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源氏物語

母子の別れ  源氏物語たより678

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     母子の別れ    源氏物語たより678

  大井に移って来たのは秋。その十二月、ついに明石君は娘の姫君を光源氏に手渡し、紫上の養育に委ねることになる。母尼の勧めや最終的には自らの判断もあった。  
  「自分のような頼りない身が姫君をこのまま大井で育てるのでは、彼女の将来にとっても可哀想であるし、そうかと言って自分のような田舎者が源氏さまの所に行って姫君を育てるのも、恥さらしになるばかりであろう」
という理由からである。確かにその判断は正しい。しかし、当然のことながら進んでの決断ではない。三歳まで明石で思う存分愛おしみながら育ててきた我が子なのである。その愛しい我が子と別れなければならないのだ。そればかりか、一たび姫君を紫上に預ければ、その後果たして会うことができるのかどうか心もとない限りである。辛さは一層身に沁みる。
  目に入るすべてのものは彼女を絶望の淵に追いやる。
  『雪、霰がちに心細さまさりて、あやしくさまざまにもの思うべかりける身かなとうち嘆きて、常よりもこの君を撫でつくろひつつ居たり。雪かき暗し、降り積もるあした、来し方行く末のこと残らず思ひ続けて、例は殊に端近なる出で居などせぬを、汀の氷など見やりて・・』
  霰がちの雪、暗く降り積もった雪、汀の氷、それらの自然の景は彼女を深いもの思いに引きずり込む。
悲しみはそれだけではない。今までずっと共に睦まじく姫君を育ててきた乳母とも別れなければならないのである。この乳母は明石君の最も信頼できる相談相手でもあった。思わず愚痴とも取れる歌が出る。
  『雪ふかみ深山の道は霽(は)れずとも なほふみ通へ 跡絶えずして』
  (こんな雪深い大井であっても、あなただけは今後ともやはりここに通ってきてほしい。すっかり後絶えてしまうようなことがないように)
  「ふみ通へ」の「ふみ」は「踏む」と「文」を掛けている。今後は乳母がここまで雪を踏んで通って来ることはないであろう。とすれば、せめてもの願いは「消息だけは絶やさないでくださいね」という必死の思いの吐露である。翻って言えば、姫君には絶対会えないということを覚悟しているということである。

  その雪が溶けた時に、ついに源氏は姫君を迎えに来る。彼女はどうしてこんなことを許してしまったのかと歯ぎしりしつつ後悔する。自分の芯からの思いをはっきり源氏に伝えれば、この悲劇は避けることができたのではなかろうかと思うと、わが軽薄さを恨めしく思うしかない。
  源氏と自分の前にちょこんと座っている姫君がいっそう可愛らしく見える。この春から伸ばしてきた尼削ぎの髪がゆらゆら揺れているのも素晴らしく、顔つきや目つきのつやつやと匂うような美しさは譬えようがない。「ああ、この子と別れなければならないのだ・・」

  ところが、そんな悲しい思いで涙している母親を姫君は少しも理解しようとしない。
  『姫君は、何心もなく、御車に乗らんことを急ぎ給ふ』
のである。車に乗ってどこかに出かけること、それが今の姫君の最大の関心事なのである。母とすればやりきれない。彼女は自ら姫君を抱き車の所に出て行く。通常これはあり得ないことで、当然乳母が抱き車に乗せる。しかしこれが最後であると思えば、彼女は姫君をぎゅっと抱きしめないではいられない。そんな悲しみを三歳の姫君には理解できないのも仕方がない。そして
  『片言の声はいと美しうて、袖を捉えて「乗り給へ」と引く』
のだからやり切れない。自分の置かれている状況を判断できずにいる幼さほど、母親に辛い思いをさせるものはない。悲しさは倍加する。
   さすがに二条院に着いて異常に気付いた姫君は
 『やうやう見巡らして、母君の見えぬを求めて、らうたげにうちひそみ給』
うのである。泣かないで「らうたげにうちひそみ給ふ」ところが、この姫君の必死の我慢と育ちの良さを証明していていじらしく哀れである。
  しかし、やがては紫上の優しさと愛情に抱かれるようにして、姫君は実の母のことを忘れていく。

  何の別れでも悲しくないということはない。中でも母と子の別れほど涙を絞るものはあるまい。いずれ会えるという保証があれば悲しみは半減するのだが、明石君の場合はその保証はない(事実この後八年間というもの、源氏は姫君と明石君を会わせようとしない)。
  源氏物語には、親子の別れが何か所にも描かれている。最初は源氏と彼の母・桐壷更衣の死別である。更衣の「命には限りがありますから死ぬのは仕方ないことではありますが、でもどうしても生きたいのです」という悲痛な辞世の句は、帝との別れもあるだろうが、三歳の我が子との別れが、彼女の慟哭の中心であろう。
  藤壺宮が源氏の求愛を怖れて出家しようと、幼い春宮に告げるところがまた哀れである。母が尼になることを理解できないでいる春宮に、必死に説明しようと四苦八苦する宮の姿が涙を誘う。それでやっと「母と久しく会えないことらしい」と気づいて涙する春宮は
  『御髪はゆらゆらと清らにて、まみ(目もと)の懐かしげに匂ひ給へる』
さまをしている。この子と別れなければならないことの悲しくないはずはない。ただ、藤壺宮の場合は出家であっても山に籠ってしまうわけではないから、会うことはさして困難でもない。
  玉鬘がまたそうである。母が亡くなっていることも知らずに、筑紫に流れて行かなければならなくなった時に、彼女はただ
  『をさなき心地に母君を忘れず、をりをりに「母の御もとへ行くか」と(乳母に)問ひ給ふ』
ばかりで、乳母は涙が絶える時さえないのである。
  朱雀院と女三宮がまた同じ状況である。溺愛する娘を源氏に預けることでひと安心とはいうものの、院にとってはやはり心配は絶えない。思い余って山を下りて来てしまうこともある。
  もう一つの例を上げておこう。薫との愛も匂宮との恋も断ち切って出家を願望する浮舟は、横川の僧都に髪を下してくれるよう懇望する。彼女の心には既に薫も匂宮もない。ただ頭を過るのは母のことだけである。美しい髪を削ぎ落すに当たって僧たちは一瞬躊躇する。髪を下した後、横川の僧都は浮舟に向かってこう言う。
  『親の御方、拝みたてまつり給へ』
  僧都も浮舟の唯一の思いを理解し、母子の恩愛の深さを十二分に知っているのだ。

  源氏物語は、桐壷更衣と源氏との死別から始まり、最後は浮舟が母を思いつつ出家していくところで終わっている。かつて私は源氏物語の大きな主題の一つが親子の恩愛であると言ったことがある。それはかくの如きに親子の別れが、物語の重要な節々に登場するからであり、「心の闇(人の親の心は闇にあらねども 子を思う闇にまどひぬるかな)」という引き歌が、22回も出て来るところからも推測できるのである。

  最後に斎藤茂吉の「死に給ふ母」から一首上げて閉めることにしよう。
  『我が母よ死にたまひゆく我が母よ我(わ)を生まし乳足(ちた)らひし母よ』
 


 


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