FC2ブログ

スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←完璧なまでの挨拶言葉  源氏物語たより665 →「たびたび」に加えて  源氏物語とより667
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【完璧なまでの挨拶言葉  源氏物語たより665】へ
  • 【「たびたび」に加えて  源氏物語とより667】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

源氏物語

紫式部の嫌う女のタイプ  源氏物語たより666

 ←完璧なまでの挨拶言葉  源氏物語たより665 →「たびたび」に加えて  源氏物語とより667
     紫式部の嫌う女のタイプ   源氏物語たより666

  光源氏の須磨退去という事件が起きた時に、源氏に従って須磨までついて行ったある男がいた。それは右近の蔵人(正六位上)である。あの事件のために、源氏の親しい供人ということで官位は剥奪されてしまった。だが、源氏の復権によって、この度、靫負の丞になり、位は従五位下に叙せられた。
 
  さて、源氏が、明石君を訪ねって大井に行った時にも、彼はそのお供をし、意気揚々、颯爽として活躍していた。
源氏の御佩刀(みはかし)をとりに行った時に、彼はたまたま、かつて明石で知己になっていた女房が御簾の内にいるのを目にしてこう声をかける。
  「昔のことは忘れもしませんが、明石と違ってここでは憚られるものあって声もかけずにおりました。本当はあなたにお手紙でも差し上げて、お話でもしたいと思ってはいたのですが、何しろその手立てもなくて・・。この大井というところは何か明石の浦を思い起こさせる風情がありますね」
  この言葉からすると、明石では相当深い仲になっていたのだろう。あるいは、官位が戻って源氏さまの最も信頼に値する供人の一人であるという誇りと高揚感が、彼をしてこんな言葉を吐かせたのかもしれない。

 すると、声を掛けられた女房、こんな応答をする。
  『八重たつ山は、さらに島隠れにも劣らざりけるを。「松も昔の」とたどられつるに、忘れぬ人もものし給ひけるに、頼もし』
  この女房の応答、さっぱり理解できない。何しろたった一言言うために、三首もの歌を引いているのだから、分かるはずはない。
大井という所は、大堰川を挟んで深い山に囲まれている。その山の様がこの女房にはあたかも「八重立つ」ように思えたのだろう。また大堰川を行き来する舟を、明石の浦を行き来する船に見立てたのかもしれない。
  さらに、こんな大井にいたのでは、昔の明石のことなど知っている人とていないと思っていたのに、思いもかけず声を掛けてくれたことを喜んで、百人一首にもある「松も昔の」と感慨深く聞いたのであろう。
  ただ、「八重立つ(大井)」と「島隠れの(明石)」とがどういう結びつきをしているのかしっくりしない。「八重立つ」と言えば通常は「雲」を表すから、大井の重なる山の深いさまを、明石の浦の「霧」の深さになぞらえたのかもしれない。つまり
  「山深い大井は、霧深い明石の浦にも劣らず寂しい所で、あの頃と変わりません。こんな淋しいところで私は鬱屈した生活をしております」
とでも言いたかったのだろう。
  あるいは古歌を適当に思い出すまま、論理に合わない出まかせを言ったに過ぎないのかもしれないが。

  いずれも古今集から次の歌を引いたものである。
  『白雲の八重立つ山の峰にだに 住まば住まるる世にこそありけれ』
  『ほのぼのと明石の浦の朝霧は 島隠れ行く舟をしぞ思ふ』
  『誰をかも知る人にせん 高砂の松も昔の友ならなくに』
  最初の二つの歌と「誰をかも」との歌の関係を無理に解釈すれば、こんなふうになるのだろう。
  「明石にも劣らないこんな淋しい所に住んでいるのですから、私のことなど知っている人など誰もいはしまいと思っていました。だからあれこれ親しく話し合う人などいるはずはないと思っていましたのに、なんと明石時代のことを覚えていて下さる人がいられたとは、なんとも頼もしい限りでございますわ」
  素直に言えば簡単なことなのに、この女房、三首もの古歌を入れたために話しが混乱してしまって、主旨が誠にとりにくくなってしまった。おそらく
  「私、古歌ならいくらでも知っていましてよ」
という自惚れがさせたわざなのであろう。

  あまりに気取った物知りぶりの応対に、さすがに靫負の丞、内心
  「自分もこの女に気がなかったではないが、これではあまりにひどい」
と呆れて、
  『今、ことさらに(そのうちに改めて)』
と早々と逃げ出してしまう。

  こういうタイプの人間を一番嫌ったのが紫式部である。知識を鼻にかけ教養をひけらかす人間を、彼女は極度に嫌った。だから、靫負の丞の思いは紫式部自身の思いであると言っていいだろう。そのことは『紫式部日記』で詳しく知ることができる。
  一条天皇が、当時評判になっていた源氏物語を読んだ時に、作者の博識を愛でてこう言う場面がある。
  『この人は日本紀をこそ読み給ふべけれ。誠に才あるべし』
  「日本紀」とは、通常日本書紀のことを言うが、ここでは日本書紀以下の六国史全体を指している。「紫式部はその六国史をみな読んでいるのだろう。本当に学識があるものと言えよう」という意味である。
  この天皇の褒め言葉が宮中に広まって、紫式部のことを「日本紀の御局(みつぼね)」と字(あざな)するようになった。それをひどく気にした紫式部は
  『一といふ文字をだに書きわたしはべらず』
というほどに頑なになっている。男でも「才がる」人を嫌っている。

  この日記の中で彼女の槍玉に挙がったのが清少納言である。紫式部は言う。
  『清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく人に異ならむと思ひ好める人は、必ず見劣りし、行く末うたてのみ侍れば・・』
  まだ続くのだが、あまりの激しい攻(口)撃は、二人のためにも控えておくべきであろからここで止めておく。それにしても「行く末うたてのみ侍れば」とはひどい。あたかも呪いのようなものである。この呪いのためか、清少納言の行く末は、誠に芳しいものでなく、さまざまな奇怪千万な伝承を生んでいく。
  確かに『枕草子』を見ると、清少納言の自慢芬芬たるところが多く、鼻に付く。例の「香炉峰の雪」などの段(岩波書房 299段)」は、その典型と言えるだろう。さかしらにしゃしゃり出て、自分の博識と機智を披歴している。そんな女を紫式部は、生理的に許せないのだ。
 
  靫負の丞は、明石という故郷を遠く離れた地ということもあって、寂しさ紛れに八重立つ女房に懸想し、あるいは契りも結んでいたのかもしれない。今こうして京に帰り源氏さまの立派なお付きとして仕えている身には、女房のさかしらが我慢ならなかったのだ。あるいは「田舎者のくせに、薄識を振り回して!」という侮りも内心にあったかもしれない。
  紫式部の日ごろの信念が、靫負の丞の「今、ことさらに」という突っぱねた言い草に凝縮され、吐き出されている。 


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【完璧なまでの挨拶言葉  源氏物語たより665】へ
  • 【「たびたび」に加えて  源氏物語とより667】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【完璧なまでの挨拶言葉  源氏物語たより665】へ
  • 【「たびたび」に加えて  源氏物語とより667】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。