏は、宮恋しさに溺れてしまって、前後の判断や理性を失っている。もし彼が春宮のことに思い及ぶならば、この歌は決して詠まれなかったはずである。
  「このよの闇」とは、「この現世の闇」と「子のための闇」とが懸けられている。この場合の「子」とは、もちろん春宮(後の冷泉帝)のことを指している。春宮は、宮と源氏の間の秘密の子である。その子の将来の安穏を思ってこそ出家したのである。それなのに源氏は
  「あなたが仏道の世界に入られても、やはり『春宮のこと』に迷わされて、まともに仏道に精進できないのではないでしょうか」
と的外れなことを言っている。あまりの認識不足、思慮不足と言うしかない。
  彼は、二人の関係が世に漏れた時の恐ろしさを自覚していないのだ。しかも今は右大臣の天下であることも彼の認識から欠落している。そもそも右大臣は、鵜の目鷹の目で娘・弘徽殿大后の敵である源氏(あるいは中宮)の失策を狙っているのだ。中宮と臣下の不義などは歴史的にもないことで、空前のスキャンダルになる。
  宮にとって、春宮が即位することは絶対の条件なのである。もし源氏とのことが世に漏れれば、二人は破滅の人生を辿るしかない。が、そのことよりも、宮が言うとおり、二人の問題では済まず、春宮の即位が泡と消えてしまうこと、火を見るより明らかである。
  今まで源氏は、何事にも配慮の行き届いた洞察力のある人間として描かれてきた。ところが「恋」というものが彼の理性を狂わせてしまった。
  彼はその日悄然として二条院に帰っていく。しかしそこでも彼の認識は甘く浅い域を脱していない。
  『(宮は)世の憂さに堪えず、かく(尼に)なり給へれば』
という程度なのである。「宮が出家したのは、この世の中の憂さ(夫・桐壷院を亡くし、時は右大臣の天下になっているなど)を辛く思って出家した」ということで、自分の強引な求愛がこういう結果を招いたのだということに、つゆも思い至っていない。
 
  いずれにしても、源氏は、彼の生きる根源であり理想の美の具現者であり、また恋の対象である、いわばアフロディテのような存在を喪ってしまった。少なくとも、尼になってしまったのではもう恋の対象たるを得ない。
  恋ほど怖いものはない。
  ただ、宮の敢然たる出家のおかげで、春宮は五年後、即位することができたのだが。また幸運なことも宮の出家によって二人の秘密も闇の中に消えていく。

  しかし、源氏は宮との恋の破れにもかかわらず、「懲りずまに」またもわりなき恋を繰り返していく。今度の相手は朧月夜である。「懲りずまに」とは、古今集の次の歌から引いている。
  『懲りずまにまたもなき名は立ちぬべし 人にくからぬ世にし住まへば』
  この歌の「人」は、一般的には「恋の相手、つまり個人的な女性を指していると捉えられていのだが、私は「この世の人(女)すべて」を指していると思っている。「そういう魅力的な女性が多いこの世に住んでいるから、懲りもせずにまた恋をしてしまう」という意味にとった方が、歌の持つ内容が深くなると思う。
  ただ、この恋は、源氏に本当の破滅を招いてしまうことになる。二人の仲は、右大臣の知るところとなり、源氏は京を去り、須磨に退いて行くことを余儀なくさせられるのである。
  二年半後、無事京に戻ることはできたとはいえ、恋ゆえの身の破滅であることに変わりはない。帰京できたことがむしろ奇跡なのである。
  あれほど判断力が鋭く洞察力に満ちた源氏でも、恋に溺れてしまうと身の破滅も厭わなくなるようである。「恋の山には孔子の倒れ」と言うことわざもある。聖人中の聖人・孔子にして、恋のためには盲目になるという意味である。
  まして「好き」の道のオーソリティー・光源氏では、その恋を咎めることの方が、無理ということなのかもしれない。
 


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