FC2ブログ

スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←それとない創作上の配慮  源氏物語たより663 →完璧なまでの挨拶言葉  源氏物語たより665
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【それとない創作上の配慮  源氏物語たより663】へ
  • 【完璧なまでの挨拶言葉  源氏物語たより665】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

源氏物語

「たびたび」の持つ意味  源氏物語たより664

 ←それとない創作上の配慮  源氏物語たより663 →完璧なまでの挨拶言葉  源氏物語たより665
     「たびたび」の持つ意味   源氏物語たより664

  『玉鬘』の巻は、波乱万丈のドラマ仕立てになっているので、どうしても物語の展開上、無理が出てきてしまう。
  その意味では『夕顔』の巻も同じように物語がドラマチックな展開をするので、やや筋に粗さがないではない。例の玉上琢弥(角川書店『源氏物語評釈』の著者)は、夕顔の巻を「無理・矛盾がある」「不注意があり、性急に結論づけている」など散々批判している。そうしてこうまで言いきっているのだ。
  「夕顔の巻にはこうした不十分さがある。ありうべからざることを平気で語った、昔物語に馴れて、反省が不十分なのである。この作者は後になると、こんな無理な運びはしない」
  私も、夕顔の急死や顔を隠しての逢瀬などに若干の違和感を覚えないではないが、玉上が言うほどには無理や矛盾を感じない。むしろ夕顔の巻は、物語の流れが極めてスムーズであるし、完成度も高く、優れた面白い物語であると思っている。
 
  さて、『玉鬘』の巻であるが、これには疑問を抱かざるを得ない点が少なからずある。もっとも大きな疑問点は、乳母一家が四歳の玉鬘を筑紫まで連れて行くのはともかくとして、乳母の夫(太宰の少弐)にとって、玉鬘を京に連れ帰ることが絶対の使命であ
るにもかかわらず、任果てた時にそれをなぜ実行しなかったか、ということである。もっともその説明がないではない。
  『(京に)上りなんとするに、はるけきほどに、ことなるいきほひなき人は、たゆたひつつ、すがすがしうも出で立たぬ程に、重き病して死なんとする・・』
  「ことなるいきほひなき人」とは、財力や勢力がない人という意味で、要するにこの少弐には生活力がなったということであろう。太宰の少弐の四年の任期を勤めあげれば、普通なら相当の財を成せるはずで、それにもかかわらず京にも上れなかったというのだから、この少弐、相当世渡り下手であったのだろう。
  さらに不思議なことには、彼は死の床で、三人の息子を前にしてこう言っている点である。
  『ただこの姫君、京へ率て奉るべきことを思へ。わが身の孝をばな思ひそ』
  「自分の死後の法要など考えるではない、とにもかくにも姫君を京に連れていくことを第一と考えよ」という切迫した激しい遺言である。
  家族一同心を打たれながら少弐の遺言を聞いたことであろう。ところが、なんとその後十年以上にもわたって、彼ら一家は九州を彷徨ってばかりしていたのである。そうしている間に、玉鬘は二十一歳になってしまった。親の遺言を無視したことになる。
  しかも不思議なことには、少弐の長男は、豊後の介に任じられているのである。豊後の守でないところが若干味噌になるが、それにしても豊後の国は「上国」なので、そこの介(次官)を勤めれば、姫君を京に連れ帰るなど、いとも容易な所業ではなかったか。

  もう一つ、大きな疑問がある。乳母一家は、大夫の監の、玉鬘への強引な求婚という危機に直面し、先のことも考えず、また監の追及に怯えながら京に逃げ帰るという行動を敢行する。その結果とにもかくにも京へ帰り着くことはできた。ところが何と
   『帰る方とても、その所と行き着くべき古里もなし、知れる人と言ひ寄るべき頼もしき人も思えず』
というのである。これはいくらなんでもあり得ない。太宰の少弐は「正五位上」で、「大国」の守(従五位上)よりも位はずっと上である。つまり相当の名家のはずである。それにもかかわらず、「帰る方」もなし「知れる人」もなしとはどういうことであろうか。どんな受領でも京に「古里」はあるはずなのに。あるいは屋敷、田畑を売り払ってしまって少弐の地位を得たとでも言うのだろうか。
 
  さらにもう一つの疑問を上げておこう。これは「源氏物語を読む会」で会員の皆さんが不審に思った点である。京に上った時に、なぜ真っ直ぐに内大臣(かつての頭中将)の所に行き「御注進!」と申し出なかったのだろう。
  実は京を去る時にも頭中将に「かくかくしかじか」とは伝えていない。これも不思議と言えば不思議である。でもこの時は頭中将の北の方を怖れて申し出なかったとあるのだが。つまり、頭中将に玉蔓を預ければ、北の方に大いに継子いびりをされるであろうことは目に見えている、それを怖れたということである。それに今更、頭中将は玉鬘を大事に扱うことはしないであろうという危惧も彼らの頭を過った、とある。
  しかし、今は京に「行きつく所」も「知れる人」もいないというのだから、内大臣にそれとなく伝え出るのが筋であろう。「源氏物語を読む会」の皆さんは
  「それではドラマにならないし、「初瀬」の劇的出会いがなくなってしまう」
ということで、無理に納得されたようである。

  さて、その初瀬での出会いであるが、これも考えてみればおかしい。いくら長谷観音の霊験あらたかと言っても、これほど偶然に右近と玉鬘一行が出会うなどあり得ないではないか。「右近」とは、『夕顔』の巻で、光源氏が夕顔を六条の廃院に無理をして導いた時に、同道した玉鬘の女房である。夕顔の急死事件の真相を知るただ一人の玉鬘側の証人である。
  その二人がぱったり初瀬で出会うとは。夕顔と右近が別れてからすでに二十年近も経過しているのだ。少々出来過ぎではありませんか。

  ただこれには弁解があって、こう記されている。右近はこの二十年間にわたって夕顔を恋い泣き慕って
  『この御寺になむ、たびたび詣でける』
  右近はたまたま初瀬に来たのではないのである。二十年の間「たびたび」この長谷寺に詣で来て、「玉鬘にお会いできますように」と祈り続けていたのである。その真剣・真摯な祈りを長谷の観音様が聞き届けてやらぬはずはない。何しろこの観音様の霊験は
  『唐土(もろこし)にだに聞えあなり』
というほどに、あらたかなのである。まして日本人である玉鬘にその霊験が現れないはずはない。

  つまり、このさりげなく使われている「たびたび」という言葉には、物語創作上の深い思いが籠っているということである。それは二十年余にわたっての右近の執念とも言えるものである。
  『世とともに』
とある。「世とともに」とは、「いつもいつも」ということで、生きている間中はという意味である。右近は、夕顔死亡の後、源氏に引き取られて六条院に住むのだが、そこでの生活は彼女になじめぬものであった。彼女の脳裏を去来するものは常に夕顔でありその遺児・玉鬘のことであった。そんな彼女の執念は、長谷観音の心を動かさないはずはない。右近の執念と長谷観音の霊験をもって、先の三、四点にわたる疑問はすべて氷解してしまったと言ってよいであろう。
  それに、そもそも玉鬘を内大臣に安々と会わせてしまったのでは物語は面白くない。
  「物語って、若干の無理や不合理があってもいいのではないの。紆余曲折があるからこそ物語は面白くなるのだから」
という読者の期待もある。
  さらに、もし少弐死亡の後すぐに京に上ることができたとすると、源氏との年齢差の問題も出てきてしまう。あの時玉鬘は十歳に過ぎず、とても源氏の恋の相手は務まらない。十年余にわたって筑紫の各地を転々としたからこそ、年齢的にも相応しくなったし、またその彷徨によって彼女が源氏の恋の相手に相応しい女性に成長できたのであるから。
 
  源氏物語の中では『夕顔』の巻とこの『玉鬘』の巻が、一番スリルとサスペンスに満ちていて面白い。平安の姫君たちも、この二つの巻で最も胸を高鳴らせたのではなかろうか。それに文章も、源氏物語としては平易で、すらすらと読み進められる(『玉鬘』の巻の最後の、源氏登場部分からは相当難しくなるが)。
  『玉鬘』の巻を含めて以下の十帖を「玉鬘十帖」と言う。源氏と玉鬘との嫌らしい恋が、これでもかというほどにねちねちと書き連ねられていて
  「つまらない玉鬘十帖」
という定評がある。確かに『野分』と『真木柱』の巻を除けば、みな冗長で「つまらない」。『玉鬘』の巻は、『夕顔』の巻から波乱のドラマを受け継ぐもので、玉鬘十帖のつまらない巻、巻への序曲でもある。「動」から「静」への橋渡しであって、この二つの巻の若干の矛盾や疑問は度外視して、無心に楽しむ方がよさそうである。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【それとない創作上の配慮  源氏物語たより663】へ
  • 【完璧なまでの挨拶言葉  源氏物語たより665】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【それとない創作上の配慮  源氏物語たより663】へ
  • 【完璧なまでの挨拶言葉  源氏物語たより665】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。