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源氏物語

宿曜の占いは  源氏物語たより660

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     宿曜の占いは  源氏物語たより660

  光源氏が、明石から京に帰還したその翌年の二月、朱雀院は、母・大后の驚きや反対をも無視して譲位した。新しく帝位についたのが冷泉帝である。もちろん源氏と藤壺宮の間の秘密の子で、そのことを知る者は誰もいない。
  時をほぼ同じくして(同年五月)、明石君に女の子が生まれる。
  宿曜が、源氏に対してこんな予言をしていた。
  『御子三人。帝・后、必ず並びて生まれ給ふべし。中の劣りは太政大臣にて位をきはむべし』
  この予言がいつごろのものであるかは、物語上だけでははっきり掴めないが、随分以前のことであろう。宿曜とは、インドに発したもので、星の運行と人の運命を結び付けて吉凶を占うものである。
  いずれにしても、明石姫君の誕生によって、宿曜の予言のうち、「御子三人」と「帝の誕生」という二つの予言は的中したことになる。「中の劣り」とは、三人の中で最も貧乏くじを引いた子ということで、葵上と源氏との間の子である夕霧を指している。「劣りの子」でも「太政大臣として最高の位に就くだろう」というのだから随分贅沢な話である。
  しかし、考えてみれば、夕霧の場合は、父が一世源氏であるし、祖父が太政大臣であるのだから、宿曜の予言を待つまでもなく、相当の不出来な人物でない限り太政大臣になるのは元々敷設されていたコースのようなものである。
  また、冷泉帝も、表面的には故桐壷院と藤壺宮の子であるし、院からあれほどきつく朱雀帝に遺言されていたのだから、帝にならない方がむしろ不自然で、これも宿曜の予言とは関係なく帝位に就いてしかるべき筋の上に物語は展開してきている。

  問題は、明石姫君が「后」になれるかどうかである。これはいささか難しい。いくら父が一世源氏であっても、母(明石君)の身分が低すぎる。彼女の父入道は、もと受領であったにすぎず、しかも京にも戻らず明石に逼塞している。そんな偏屈な親の元で片田舎に育ったような娘や孫では、京の誰からも相手にされない。
  平安時代を築いた桓武天皇から、紫式部が生きたであろう後一条天皇までの十九代の天皇の生母を見てみても、ほとんど藤原氏に独占されていて、その大半が后(または皇太后か贈皇太后)である。明石姫君レベルの者は一人もいない。
  わずかに桓武天皇(生母 高野新笠)と仁明天皇(同 橘嘉智子)と宇多天皇(同 班子女王)だけである。桓武天皇の生母・高野新笠は渡来系で、
  「山辺王(桓武天皇のこと)に天皇の席が回ってくる公算はまずありえないと言ってよかろう。ところが隠されたシナリオには、まったく別の筋書きが用意されていたのである。 ~秋田書房『歴史と旅』~」
とある。つまり偶然の成り行きと陰謀というシナリオによって、天皇の位が転がり込んできたということである。仁明天皇の橘嘉智子の「橘」は、古代の名門であり、宇多天皇の班子は女王なのでいささかの問題もない。文徳天皇の生母だけが、藤原氏ではあるが女御の身分で終わっている。
  いずれにしても、明石姫君が后や皇太后になる可能性は極めて低い。いやありえないと言った方が当たっている。女御で終わるのが関の山であろう。
  したがって、読者は先に述べたように歴史に真実にしたがって、
  「受領の孫に過ぎない娘が、后になるなどということはあり得ないこと」
という批判を持ちながら、物語を読んで行ったはずである。

  作者にはそういう批判に応えなければならない責務が生まれた。
  その一つが、当時の人々の生活に深く浸透していた人知を超えた力の利用である。
  神霊や宿耀の占いなどを彼らは本気で信じていた。そのために神社などをしばしば詣で、占いなどを盛んに行った。夢占いをはじめ、辻占(四辻に立って、初めて通った人の言葉で吉凶を占う)や足占(あうら 歩きながら一歩一歩吉凶の言葉を唱え、ある地点に達した時の言葉で吉凶を占う)」などという、現代の我々からすれば噴飯ものの占いまで数多く出てくるが、彼らはそれを心から信じていたが故である。まして権威高い宿曜の占いなどはおろそかに考える者などいなかった。それらは古代人の生活に重要な位置を占めていたのだ。
  紫式部はこの習俗・習慣を活用し、読者を納得させようとした。この場面に住吉の神などが出てくるのもその一つである。彼らは
  「神霊や宿曜の占いでは、物語がそれに沿って展開していくのも当然のこと」
という思いで読んでいったのであろう。

  ただもちろんのこと、紫式部自身はそんなことは信じていない。とにかく尊い僧侶をも学識豊かな学者をも信じていない彼女のことである。時には彼らを愚弄さえするという人物なのだ。現実に即さないことや論理に反することは許さない冷めた人物であった。その点で、紫式部という女性は時代を超越していたと言える。
  先の場面に、源氏に、大勢の相人などが占ったことに対して、
  『年ごろは世のわずらはしさに、みなおぼし消ちつるを』
と言わせている。「自分が最高の位に就くなどということになれば世間がうるさいので、みな占いなどを否定していた」というのだが、これは裏返せば、占いなど本心からは信じていなかったということであり、それはまた作者の考え方に通じていく。
  ただ、「御子」が現実に即位したことで、
  『相人のこと、むなしからず(嘘ではなかった)』
と源氏に言わしめているが、作者は現実的であり冷静沈着である。
 
  読者の中には、宿曜の占いや神霊を素直に信じていた者がいる一方、紫式部のように論理を大切にする冷めた読者もいたはずである。作者にはその両者を納得させなければならない務めがある。不可能な「明石姫君立后」の実現のために、その母・明石君を必要以上に褒めあげたり、また明石君から姫君を取り上げて王孫である紫上の養女にしたりしたのも、みな明石姫君を「后」に値する女性であると読者に印象付けるための箔付け作業だったのである。
  一方で摩訶不思議な力を持ち出し、一方で現実事象を積み上げていく、という作者の必死の創作姿勢を、ここに垣間見ることができる。


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