FC2ブログ

スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←母子の別れ  源氏物語たより678 →掛詞いかんで人物査定  源氏物語たより681
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【母子の別れ  源氏物語たより678】へ
  • 【掛詞いかんで人物査定  源氏物語たより681】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

源氏物語

熾烈な権力争い  源氏物語たより679

 ←母子の別れ  源氏物語たより678 →掛詞いかんで人物査定  源氏物語たより681
     熾烈な権力争い   源氏物語たより679

  『絵合』の巻で、かつての頭中将(この時、権中納言)の娘・弘徽殿女御と故六条御息所の娘・梅壺女御は、「絵合せ」で激しい争いをした。絵合せなどという優雅で上品な遊びではあるが、実態は、絵を好まれる冷泉帝の関心をいかに惹きつけ如何に寵を得るかという中宮争いの一環であった。
  あれから二年、中宮争いはその後もずっと続いていて、ここにきて「后がいた方がよいだろう」という考えが出てきたのだ。さてそれでは誰がその地位に就くか、当事者はもとより世間でもどうなるものかと強い関心を寄せ、喧々囂々の騒ぎになった。
  光源氏はもとより梅壺女御を推す。その根拠としているのは、帝の母・藤壺宮が梅壺女御をぜひ帝の「後見に」と言っていたから、ということである。確かに『絵合』の巻で、藤壺宮は帝がまだ若いのでしっかりした後見を付けるべきだとは言っている。その結果、帝よりも九歳も年上の女御(梅壺)が生まれることになった。しかしその裏には源氏の思惑が絡んでいて、藤壺宮を唆(そそのか)していたことも事実である。源氏の思惑とは、彼には、六条御息所に対する大変冷淡で無情な仕打ちをしたことへの強い罪障感があった。彼女亡き後もその罪障感に苛まれ、何とかそれを和らげたいという思いでいた。御息所のむすめ・前斎宮を自分の養女にして、女御にまでしたのもその一つの表れである。絵合せであれほど夢中になって梅壺女御に肩入れしたのもそのことに依る。
  この頃から彼には梅壺女御を后にという思いがあったのだ。
 
  そういう源氏の意向に対して、世間ではさまざまな噂をし、また非難もする。その一つが
  『源氏のうちしきり后に居給はんこと、世の人許さず』
である。これには少し説明が必要であろう。この場合の「源氏」は、光源氏のことではない。「源氏」とか「平氏」とかは、元々天皇の子であった者(皇族)が臣籍に下った場合の姓を言う。つまり「王孫」ということで、それが引き続いて「后」の位に就くのは望ましくない、と世間の人は肯んじないのだ。端的に言えば、今度は藤原氏から后を出すにべきだというのである。
  そういえば、桐壷帝の后は「藤壺宮」であった。藤壺宮は先帝(桐壷帝の前の帝)の娘で純然たる王女である。朱雀帝は、朧月夜のことがあったりして后を置いていない。したがって、次の冷泉帝が、梅壺女御(春宮の娘)を后に立てれば二代続いて王孫ということになってしまう。これは実際の歴史上でも平安時代以降はなかったことである。そもそも源氏物語が舞台になっている醍醐天皇から紫式部が活躍した一条天皇まで、皇女が后になった例は冷泉天皇以外なく、他はすべて藤原氏から立っている。

  世間はもう一つの理由を上げて、源氏の横車を牽制する。
  『弘徽殿のまづ人より先に参り給ひにしも、いかが』
  かつての頭中将の娘が弘徽殿として誰よりも先に冷泉帝の女御として入内しているではないか、それを押しのけて別の女御を后に立てるというのもいかがなものかという理屈である。これは妥当な意見と言えよう。

  さらに面倒なことには、もう一人の女御も立后の意志があるということである。それは紫上の父・式部卿宮の娘で、この宮は帝の信任も厚い。彼が娘を入内させたのはもともと后にするという強い思いからであった。そこで宮の人々は、
   「同じ王孫であるならば、帝の母・藤壺宮にゆかりの者を立てるべきではないか。母がいられない帝の後見としては、それこそ相応しい」
と主張する。三者鼎立の現状は混乱の極みになっていった。
  これまた説明の必要がありそうだ。冷泉帝の母はもちろん藤壺宮で、兄が式部卿宮に当たる。したがって、この女御と冷泉帝は従兄妹関係ということになる。血縁の近い式部卿宮の娘を後見とすることこそ相応しいと、彼らは騒いでいるのである。
  梅壺女御は春宮の娘であるから、冷泉帝とは血縁がはるかに薄い。同じ王孫だったら、血縁がより近く帝の信任も厚い式部卿宮を後見にすることは確かに望ましいことかもしれない。 
  しかし、これは無理な話である。なぜならこの女御は物語にほとんど登場していないのである。紫式部が物語をより波乱あるものにしようという目論見のために無理に登場させたと言われても仕方がない。

  結局
  『とりどりにおぼしあらそひたれど、なほ、梅壺、ゐ給ひぬ』
ということで、梅壺女御が立后することで決着した。「なほ」とは「やはり」とか「けっきょく」ということで、計算されたレールのように源氏の思惑が通った。
  藤原氏を代表する頭中将(現右大将)は、歯ぎしりして悔しがった。式部卿宮とて同じことである。しかし、二人が今を時めく源氏に勝てるわけがなく、その怨みは後々まで尾を引いて行く。
  この『乙女』の巻で、源氏の息子・夕霧と頭中将の娘・雲居の雁との恋物語が始まる。しかし意地になった頭中将は二人の仲を決して認めようとしないばかりか、冷泉帝にも面当てのように、弘徽殿女御を里に引き上げてしまうというような意地悪までする。式部卿宮は、直接には源氏を糾弾することはないのだが、彼の北の方の怒りは尋常ではなく、紫上にまで恨み辛みを当り散らすのである。

  源氏は、実の娘でもない梅壺女御にどうしてそこまで肩入れするのであろうか。もちろん先の六条御息所に対する罪障感緩和ということもある。しかしそれだけではなかろう。現在彼には入内させるに相応しい実の娘はいない。もし冷泉帝と弘徽殿女御との間に子供ができれば、頭中将の政界での立場はぐっと上がる。一時的にせよ、源氏の権勢は衰える。一旦衰えた権勢を回復するのは容易なことではない。そこで養女でもいい、一時しのぎはできる、と計算したのではなかろうか。やはり権力を握っておくことがいかに有利であるかを彼は知り尽くしているのである。

  源氏物語は、女の著述である。紫式部は
  「政治については女の知るところにあらず」
と物語の中で述べているが、実際には処々にそれが顔を出している。
  紫式部や清少納言ほど、政治の熾烈と醜さを肌で感じていた女性はなかろう。もちろん藤原道長の存在によってである。道長の兄であり摂政・関白であった藤原道隆が死んだ後の彼のやり方は目を疑うほど過酷にして辛辣なものであった。道隆の嫡男を政界から追い落とすやら、一条天皇の中宮であった定子(道隆の娘)を皇后に置き換え、自分の子・彰子を中宮に就けてしまうやらの横暴を働く。いわゆる「二后並立」という歴史上例のない事件が起こしたのである。しかし誰もそのことを非難できない。こんな前代未聞の勝手ができたのも彼が絶対的な権力を握っていたからに他ならない。

  私はいつも思う、光源氏という人物は、アンチ道長のそれとない象徴ではなかったかと。どう見ても藤原氏が阻害されているような内容が、物語上のあちらこちらに見出すことが出来るからである。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【母子の別れ  源氏物語たより678】へ
  • 【掛詞いかんで人物査定  源氏物語たより681】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【母子の別れ  源氏物語たより678】へ
  • 【掛詞いかんで人物査定  源氏物語たより681】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。