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源氏物語

明石入道の人となり  源氏物語たより673

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     明石入道の人となり   源氏物語たより673

  光源氏のたっての要請で、娘の明石君と孫の姫君、それに妻が京に上ることになった明石入道は、切々と明石君に言って聞かせる。
  二度と会うことができない悲しい別れになるのだから、いくら出家の身とはいえ涙にくれ思うことも満足に言えなくなるはずなのに、彼の論理は非常に筋が通っていて明晰である。
  それでは彼の説得のさまを簡潔に追ってみよう。
(1) 近衛中将の立場を捨ててこんな田舎に流れて来たのも、すべては君のためである。
(2) 播磨守になれば経済的にも安定し、君を思う存分育てることができるという思いからである。
(3) ところが、自分の身の不運さゆえに、都に帰ることもできなくなってしまった。
(4) 今更、蓬の生える故郷(都)に帰っても、公私ともにおこがましい名を流すだけであろうし、そうなれば親の面汚しとなってしま    うだろう。
(5) そういうことで、この田舎暮らしが結局世を捨てる(出家する)契機となってしまったのだ。でもそれも仕方のないこと、そのこと    自体に特に未練はない。
(6) ところが君が次第に大人になり思慮深くなって来るにしたがって、こんな素晴らしい娘に田舎暮らしさせてしまうことができよう   かと思うようになった。
(7) 「子を思う闇」に悩み苦しみ、今まで神頼みをしてきた。如何に何でも君をこんなところで私のような甲斐性のない者と一緒に   沈ませてしまって良いはずはないと、ずっと祈り続けてきたのだ。
(8) と、思いも寄らず、君は光源氏さまの妻という幸運を得たのだけれども、やはり身分の低さは嘆かざるを得ない。が、こうして   若君が生まれるという宿世を得、頼もしく思えてならない。
(9) それにしても、こんな海辺で若君を過ごさせることはできないし、それは誠に恐れ多いことである。
(10) とにかくこの宿運は特別なもの。やはり君は都に行かなければならない。
(11) 君や若君に会えなくなることは、大変悲しいことではあり、心を迷わすことではあるのだが、所詮私は出家の身。
(12) あなた方がこれから世を照らす存在となるのに比べて、一方の私は天人臨終になずらえて我慢するしかあるまい。
(13) 私が死んだと聞いた時も、私の後世のことなど考えることはない。「さらぬ別れに」などと、とかく心を働かすようなこともなさ     るな。

  見事に流れるような論理である。
  (7)(12)(13)に引き歌や難しい言葉があるので、まずそれに付いて補足しておこう。
  (7)の「子ゆえの闇」は、源氏物語に何度も何度も繰り返し取り上げられているが、後撰集の
  『人の親の心は闇にあらねども 子を思う闇に惑ひぬるかな』
から引いたもので、「君の幸せを願う心の深さゆえに・・』という意味である。
  (12)の「天人臨終」とは、天に生まれた者(天人)でも、果報が尽きた時には、地獄、餓鬼、畜生の世界に堕ちて、一時は悲しい目に合わなければならないという仏教の言葉からきているもので、それになずられえて、自分も孫・子と別れるという一時の悲しみを味わわなければならないが、という意味である。
  (13)の「さらぬ別れ」とは、古今集や伊勢物語にある在原業平の話から引いている。業平は、母から「歳を取ると逃れられない別れ(死別)というものがある。ですからぜひあなたに会いたいもの」という手紙を受けとる。それに対して返した歌が、
  『世の中にさらぬ別れのなくもがな 千代とも祈る人の子のため』
  (この世に死別ということがなければいいのに。千年も生きてほしいと思っているあなたの子のために)
である。「業平のような心境になる必要はない」ということである。

  『薄雲』の巻で、明石君が、姫君を源氏に手渡さなければならなくなって、大層悩み苦しんでいる時に、彼女の母尼が懇々と説得する場面があるが、この母尼も論理のしっかりしている人である(たより282)。夫婦そろって理論家であると言える。
  それはとにかくとして、この明石入道の話し方は、過去から話し来たって現在、そして未来へと話し去っている、誠に論理明快なもので、一分のすきの入る余裕もないほどである。これだけの長舌になると、つい横道に逸れてしまったり余計な挿入句が入ってしまったするものであるが、それがない。一糸乱れず論理を尽くしている。

  私はこの話しぶりから、彼の性格や中央政界にいられなくなったその人となりというものを見出すことができるように感じる。
彼は、かつて近衞の中将という華やかな地位に付いていた。みな人の憧れの身分で将来の出世は間違いないものであった。しかも彼の父親は大臣だったのである。
  ところが、自分の意のままにならぬ中央政界に不満を感じたのであろう、こともあろうに播磨の守になってしまった。播磨の国は大国ではあるが、位は従五位上に過ぎない。近衛の中将でさえ従四位下なのである。公卿は目の前にある。それを捨ててしまった。明石君への話には、「君を、思う存分育てるため」とあるのだが、そうだろうか。

  『若紫』の巻で、源氏の供人の良清が明石入道についてこう語っている。
  『(明石入道は)大臣の後にて、(世の中に)出で立ちもすべかりける人の、世のひがものにて、交じらひもせず、近衛の中将を捨てて・・』
  この「ひがもの」こそ、先の明石君説得と結びつくものであると思う。
  自分の思うことを論理的に整然と説ききたり説きさるという頑ななほどの性癖を持っていたのだ。彼の話には、人が口をはさむ余裕を与えない、それほどに論理構成がしっかりしているのである。

  平安時代は調和を重んじる社会であった。彼らはしばしば歌会を持ち管弦や宴を催した。そのような社会では人とうまく合わせることこそ重要な能力であった。古今集に
  『思ふどち円居せる夜は唐錦 たたまく惜しきものにぞありける』
という歌がある。
  「仲のいい者たちが車座になって楽しいひと時を送っている夜は立ち上がるのが本当に惜しいものだ。 (小学館 日本古典文学全集)」
という意味で、現代にも通じる当然のことではあるが、平安時代は特にそうだった。「円居」をしている夜は早めに立ち去ってしまったりすることは誠に惜しいものであるとともに、また立ち去ってしまうことは失礼に当たる行為だった。
  と同じように、このような席で、論理だった話や正論ばかりを述べていたのでは、皆から煙たがられ、敬遠される。冗談を言い横道に逸れる能力が求められた。
  なお、「唐錦の「錦」」は掛詞で、次の「立つ」を引き出す。つまり「唐錦」は高価なもので「裁ち切るのが惜しい」と言う意を掛けているのである。
  このように、彼らは歌の中に掛詞や縁語を盛んに入れている。そのことによって、自分の感情や心情をストレートに吐露することを避けたのである。歌に掛詞や縁語を入れることによって一つのクッションとしたということである歌に掛詞や縁語を入れることによって一つのクッションとしたのである。

  彼らは、歌会や円居の席での激情の吐露や激論を是とはしなかった。いやむしろそういう言行を品(しな)なきこととして排除した。恐らく明石入道はそのような機転や器用さがなかったのだろう。それが、彼に「よのひがもの」というレッテルを貼らせてしまったのだし、中央政界から離れざるを得なくさせた要因になったのだ。国司としての任が終わっても都に戻ろうとしなかったのは、心の闇の「君のため」だけではなかった。都に帰れば、彼の正論、細論が始まるに決まっている。それこそ「親の面汚し」になってしまう。

 明石君への諄々たる説得から、こんな彼の姿が浮き上がってくる。


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