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源氏物語

明石入道の豪気  源氏物語たより669

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     明石入道の豪気   源氏物語たより669

  光源氏が大井の明石君を訪ねた時、それを知った殿上人たちが大挙して源氏の別荘である桂の院にやって来た。そこで源氏は桂川の辺で大層な宴を開くことになってしまった。酒は順(ずん)流れ,詩歌が次々披露され、管弦の響きは桂川の川面に響き渡るという盛大なものとなった。

  源氏は、帝の消息を届けてくれた使者や参加者に「禄として贈るものを」と思ったが、桂の院はできたばかりということもあって、その用意もないししかるべき物もない。そこで大井の明石君のところに
  『わざとならぬまうけの物や(ある)』
と依頼する。「わざわざ大げさなものではなく、禄として贈るものとして相応しい物が何かないか」という意味である。すると明石君は有り合わせのものをと早速送ってきた。それは
  『衣櫃(きぬびつ)二かけ』
であった。「櫃」は、米櫃などの櫃のことで大形の箱をいう。この場合は衣の入った櫃である。「かけ」とは「荷」のことで、肩に担うことができる程度のものである。
  明石君は、源氏の依頼に応じて、男が肩に担うことのできる程度の衣櫃二つも即時に用意したというのだ。しかも使者にかづけた女の装束などは、帝の使者なのだから半端なものではなく、それはそれは高級至極なものであったはずである。それでも「有り合わせの物」と言うのだから驚く。
  宴も終わる頃、参加者は三々五々帰って行く。それらの人々にも身分に応じて引き出物を賜る。彼らは、かづけ物を左の肩に掛け、霧の絶え間にたち交じって散り散りに去って行く。その様はあたかも
  『前栽の花に見えまがひたる色合ひなど、殊にめでたし』
であった。肩に掛けたかづけ物が前栽に咲き誇る花のように見えたというのだから絢爛豪華な物だったわけである。これらのほとんどは、明石君が急遽送ってきた物であったはずで、衣櫃二かけとはいえ相当の数の衣が中に入っていたということで、なんとも豪気なものである。
 
  これらの物は、元々は明石君の物ではない。もちろん明石入道が娘のために用意した物のである。質も、源氏からの贈り物ということになるので、一般人には考えられないほどの最高級品ばかりであったろう。それを即座に用意できるということは、明石入道の財力が並々でなく、底知れないものであることを表している。
 
  明石入道は、かつて近衛の中将という要職にあった。近衛の中将といえば、源氏も若くしてなっているが中央政界での花形であり出世頭である。ところが、彼は自らの偏屈な性格に鑑み、その栄職を捨てて一介の受領になってしまった。それもすべて娘の将来に掛けんがためであった。
  実は彼は、娘が生まれた時にこんな夢を見ていたのである。それは
  『わがおもと(明石君)生まれ給はんとせしその年の二月のその夜の夢に見しやう、自ら(入道)は、須弥の山を右の手に捧げたり。山の左右より月日のさやかにさし出でて、世を照らす』
という信じられない壮大なものである。須弥山とは世界の中央にあるという山で、その山を入道が右手に捧げ、その山の左右から月と日の光りが鮮やかに射していたという。月の光は中宮を、日の光りは春宮を暗示している。なぜなら「世を照らす」というのだから。つまり明石君の娘が、やがては中宮となりその子が春宮となるという誠に恐れ多い夢なのである。
  昔の人は夢を信じた。この夢の実現のためには、中央政界でうだつの上がらない状態でいたのではとても不可能なことである。 
  そこで彼は播磨(大国)の守になったというわけである。(もっとも明石君が生まれたのは彼が中央政界に有った時かどうかは分からないが)

  それではどうして彼は受領になどなってしまったのだろうか。それは受領になれば絶対的な財力を手に入れることができるからである。こんなことわざがある。
  『受領は倒れる所の土を掴め』
  「失敗してもなにがしかの利を得るようにせよ 『広辞苑』」という意味である。「転んでもただでは起きない」と同じである。受領は四年の任期を務めると莫大な財を得ると言う。そのためにとかく芳しくない評判ばかりが残っている。ある歴史書(放送大学教育振興会 『日本古代中世史』)にはこんなことが書かれている。
  「受領という官職は、摂関政治の時期には、実入りの多い一種の利権とも見られていたから、欠員が生じれば、数多くの任官希望者が現れた」
  この事は『枕草子』に何度も何度も、可笑しくまた皮肉な目をもって描かれている。特に播磨のような大国の守は絶大な実入りがあった。紫式部の父・藤原為時は、最初淡路(下国)守に任じられたが、これを不服とする嘆願書を書いた。これに感動した一条天皇が同情し、それを知った道長が、急遽為時を越前(大国)守に変更するという事件が現実に起こっている。淡路と越前では実入りに雲泥の差がでてしまう。
  受領には、徴税や裁判などの権限が与えられていたから、結構さじ加減ができてしまい、中には苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)を尽くした者もあったという。このことは今昔物語やその他の書物にもよく出てくる。
  それに彼ら中級貴族にとっては、財力を蓄えるばかりではなく
  「地方官に任命されることが生活上必須の要件となっていた。 徳間書房『平安貴族の世界』」
こともある。

  さて、明石入道は、播磨守の任期が終わると都に帰らずそのまま任地に居座った。そして、明石の地に海辺から岡辺までという広大な敷地を取得した。そこに何棟もの建物を造り、贅の限りを尽くす。それがこんなふうに描かれている。
  『入道の領じ占めたる所どころ、海の面にも山がくれにも、時々につけて興さかすべき渚の苫(とまや)や・・山水の面(つら)に厳めしき堂を建てて三昧を行ひ、この世のまうけに、秋の田の実を刈り納め、残りの齢(よはひ)積むべき稲の倉町どもなど、をりをり所につけたる見どころありて、し集めたり』
  生活の備えに稲の実を刈り集めそれを納めるべく「倉町」を造ったという。「倉」ではない、「倉町」というのだから、何棟もの米蔵がづらりと並んでいたということである。
  ずっと後に、明石君が六条院に移った時に、彼女には「西の町(戌亥の町あるいは冬の町)」が充てられたが、そこには塀を隔てて「蔵町」を造ったとある。恐らくこれらの蔵は明石入道の財産でほとんど一杯になっていたのだろう。
  そればかりではない。彼の邸には、趣向を凝らした立派な池庭が造ら、また言葉にも表せないほどの贅沢な家具・調度がしつらえられ、都のやんごとなき所々にも劣らなかったという。いやそれどころか
  『艶にまばゆきさまは、勝りざまにぞ見ゆる』
というのだから想像を絶する。
 
  娘を天皇の子(源氏)に娶せるだけでも大層な出費を覚悟しなければならなかったはずである。まして孫が中宮となり、ひ孫が春宮ともなれば、その財政的負担は莫大なものである。しかし彼は、受領であったがためにそれを可能にした。
  先の「衣櫃二かけ」などは、彼の財力から言えば、誠に微々たるもので、河童の屁にもならなかったろう。

  (ただ、視点を変えれば、明石入道も相当の苛斂誅求を辞さない受領であったとも言えよう。『若紫』の巻で、良清(源氏の供人)が、明石入道の人柄を語っているが、その中にこういう表現がある。
  『かの国(播磨)の人にも少しあなづられ(みくびられて)、「何の面目ありてか、また都にも帰らむ」と言ひて、頭(かしら)もおろし侍りける』
  播磨守であった頃、彼は播磨の国人たちに尊敬されていなかったのだ。つまり善政を敷いていなかったということである。
  こんな視点で源氏物語を読みなおしてみるのも一興かもしれない)


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