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源氏物語

女というものは  源氏物語たより661

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     女というもの   源氏物語たより661

  『憂き身をつみ侍るにも、女は思ひのほかにて、もの思ひを添ふるものになん侍れば』
 
  これは、伊勢から帰ってきた六条御息所が病重くなった時に、見舞いに来た光源氏に向かって、しみじみと語りかけた言葉である。
  「身をつみ」とは、「自分の体験に合わせて考えてみると」ということで、彼女の過去の体験からきた「憂さ」を語ったものである。
  「女というものは、自分ではどうにもコントロールできないもの思いが加わるものでございまして・・」という意味である。男との関係からくる苦労や悩み・辛さを言っている。もちろん彼女の主たる「憂さ」は、源氏との交際からきたものである。
 
  六条御息所は、春宮に入内し、娘までもうけたのだが、その春宮が早くに亡くなってしまった。本来春宮妃であったものは、夫が亡くなればその後は独身を貫くべきであろうに、源氏の執拗な求愛にあってその情人となってしまった。
  ところが、やがて源氏の愛は薄れていき、夜離れが続くという状況に陥って行く。源氏のつれなさに、彼女は辛い思いの限りを尽くして、春宮の死に加えて、二重の「憂さ」の体験をすることになってしまった。それも女の責任からではなく、すべて男の一方的な行動から出きたものである。
  彼女が言いたいのは、女というものはいつも男次第であり、男に振り回されて生きるしかない、女には生きる主体性などというものはないのだということである。
  実は、彼女は娘の元斎宮の後見を源氏にお願いしたいのだが、自分の経験からして、好色な源氏にそう安々と依頼することはできない。ついては釘を刺しておかなければならないと思って語ったのである。改めて言えば
  「自分はもう仕方がないが、娘にだけは男の勝手に振り回されるような生き方は体験させたくない」
ということだ。源氏にとっては誠に「あいなき(不本意な)」お説教ではあるが、事実である以上、耳痛く聞いているしかない。
 
  この御息所の手厳しい論理に触れた当時の多くの読者は
  「至極御もっとも」
と拍手喝采したのではなかろうか。とにかく当時は男中心の社会であって、その男に泣かされた女は多かった。自分の意志を明確に貫き、自分の感情をストレートに表現し、満足に生きた女性などほとんどいなかったのではなかろうか。

  思い出されるのが、『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱の母である。彼女は、摂関家の祖である藤原師輔の子で、後に関白・摂政太政大臣になり登る藤原兼家と結婚する。最高の権力者の子息と結婚できたわけであるから、当時の女性たちの憧れ的存在であったはずである。しかし現実はそんなに生易しいものではない、と彼女は語っている。そもそもその書き出しが
  『天(あめ)の下の人の、「品高きや」と問はんためしにもせよかし』
  (門地の高い人の暮らしはどんな様子か世間の人が知りたい時、これをその一つ話としてほしい。   室生犀星訳 河出書房新社『王朝日記随筆集』)
という皮肉なものである。一般の人は、権門勢家の夫人はさぞ幸せな暮らしをしているのだろうと想像するかもしれないが、決してそんなことはないのだ、と言って日記を書き出だしているのである。つまり、家柄に関係なく、女というものは、主体性も何もない男次第の辛い身である、というのである。そこには、夜離ればかりする夫・兼家に対する恨みつらみが、未練がましく「もういい加減にしたら」というほどに綿々と綴られている。
  一夫多妻制であるとともに通い婚というのでは、女は待つ身であり受け身であるしかない。男が外で何をしようが、女は家でじっと男の訪れを待っていなければならない。どんなに夜離れが続こうが、せいぜい嫌味の手紙を送るのが女にできる関の山である。能動的・主体的に生きるなど、彼女たちにとっては絶対の御法度であった。
 
  源氏物語に登場する女性も、六条御息所のみならず、大堰で源氏を待つ明石君、宇治で匂宮を待つ中君・・など多くの女性がみな同じ経験をしている。
  中でもそれを最も深刻に味わされたのが、紫上ではなかったろうか。源氏は彼女を目の前にすれば
  「お前をこよなく愛している」
を口癖にする。しかしその実、毎夜のように、あの女・この女と渡り歩く。紫上が少しでも不機嫌な顔をすると
  「あなたは嫉妬深い」
が口癖になる。彼女を嫉妬深く(実際にはそうではないが)させているのが、他ならぬ彼自身であることは差し置いて。
  源氏の勝手によって彼女が最も泣かされたのが、女三宮の降嫁ではなかろうか。皇女であり藤壺宮に縁ある女性であり、しかも若いということに興味もったのだろう女三宮をもらい受けるのだが、それでも彼は紫上に向かってこんなことを言っている。
  『あぢきなくやおぼさるべき。いみじきことありとも、御ため、あるより変はることはさらにあるまじきを』
  (女三宮降嫁に関してあなたは面白くないとお思いかもしれないが、どんなことがあろうとも、あなたへの情愛は今までと全く変わることはない)
  なんという言い草であろうか。
  幸い女三宮は幼すぎて源氏の嗜好には合わない女性であったので、夜離れの苦痛はあまり味わうことはなかったものの、紫上の男(源氏)に対する情愛も信頼も完全に霧消してしまった。こうして彼女の決定的な言葉が吐かれることになる。
  『この世はかばかりと見果てつる心地する齢にもなりにけり。さりぬべきさまにおぼし許してよ』
  この場合の「世」とは、男女の間柄という意味である。また「さりぬべきさま」とは出家を指している。これは冒頭の六条御息所の言葉に繋がっていく。 男の勝手は、紫上のみならず、女三宮をも絶望の淵に落としていく。そしてやがては・・。


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~ Comment ~

紫の上 

いつもいつも、物語中で紫の上が泣かされたり嫉妬するシーンを見るたびに「紫の上も『とはずがたり』の二条や、和泉式部位強かだったらなぁー!源氏にガツンと思い知らせてやれるのに!!」と、思えて仕方がありません。
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