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源氏物語

杳として分からぬ朝顔の人となり  源氏物語たより691

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     杳として分からぬ朝顔の人となり  源氏物語たより691

  朝顔の君ほど、あちらこちらに顔を出す女性も少ない。にもかかわらず彼女ほどその人となりが霞んでいて掴みどころのない女性も珍しい。
  源氏物語には随分早くから登場しているのだが、それを後の『朝顔』の巻に登場する朝顔の君と結び付けるのは困難である。多くの読者は、この巻に来た時にはすっかり忘れてしまっていて、「ああ、あの時の・・」と気付く人も少ないのではなかろうか。最初に出て来るのが、源氏物語の二巻目『帚木』の巻なのだから、忘れてしまうのも無理はない。

  光源氏は、頭中将たちと雨夜の品定めをした翌日、方違えということで紀伊守のところに一夜を借りることになった。源氏の宿るべき部屋である寝殿の西面(にしおもて)から若い女たちの忍び笑いなどが聞こえてくる。同じく方違えにここに来ていた空蝉とその女房たちである。源氏は、空蝉の噂を以前から聞いていたので興を覚え、耳を傾ける。と、なんと彼女たちは自分のことを噂しているのであった。
  「本妻がいるというのに、陰に隠れて浮気ごとなどしているそうよ」
  源氏は、藤壺宮への懸想のことが知られてしまったのかと、一瞬ぎょっとする。しかしそうではなかった。
  『式部卿の宮の姫君に、朝顔たてまつり給ひし歌などを、少しほほゆがめて語るも聞こゆ』
のであった。源氏が、朝顔の花に恋文を付けて宮の姫君に贈ったことがあるのだろう、そのことを言っていたのである。彼女たちが噂していたこの姫君こそ、誰あろう後の「朝顔の君」なのである。源氏の朝顔への恋は、空蝉付きの女房たちにまで知れ渡っていたのだ。いやおそらく都中の人々が知っていた事実だったのだろう。この時、源氏十七歳。
  なお「ほほゆがめて」とは、「間違って」ということで、朝顔に贈った源氏の歌を女房たちは間違って暗記していて、それを間違ったまま朗誦しては、くすくす笑いながら噂にしていたというわけである。
  ここで不思議に思うのは、秘密のはずの源氏の恋文が、どうしてしがない空蝉如きの女房たちが知っていたのだろう、ということである。源氏物語にはこんな不思議があちらこちらに出て来るが、まあこれは不問に付しておこう。
  いずれにしても、源氏の若き日からの恋が、後に紫上を悩ますことになろうとは、この段階では読者の誰もが想像だにしない。

  『葵』の巻には、こんな形で登場する。
  葵祭りの御禊(ごけい みそぎのこと)の儀式に供奉することになった光源氏の姿を見ようと、都中が湧きたっていた。誰も誰もが祭り見物に繰り出し、桟敷には式部卿宮の姿もあった。父と一緒に見物していたのだろう、朝顔の君も、源氏の雄姿に心を止めはするが、それでも
   『いとど近くて見むとまではおぼしよらず』
という程度であった。「近くて見む」とは、「近くで逢う(その裏には結婚ということも含まれていよう)」ということで、源氏はさかんにモーションをかけて来るが、そうかと言って彼女の方は逢瀬を持とうとまでは思わないということである。
  この場面でも朝顔の君の人となりについては何も語られていない。

  『葵』の巻にはもう一度彼女が登場する。それは、源氏の正妻・葵上が亡くなって、四十九日の喪に服している時である。彼は、あまりのつれづれに朝顔の君に手紙を送る。するとこんな歌とともに返事がきた。
  『秋霧に立ち遅れぬと聞きしより しぐるる空もいかがかとぞ思ふ』
  「秋霧」とは、葵上のことを言ったもので、
 「奥様に立ち遅れなさったとお聞ききしまして以来、こんなに時雨れる日には、あなた様の悲しみもいかほどかとお察し申し上げます」
という意味である。人の妻の死に当たっては、この程度の歌しか出てこないのだろうと察しはするが、それにしてもありきたりの素っ気ない内容で、情の一つも感じ取れない。それでも源氏は惚れた男の弱みで、その筆跡を奥ゆかしいと見ている。そして、
「(冷淡ではあるが)しかるべき折々の情趣を見逃さない女性こそ、互いにいつまでも情をかわす(結婚する)に相応しい人」
などと思っている。これもあばたも笑窪への男の勝手な想像に過ぎない。百歩譲って朝顔の君の長所を上げたとしても
  「筆跡が奥ゆかしいこと」
  「折々の情趣を理解できる人」
くらいしか出てこない。

  その後、桐壷帝の崩御に当たって、朝顔の君は斎院として賀茂神社に奉仕する神聖な身になってしまったので、男が手を出せる存在ではなくなってしまう。
  一方、源氏が愛してやまない藤壺宮は、源氏の執拗な求愛から逃れるために出家してしまう。失意に沈む源氏は、やけを起こして雲林院に参籠し勤行に努める。
  ところが、ここでもつれづれを持て余して、紫上に手紙を出したり、なんと斎院である朝顔の君にまで恋文を贈ったりという始末。雲林院と斎院は目と鼻の先ということもあったのだろうが、それにしてもなんたる罰当たり。
  その時の源氏の歌は次の通りである。
  『かけまくはかしこけれども そのかみの秋思ほゆる木綿襷(ゆうだすき)かな』
情況が分からないので難しい歌である。要は
  「昔 、あなたあったことが偲ばれてなりません」
ということである。「かけまくもかしこけれども」と「木綿襷」は、賀茂斎院に掛けたもので、前者は祝詞の文句を借りて「口に出して言うのも恐れ多いことだが」という意味、後者は神に仕える人が掛ける襷のこと。全体の意味は
  「あなたが斎院になられる以前の、あの秋のことが偲ばれてなりません」
ということで、いかにもかつて彼女と何事かがあったかのように匂わせている。そして「取り返すことが出来るものなら、昔に戻りたいものです」とまで厚かましく付け加えている。
  これでは朝顔としてもカチンとくる。そこでこんな歌を返す。
  『そのかみや いかがはありし木綿襷 心に掛けて忍ぶらむゆゑ』
  「昔、あなたとの間に何かがあったとでもおっしゃりたいの?心に掛けて忍ぶ、なんておっしゃって・・」という意味で、完全な無視である。それでも惚れた男の弱みは、その筆跡を「巧み」と見、「上手い」と見るのである。
  ここにも朝顔の人となりを知る手がかりはない。あえて言えば、案外冷たい皮肉屋。

  朝顔の君がどのような人柄であるのか分からないままに、また源氏が何ゆえに禁忌に触れるまでしてしつこく求愛するのかも分からないままに『朝顔』の巻に入っていく。源氏が、藤壺宮を愛してやまなったことも、紫上を拉致同然に二条院に連れて来たことも、また夕顔も朧月夜も明石君も、みな源氏が愛さずにいられなかった必然性が物語上描き切られている。ところが、朝顔の君だけは、曖昧模糊(あいまいもこ)としていて、源氏がこれほど執心する必然性が描かれない。それなのに源氏物語の中の立派な一巻になるほど重要な人物として存在するとはどういうことであろうか、その意図が理解できない。
  彼女の歳ははっきりとは分からないが、おそらく源氏と同い歳くらいであろうから、三十数歳ということになろう。したがって、もうこの時にはすっかり年老いていて、現代で言えば五十歳くらいになっていようから、源氏が恋を語る相手ではなくなっている。

  『朝顔』の巻は突然こう始まる。
  『斎院は、御服にて、おりゐ給ひにきかし』
  彼女の父・式部卿宮が亡くなられたので、斎院を下りたというのである。
  これはチャンスとばかり源氏は、盛んに消息を送りアタックする。そして彼女の邸を何度か訪れる。しかし、彼女は直に会おうなどとはせず、女房を介しての意思疎通というけんもほろろの応対しかしない。源氏はひどく自尊心を傷つけられた思いで彼女の邸を立ち去って行く。
  二条院に帰った源氏は、早速手紙を送るが、その折の二人の贈答がふざけている。
  源氏 『見し折の露忘られぬ朝顔の花や盛りは過ぎやしぬらん」
  (昔見た折の面影が忘れられぬ朝顔も、花盛りは過ぎたであろうか。 円地文子訳)
  朝顔 『秋果てて露のまがきにむすぼほれ あるかなきかにうつる朝顔』
  (秋の末、籬に咲き残る朝顔のように、あるかなきかのはかない私です。 同上)
源氏の歌は信じられない。「花の盛りは過ぎてしまったろう」とはなんと失礼な歌であることか。それに対する朝顔の歌は、「おっしゃる通りです」と言っているのに等しい。「むすぼほれ」とは、晴れ晴れしない情況を言う。したがって、「かつての花もすっかり色香は失せてしまって、何とも哀れな私・・」ということで、源氏の求愛など一顧だにしていないこと明々である。

  二度目の訪問の時も、朝顔が源氏を拒否する状況は全く変わらない。それでも彼女へのご執心は相変わらずなのである。
  「こうこうこれこれ、類まれな理想的な女性である」
という具体的な説明があれば納得できるのだが、それがないままに源氏の執心ばかりがクローズアップされる。
  そして、なんと朝顔の君に執着する要因がこう述べられるのである。
  『おとど(源氏)は、(朝顔の君に)あながちに思し入らるるにしもあらねど、つれなき御気色のうれたきに、負けて止みなむも口惜しく』
  実に奇妙な結論ではないか。「無理をしでも執心するほどの女性でもないけれども」と言うのだ。では今までのご執心は、一体なんだったと言うのか。そして「相手の冷たい態度が辛く、その冷淡さにこのまま負けてしまうのが残念なので・・」しつこく関わっていたに過ぎないというのである。単なる意地にしか過ぎなかったと言う。なにか化かされたような気がしてならない。
  あるいは私の解釈の間違いであろうか。

  以前も取り上げたことであるが、朝顔の君という人物は無理に造り出した女性という気がしてならない。何のために造りだしたのかといえば、それは「紫上にあはれを覚えさせる」ためである。源氏物語の一つのテーマが、男に翻弄される女性の「あはれ」である。源氏は、意識するしないにかかわらず、これでもかこれでもかという程に紫上を哀しませている。その一つの形象となったのが朝顔の君と言えないだろうか。
  とにかく、無理は無理を呼び込んでしまう。『朝顔』の巻は極端に難解であるし、楽しくない。それは『末摘花』の巻がそうだったように無理に造り上げた結果と言える。

  さて、雪の大層降り積もった夕べ、源氏は、過去に関わった女性方の話を紫上に語って聞かせる。紫上が忍びないほどあはれな気持ちでいることも知らぬげに。その中には勿論朝顔の君も登場する。
  『前斎院の御心ばへは、またさま殊にぞ見ゆる。さうざうしきに、何かとはなくとも、聞こえ合わせ、我も心遣ひせらるべきあたり、ただ、この一所や、世に残り給へらん』
  朝顔の君を褒めていることには違いはないが、具体性がなく実態がない。それでも紫上をあはれにさせるには十分である。
  『こほりとぢ 岩間の水は行き悩み 空澄む月の影ぞながるる』
とぼそりと詠う紫上の歌が実に哀しく響く。池の氷が張りつめたために岩間を行き悩んでいる「水」とは、もちろん紫上である。
 

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