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源氏物語

末摘花いびりをする作者の本意は  源氏物語たより687

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     末摘花いびりする作者の本意は  源氏物語たより687

  光源氏は、新年の祝いにと女性方の部屋を回る。もちろん元日は六条院の女性方で、春の町の紫上、夏の町の花散里と玉鬘、そして最後は冬の町の明石君という具合で、結局この日は明石君方に泊まってしまう。北の町以外の女房たちはやっかみ半分に「やはり源氏さまの寵愛は明石君さまが一番深いのでしょうよ」とささめきあう。

  当然、二条院の東院にいる空蝉と末摘花のお二人は後回しになる。とにかく光源氏は太政大臣なのであるから、正月と言えば客が引きも切らない。
  『上達部・親王達など、例の残るなくまゐり給へり』
という有様で、それらの馬・車が罵り騒いでやって来るのだから、とても二条院などに廻っている余裕はない。ということで
  『さわがしき日ごろ過ぐしてわたり給』
うことになった。

  末摘花のところなどは、もう義務感から廻っているようなものである。会ったとたんに源氏の目は、彼女の髪に注がれる。末摘花と言えば、姿形はもちろん、教養・センス、何から何まで一つのとりえもない女性なのだが、髪だけは黒々と長くしかも豊かで、彼女の唯一のセルースポイントになっていた。ところが今、源氏が見ると
  『盛りと見えし御若髪も、としごろに衰へゆき、まして滝のよどみ恥づかしげなる』
有様になってしまった。それにしても「滝のよどみ恥づかしげ」とは何とも辛辣である。実は、古今集にこんな歌があるのである。
  『落ちたぎつ滝の水上年積もり 老いにけらしな黒き筋なし  壬生忠岑』
  「たぎつ」とは、水が激しく流れたり落ちたりする様で、この歌は、比叡山の瀧を見
て詠んだものと言うのだが、実際には激しく落ちてくる滝が真白であるところを擬人化して、歳をとって髪の毛がすっかり白くなってしまったことを嘆いた(自嘲的にか)歌なのである。
  末摘花の髪が今では黒いところが全くなくなってしまったことを、こう表現したのである。それも「たぎつ滝よりも白い」というのなら許せるが、「滝も恥ずかしくなってしまうほど白い」と言う。「黒き筋」など一筋もないから、滝の方で「わ、負けたわ」と敗北宣言してしまうほど白いと言うのだ。平安女性にとっては、髪は「我が命」なのである。したがって、一筋の黒髪もない女性は女性ではないと言っているのと同じで、人格否定も甚だしい。
  そのために、源氏は、末摘花を
  『まほにも向かひ給はず』
という侮蔑的扱いをする。まともに見ないということである。
 
  源氏の侮辱はまだまだ続く。
  『柳は、げにこそすさまじけれと見ゆるも、着なし給へる人からなるべし』
  今度は彼女が着ている衣装に源氏の目は行った。暮れに源氏は、それぞれの女性に似合うであろうと思われる衣装を贈っている。例えば、玉鬘などには山吹襲(かさね)の華やかなものである。末摘花には「柳襲」がいいだろうと判断して贈ったのである。柳襲は、表が白、裏が青という地味な衣である。自分で送ったにもかかわらず「やはり末摘花には似合わなかったか」と嘆くとはどういう神経なのだろう。
  そして救いようのない判定を下す。
  「もっとも衣装は着る人の人柄によるのであろう」
  柳襲だって着る人によって似合うもの、それさえ着こなせない末摘花は、人間失格に等しいと言っているようなものである。
さらに、古くなってごわごわと音のするような一襲の上に、柳襲を着ているから、いかにも寒々しく見える。そのために鼻のてっぺんの赤さばかりが
  「霞にも紛れず鮮やか」
に見えるので、源氏は完全に愛想を尽かしてしまい、
  『ことさらに御几帳引きつくろひ、隔て給ふ』
のである。「まほには見ない」どころでか、几帳で二人の間を隔ててしまって、末摘花の姿が見えないようにしてしまったのである。

  そして最後には源氏は心の中でこんな歌を呟く。
  『ふる里の春のこずゑを尋ね来て 世の常ならぬ花を見るかな』
  「ふる里」とは、今まで源氏はこの二条院に住んでいたから言ったもので、久しぶりに訪ねて来てみたら、「世の常ならぬ花」を見てしまったと言うのだ。お分かりと思うけれども、「花」は末摘花の「鼻」を掛けている。つまり「人間とは思えないような鼻の持ち主」と言っているのだ。彼女の鼻が赤いことは疾うに分かっているのだから、見たくないのならわざわざ義務的に会いにくる必要もなかろうに。

  ここまで末摘花をいびる理由は何なのだろう。この問題については今までも何度も取り上げてきたが、私には未だに見当もつかない。
  紫式部は、他人を批判することにかけては、天下一品で容赦がない。それは『紫式部日記』を見れば分かることである。でも清少納言批判の
  『清少納言こそ、したり顔にいみじゅうはべりける人・・さかしだつ人・・人に異ならむと思ひ好める人・・艶になりぬる人(の将来はろくなことがない)』
という批判などは当たっている気がする。『枕草子』を見れば、清少納言はいかにも「高慢ちきな感じがするし、利口ぶり人よりは特に優れようとしたり、いつも風流ぶっている」のが分かるからである。
  でも末摘花は、したり顔をするわけでもないし、利口ぶるわけでもない。人に異なろうと意識的に振る舞うこともないし、むしろ無風流一偏倒の女性である。それなのにここまで侮り、徹底してやり込める紫式部の本意はどこにあるのか、どうしても理解できない。
  あるいは末摘花を古生代(前世からの天敵に模しているのかもしれない。


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