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源氏物語

格子を下す  源氏物語たより690

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     格子を下す   源氏物語たより690

  几帳や格子は物語上重要な役割を果たす。源氏物語でも様々な場面に格子が出てきて、筋を華やかに彩っている。
  『朝顔』の巻で、光源氏が朝顔の部屋に行く時にもこんな形で登場する。
  『西面(にしおもて)には、御格子まゐりたれど、いとひ聞こえ顔ならむもいかがとて、一間、二間は下さず』
  今まで源氏は東面で、朝顔の叔母・女五の宮と話をしていたが、彼女が眠たそうにあくびまでするので、「これはいい具合」とばかりに本命の朝顔の所に勇んで行く。
  朝顔の女房たちは、源氏さまはいずれこちら(西面)に来られるであろうと思って、全ての格子を下したままでは、源氏さまのお出でを迷惑がっているかのように取られてしまいかねないことを配慮して、格子を一間、二間だけは下さずにいたというのである。

  この「まゐる」は、「食べる、する、仕える」などさまざま動詞の代わり(尊敬や謙譲)をする言葉で、この場合の「まゐる」は、格子を「上げる」「下す」の意として使われている。なお、「間」は、柱と柱の間のことで、一間は二メートルほどに当たる。したがって、二間上げたままだとすれば、四メートルほどが、外の空気をそのまま入れていたということになる。格子の裏には、紙が貼ってあったり、板が打ち付けてあったりするので、全部下してしまうと部屋の中が暗くなり、灯火を灯さなければならなくなる。
  そのように閉鎖的な状態では、客をいかにも「厭い顔」で迎える感じになってしまうので、朝顔の女房たちは、気を利かして一間、二間ほどは下さずにおいたのである。

  丁度この時、
  『月さし出でて、薄らかに積もれる雪の光りにあひて、なかなかいとおもしろき夜のさまなり』
という情況であった。「雪・月・花」の内の雪と月とがそろったわけである。春の花盛りなどよりも「なかなか(かえって)」趣深い情景を作り出していたのだ。かの源氏さまと我らが朝顔さまが語り合うのには絶好の条件がそろっていたということである。こんな風情の時には、確かに格子を下してしまっては、せっかくの逢瀬も艶消しになってしまう。
  とにかくこれで恋を語る場は設定された。
  
 そんななかで、源氏はさかんに朝顔に言い寄る。ところが、相手は女房を介して応対するだけで、どう攻めようが直に逢おうとはせず、けんもほろろなもてなしをするばかりである。というのは、彼女には源氏と結婚する意志など毛頭ないからである。源氏は恋多き男であるし、六条御息所への冷淡な扱いなどを朝顔は見知っていて、「自分はああはなりたくない」と深く心に誓っているのだ
から、事情が進展するはずはない。
  源氏は恨み言を言うのがせいぜいで、先ほどの格子を上げたままの情況はかえって辛く身に沁みる。
  『夜もいたう更け行くに、風のけはひ烈しくて、誠にいともの心細くおぼゆれば・・』
ということで、結局、彼は恨みの歌を残してすごすごと朝顔のもとを去って行く。

  女房たちは、もちろんご立派な光源氏の味方である。
  「あれほど素晴らしいお方の愛を朝顔さまはどうして受け入れないのか」
と不満でならないのだが、いかんともすべがない。せっかく「月」と「雪」とのコラボレーションを、格子を上げることによって、ますます趣深くしようとしたにもかかわらず、格子は意味をなさなくなってしまった。
  源氏が不満げに帰って行った後、朝顔は厭い顔に即座に格子を下させたかもしれない。

  格子が、物語の展開に見事な働きをしている場面は、「末摘花」の巻にもある。
  靫負(ゆげい)の命婦の口車に乗って、末摘花のところに通うようになった源氏は、彼女と夜を共にするのだが、何の受け答えもできない相手にすっかり戸惑ってしまう。何度かの通いはするが、それも次第に間遠になっていく。そんなことで、靫負の命婦には「どうして通ってあげないのですか」と、愚痴を言われる始末。

  秋も果てたある夜、正体を暴くべく、源氏は突然末摘花の屋敷を訪問する。
  『やをら(寝殿に)入り給ひて、格子の間より見給ひけり。されど、みづからは、見え給ふべくもあらず』
で、格子の間からのぞき見するのだが、肝心の末摘花は、例の引っ込み思案であるから奥に引っ込んでいて姿も見せない。こうなるとますます素顔を見たくなるのが男の心理というものである。その夜は
   『いとど憂ふなりつる雪かきたれ、いみじう降りけり』
という悪天候であった。末摘花は相変わらず、引っ込み思案で愛嬌もなく、何の栄えもない。それを残念に思う源氏は、
  『からうじて明けぬる気色なれば、格子手づから上げ給ひて、前の前栽の雪を見給ふ』
のがせめてものことである。「からうじて」が辛辣である。昨夜は何の反応もない女にがっかりして、早く夜が明けないものかとまんじりともしなかったのだ。それがようやく明けたようなので、早々と床を抜け出して源氏は自ら格子を上げたのである。これは誠に奇特な行為で、光源氏ともあろう高貴なお人が、自ら格子を上げるなどまずないのではなかろうか。
  私は、仁和寺や大覚寺が好きで何度も行っているが、その都度感心するのが、格子である。とにかくどっしりしていていかにも重そうである。末摘花の家も、父親は宮様なので、大覚寺などに劣らぬ大きな寝殿であったはずである。あんな重い格子を一人で上げることなどできるのだろうか。まして天皇の子である光源氏ともある者が上げるとは信じられないことである。もっとも女房たちが格子を上げる場面が、物語にはよく出て来るから、何か上げるテクニックがあるのだろう。
  とにかく源氏は、できるだけ早く末摘花との床を離れたかったのだ。そして末摘花の素顔を見たかったこともある。自ら格子を上げて見ると、はるかに庭一面の雪で踏み跡もなく美しい風情を作り上げている。でも、雪の風情を見るのは行きがかり上のことで、末摘花の正体を暴きたいがために、こう声を掛ける。
  『をかしきほどの空を見給へ』
  格子を自ら上げたのは、やっぱり末摘花を明るい所に導き出すのが目的だったのだ。すると、女房たちに急かされた末摘花が「ゐざり」出て来てしまう。
  格子を上げる、庭一面の雪の光りに明るくなった部屋、そこに露わになった女・・。
  ここで、源氏物語上もっともすさまじい女の容貌・容姿があからさまになってしまう。この後の経過については省略しよう。末摘花にとってあまりにも哀れであるから。
  いずれにしても格子が、ここでも立派なワキの役をしている。

  もう一つだけ、例を上げておこう。『空蝉』の巻である。
  強引に契りを結んだ空蝉に、源氏は恋いこがれるのだが、相手はその後は二度と体を許そうとしない。「何とかもう一たびの逢瀬を」と思う源氏は、彼女の弟・小君を使って、ある夜、空蝉の所に忍んで行く。小君は、姉にはそれとも知らせずに、格子を叩き大声を出して源氏を導くべく姉の部屋に近づいて行く。
  『なぞ、こう暑きにこの格子は下されたる』
  京の夏は暑いので、夜でも格子を上げておくことが多かったのだろう。ところが、ここの格子はすべて下してあった。それを小君は咎める様子をして中に入って行く。
  妻戸の陰に隠れていた源氏は、小君が上げた格子がそのままになっているので、そこから忍んで行き、御簾の間に身を隠して部屋の中を覗く。そこには空蝉と彼女の義理の娘・軒端荻が碁を打っている姿があった。それから源氏の執拗にしてあくなき垣間見が始まる。格子が、源氏の不埒な行為を見事に助けたのである。(結局、空蝉は衣一枚を残して源氏の襲撃から逃げてしまい、そのお代りに、先ほど格子の陰から見た肉感的な軒端荻をいただいてしまう)

  まだまだ限りなく源氏物語には格子が登場するが、省略しよう。
  御簾や几帳は物語の展開にはいかにも恰好な小道具になりそうであるが、紫式部は、素っ気ない格子をも実に巧妙にして効果的に物語の中に取り入れた。


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