FC2ブログ

スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←紫式部の嫌う女のタイプ  源氏物語たより666 →桂離宮と源氏物語  源氏物語たより668
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【紫式部の嫌う女のタイプ  源氏物語たより666】へ
  • 【桂離宮と源氏物語  源氏物語たより668】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

源氏物語

「たびたび」に加えて  源氏物語とより667

 ←紫式部の嫌う女のタイプ  源氏物語たより666 →桂離宮と源氏物語  源氏物語たより668
     「たびたび」に加えて   源氏物語たより667

  「たより664」で取り上げたのは、右近と玉鬘一行が初瀬の椿市で劇的な再会をするが、「たびたび」という言葉があることによって、偶然会ったのでもなく奇跡的な出来事でもなかったという意味が生まれてくる、という内容である。つまり「たびたび」という言葉には大事な意味が含まれていたのだ。右近が「たびたび」初瀬を訪れていたからこそ玉鬘一行に会えたのであって、そこに偶然や奇跡に頼ることをしない作者の心用意があると言える。
 
  確かに旅先で偶然知己に会うなどということは稀なものである。私は旅好きで、十八歳の時から暇さえあれば旅(すべて国内)ばかりしていた。年に三回は行ったであろうから,百五十回は越えているだろう。ところが旅先で知己に会ったのは数回に過ぎない。串本駅から潮岬へ行く途中のバスの中で、町会議員さんの団体と乗り合わせるという味気ない偶然や、高山の朝市で教え子と会ったことくらいである。
  ただ、後者は、前の晩に酒盛りがあって、仲間は酔いつぶれ、朝までみなつぶれていたが、私には「高山といえば朝市なのだから、一度は見ておきたい」という思いがあった。酔いは残っていたものの、例の川べりをプラプラ歩いたら、それこそ偶然に教え子に会えたのだ。偶然ではあるが、私の意識の中に「高山といえば朝市」という思いがあったからこそ、彼との出会いを可能にしたのだ。後にこの教え子の仲人をすることになったのも、高山での出会いがあったことが作用していたかも知れない。源氏物語のような深刻さも緊張感も何もないありふれた遇残の出会いではあるが、この「高山といえば朝市」という思いは、右近の「たびたび」に比肩されていいかもしれない。

  ところが、右近の「たびたび」にはもう一つの網も張られていたのである。
  右近がたびたび初瀬を訪れていたのは、言うまでもなく夕顔の忘れ形見(玉鬘)に何としても逢いたいという強い願望に引かされてである。
  しかしそれだけのために、十七年間も「たびたび」初瀬を訪れるというのには、いささかの疑問が残るし、物語上の弱点がでてしまう。心ある読者は
  「あまりに取って付けたようなわざとらしい言葉ではないか」
と思うのではなかろうか。そういう読者の批判、不満をかわすために、さらに作者は用心深く網を張っているのである。
玉鬘一行が椿市のある宿にたどり着いた直後、追うようにしてもう一つの団体がこの宿に入ってきた。その主は
  『かの世とともに(玉鬘を)恋ひ泣く右近なりけり』
で、彼女は、
  『年月にそへては、はしたなき交じらひのつきなく、身を思ひ悩みて、この御寺になむ、たびたび詣でける』
のであった。
  前半の意味は、右近が生きている限りいつも夕顔の遺児を恋い慕って初瀬に詣でていたということである。
  しかし、この文章の後半によって彼女がしばしば初瀬を訪れていたのは、それだけではなかったということがはっきりする。

  実はこの文章の後半の理解のためには、物語をずっと遡らなければならない。それは『夕顔』の巻まである。夕顔が、方違えのために五条の狭苦しい屋敷に移っていた時に光源氏との恋が始まる。源氏は、恋を語るにはこんな狭苦しい屋敷は相応しくないと、六条の廃院にやや強引に夕顔を誘い出す。
  その時、お供をしたのが右近なのである。輝くばかりの源氏様と美しい主・夕顔の道行を、右近は
  『艶なる気持ち』
で、いろいろもの思いに耽りながら眺めていた。目の覚めるようなカップルに右近自身がうっとりと恋い心地でいたのであろう。
五条の屋敷には「あまた」の女房がいたにもかかわらず、右近だけを帯同したということは、彼女が夕顔に特別信頼されていたということである。そして彼女自身も夕顔の大のフアンであった。なにしろ「源氏様のような素敵な方と、我が主が恋の道行ができるとは・・」と夢見心地でいたのだから。
  ところが、そんな主を突然に亡くしてしまう。したがって、彼女が、夕顔の遺児に会いたい気持ちは並大抵なものではなかったはずで、先の文章の前半の右近の気持ちは実によく理解できる。

  さて、女主を亡くした右近はどうなったであろう。通常なら五条の屋敷に帰るはずである。ところが、源氏はそれを許さなかった。右近を二条院に引き留めてしまうのである。右近が五条の屋敷に帰ることによって、
  「源氏さまの愛人が突然死した」
などという噂が世に漏れ出てしまえば、近衛中将の身としては容易ならざる窮地に陥ることになる。それは絶対避けなければならないことである。
  悪く言えば、源氏の都合で右近を二条院に閉じ込めてしまったということである。その後、右近は六条院に移される。どこまでも右近は、夕顔死亡事件によって源氏と運命共同体にさせられてしまった。
  ところで、二条院(また六条院)はどんなところであろうか。紫上は宮様の娘、花散里は大臣の娘、末摘花はまた常陸宮の娘、明石君は富豪の娘という、錚々たる身分の者ばかりである。
  右近は女房とはいうものの、五条の屋敷(実は西ノ京に住んでいたのだが)の手狭な所で、気楽に睦まじく賑やかに生活していのに、突如光源氏の広大な邸に住むことで、「はしたなき交じらひ」を強いられることになった。「はしたなし」とは、居心地の悪い(どっちつかずで落ち着かない)という意味である。
  「年月にそへて」ともある、源氏は、中将から、権大納言、内大臣、そして太政大臣へと栄進していく。右近のような身分の無い者のいるところではない。紫上付きの女房として勤めてはいたが、紫上は、右近がどういう素性の者か知らない。そんな女房を優しく扱ってくれることはなかったろう。
  このような環境にあったのでは「身を思ひ悩」むのも当然であるし、「この御寺にたびたび詣でる」のもまた仕方がないことである。勘ぐれば、六条院を離れたいがために初瀬詣でをしばしばしていた、と言ってもあながち間違いではなかろう。
  『蜻蛉日記』の作者・道綱の母が、二度も初瀬詣でをしているのは、夫・藤原兼家のつれなさから逃れたいという思いがあったからかもしれない。そう言えば彼女は、兼家に愛想を尽かして山籠もりしたことがある。暫くして家に帰ると、兼家から「雨蛙(尼帰る)」と冷やかされている。
  源氏物語の読者である姫君や女房たちも、そういう経験をしている者は少なくなかったはずである。特に女房の中には「はしたなき交じらひ」を強いられていた者は多かったであろう。そういう女房たちは、たまには邸を出て、石山や清水に参詣し気晴らししたいものと思っていたであろう。
  「たびたび」に付け加えられているこの説明によって、彼女たちが共感したり「なるほど」と納得したりしたのではあるまいか。

 右近の真剣な神頼みに水を差すよう論考になってしまったが、紫式部の奇跡や偶然に頼らず、できるだけ現実感を出そうという姿勢がここに顕著に出ていると言える。



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【紫式部の嫌う女のタイプ  源氏物語たより666】へ
  • 【桂離宮と源氏物語  源氏物語たより668】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【紫式部の嫌う女のタイプ  源氏物語たより666】へ
  • 【桂離宮と源氏物語  源氏物語たより668】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。