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源氏物語

掛詞いかんで人物査定  源氏物語たより681

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     掛詞いかんで人物査定   源氏物語たより681

  かつて夕顔に仕えていた右近は、長年夕顔の遺児・玉鬘を見つけ出そうと神仏への祈願を怠らなかった。それは源氏の意向でもあり、「見つけ出したらまず私に報告しなさい」と兼ねてから言われていたことである。
  しばしば長谷観音に詣でた甲斐があって、初瀬の椿市の宿で玉鬘一行と遭遇することができた。玉鬘の容貌は、母・夕顔以上に美麗で、右近は現在の主である紫上に匹敵するほどであるとさえ思い、感に堪えないものがあった。
  ただ問題なのはその人となりである。とにかく四歳の時に筑紫に下り、以来十七年間その片田舎で育ってきているのである。右近は玉鬘が
  『田舎び、こちごちしくおはせましかば、いかに玉の疵ならまし』
と心配する。「田舎臭くごつごつした融通の利かない女だったら、せっかくの美貌がどれほど玉の疵になってしまうことか」という意味である。
  ところが、右近が歌を詠み掛けると、彼女は見事に歌を返してきたではないか。その歌は
  『初瀬川はやくのことは知らねども 今日の逢ふ瀬に身さへなかれぬ』
というものである。この歌には、なんと三つもの掛詞が使われている。「はやく」は初瀬川の流れの速さと「昔のこと」とを、「(逢う瀬)」の「瀬」は、初瀬川の瀬と「機会、折」とを、そして「なかれぬ」は初瀬川が「流れる」と「泣かれる」とである。
  全体の意味を林望の「謹訳源氏物語(祥伝社)」を借りると
  「この初瀬川の流れのはやさ、でもそんなはやい時代のことは知りませんが、今、きょうのこの逢ふ瀬という瀬に、うれし涙が川の瀬のように流れて、私の身まで、その瀬に流れてしまいます」
となる。

  古今集の中でも一首の内に、二個の掛詞を使っている例は多いが、三個以上となると(中には四個、五個の歌もあるが)稀になって来る。玉鬘はその稀な部類に入る歌を作ったのである。しかもすべての掛詞が、「初瀬川」にちなんでいる。恐らく「初瀬」という場が、右近に逢うという極めて奇跡的なドラマを生んでくれた場所であることへの感慨からなのであろう。
  これは驚くべきことである。何しろ筑紫は京からすれば地の果てで、文化・教育の程度も低いはずなのに。玉鬘は子供の時からずっとそこで育ってきている。にもかかわらず掛詞を自在に駆使した歌を作ったのである。彼女の教養、センスの豊かさを十二分に偲ぶことが出来る所作と言える。右近は、思わず、
  『いで、あはれ。いかでかくおひ出で給ひにけむ』
と感嘆する。
  この「あはれ」は「お見事」とか「感心なこと」という意味であろう。「なんと感心なことか。どうしてここまで見事に育ったのだろう」という感慨無量の思いが「いで、あはれ」である。彼女はここまで育ててくれた乳母に頭が下がる思いがするのである。
 
  先に右近は、玉鬘の容貌については「いとめでたく、清ら」と感動しているのだが、ここでの右近の感嘆は、玉鬘の歌に対して高い評価をしたことに尽きると言えよう。私には、この歌の内容はさほどの出来とは思えないのだが、右近がこれほどまでに感銘しているのは、掛詞の功名というしかない。それほどに掛詞は高く評価される要因になっていたということである。 
  私は最近、掛詞(洒落)に凝っていて、いろいろ作ったりしているのだが、これが意外に難しい。いわゆる「駄洒落」程度のものはできるとしても、機智に富んだセンスある洒落(掛詞)などはなかなかできるものではない。まして五・七・五・七・七の三十一文字の中に三つも詠い込むのだから、容易な沙汰ではない。それを田舎育ちの玉鬘がやってのけたのだから、「玉の疵」どころではない。また「たまたま」出来たものとも思えない。その能力があるからこそ可能だったのであって、もう「珠玉の才能」とでも言っても過言ではない。
  なお右近が詠み掛けた歌には掛詞は使われていない。右近には「(田舎育ちに)してやられた」という思いもあったかもしれない。

  右近が、玉鬘の人となりを試すために歌を詠み掛けたかどうかは分からないが、とにかくこれで人物としては太鼓判を押せる。これだけのセンス、教養があれば、源氏様へは自信を持って報告できる。容貌といい教養といい申し分がないのだから。

  右近は、はやる気持ちを抑えるようにして、六条院に戻る。
右近の報告を聞いた源氏は、その美貌について気にかかり「わが妻(紫上)とどちらか」と冗談交じりに問いただしたりする。さすがに右近は、
  「まさかそこまでは・・」
というのだが、初瀬で初めて会った時には、「紫上さまと同等」と思ているのである。ただ、右近には玉鬘の掛詞を多用した歌のことがあり、そのことについては源氏に知らせてはいない。その誇らしさがあるから、源氏の前で何かその誇らしい気持ちがにじみ出てしまったのだろう、鋭い源氏に見透かされ、こうつかれる。
  『したり顔にこそ思ふべけれ』
  しかし、彼女がそのことを源氏に知らせたとは記述がないので、彼女の心の底に秘めたままだったのだろう。

  さて、右近の報告を受けてひどく関心を持った源氏であるが、玉鬘にすぐに会おうとしない。どうやら、今度は源氏自身が玉鬘の人となりについて心配になって来たようである。どんなに美貌であっても、やみくもに六条院に迎えて人柄が劣っていたのでは困るからである。彼には苦い思い出がある。それは末摘花で、彼女が常陸宮様の娘である以上間違いなく優れた女性であろうと思い込んでしまって、とんだ下種女を掴んでしまった、あの経験である。まして玉鬘は宮様の娘でもないし、長年筑紫で育ってきたのである。
   『さやうに(筑紫に)沈みて生ひ出でたらむ人の有様うしろめたく』
と源氏が思うのも仕方がない。「うしろめたし」とは「気がかり」ということである。
  そこで彼はまず歌を添えた消息を送る。
  玉鬘は、源氏の歌に対して、こう返歌する。
  『かずならぬ三稜やなにのすぢなれば 憂きにしもかく根をとどめけむ』
  難しい歌である。三稜(みくり)とは多年草の植物で、「筋」が多いのだろう、「すじ(関係、血縁)」に掛かる序のようなものである。歌の意味は、
  「物の数でもないわが身は、いつもふらふらとして定まりません。なんと辛く憂き身でございましょう」
との嘆きの歌である。ここでは掛詞は使わていず、差しさわりのない平凡なものである。しかし裏には「実の親には捨てられ、この度はまた血縁もはっきりしないお方の世話になるようで、何とも辛いことです」と言う意が含まれていよう。
源氏は、歌の内容には触れず、彼女の筆跡について
  『(墨の色は)ほのかなり。手ははかなだちて若けれど、あてはかにて、口惜しからねば、御心落ちゐにけり』
と人物評価をする。頼りないところはあるが、筆跡が上品で趣があると見て、胸を撫でおろしたと言いうわけである。
  末摘花の失敗があるとはいえ、何か源氏の嫌らしさが出ている気がしてならない。なにしろ玉鬘は頭中将と夕顔の子であるから、それほど劣っているはずはないではないか。それに彼は結果的に、玉鬘の母を死に至らせてしまっているのだ。その責任は重い。無条件で温かく迎えてやればいいのにと思う。どうせ彼の好色心を騒がすに決まっているのだから。
 
  右近は掛詞で人物評価をし、源氏は源氏で筆跡で相手を評価している。この査定をクリアーするのは、東大合格の難しさに匹敵しそうである。
  いずれにしても、この後、源氏は、玉鬘を養女として引き取り、掛詞も筆跡も関係のない泥沼のようなべたべてとした恋愛沙汰が展開されていく。あまりの泥沼に「面白くない玉鬘十帖」とも言われている。


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