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源氏物語

光源氏の生活信条  源氏物語たより693

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     光源氏の生活信条   源氏物語たより693


  男踏歌の際、光源氏の嫡男で十五歳の夕霧も歌頭(音頭をとる人)として名を連ねていた。内大臣(かつての頭中将)の息子たちもその中にいた。彼らの歌の技量が
  『そこらにすぐれて、めやすく華やかなり』
と評価されている。「この人たちは、他の誰よりも優れていて見た目も感じ良く華かである」という意味である。
  夜が明け果てたころ、踏歌の連中は源氏から結構なご祝儀(綿)を頂いて内裏へと帰って行く。
  
  その日、源氏は日が高くなってから起き出し、紫上に踏歌の感想を伝える。もちろん息子の夕霧についてである。彼はこう言う。
   『中将(夕霧)の声は、弁の少将(内大臣の子)にをさをさ劣らざめるは』
  内大臣の子供たちはいずれも諸芸に秀でていて、特にこの弁の少将は歌に勝れているという評判をとっていたのであろう。その弁の少将にも夕霧は
  「全く(をさをさ)劣っていない」
と自慢したのである。最後の「は」は、強調の助詞で、源氏の得意(親馬鹿)を如実に表す語として使われている。
  どうも夕霧に対しては実の父親としての愛情が薄いように感じられる源氏だが、この自慢話からすれば、必ずしもそうばかりではないようである。
  彼の自慢話はこう続いて行く。
  「今の世には、不思議なことに学識・技芸などの点で優れた者が排出している。昔の人は漢学などを中心にした才学の点では、確かに現代の者よりも優れた人が多かっただろうが、しかし風流ごととなると現代の人に比べて必ずしも優れているとは言えないのではあるまいか」
  この考え方は源氏の持論で、源氏物語の中に何度か披瀝されている。この物語が舞台となっていた醍醐天皇の御代は、いわゆる国風文化が隆盛の時代で、貴族文化華やかな頃であって、漢学中心の才学は必ずしも大事とはされなくなっていた。男踏歌を見てその思いが確信となり、自分の息子がその一人であることに満足しているのである。

  ここから彼の信条はさらに人のあり方・生き方へと発展していく。
  「夕霧には将来はまっとうな官僚となって欲しいと思い定めていた。そもそも自分自身があまりに風流一点張りであったのだが、夕霧にはそうはなって欲しくなかったからだ。しかし考えてみれば、人間というもの、本当のところはやっぱり風流心を兼ね備えていてもらいたいものだ。いつも取り澄まして生真面目で仕事一方というのでは、どうも付き合いにくい人間ということになってしまう」
  超一流の貴族の嫡男であるにもかかわらず、夕霧を大学に入れたのも漢学を中心とした学問をしっかり身に付けさせ、何事にも対処できるしっかりした官僚にしたいがためであった。夕霧は、源氏のそういう思いに適(かな)い立派な若手官僚として活躍し始めていた。しかし、それがかえってあだとなってしまって、世間から「まめ人」と言われるほどに生真面目一方の人間に成長していた(成長してしまった?)。
  源氏はそんな息子を一面では誇りにし、一面では貴族社会に交じわっていく上で一抹の危惧を感じていたようである。ところが、男踏歌の歌頭として、あの弁の少将にも勝って見えたのだから杞憂であった。案ずるより産むが易しである。

  とにかく人間としての幅は、仕事ができればいいと言うものではない。これは現代にも通じる考えで、頑ななまでに偏屈な仕事人間では官界や企業の世界で使い物にならなし、そもそもそんな男は面白くない。
  特に貴族社会では、管弦も歌も舞も、あるいは書も画もできなければ「あいつは大したもの!」と評価されることはない。源氏はそのすべてに秀でていた。
  これらに加わるに源氏の特技が二つある。一つは「弁舌」であり一つは「好色ごと」である。人を感動させる弁舌、女を口説き落とす力量がないような男では、満足な貴族人とは言えない。このような幅広く深い技量を持って初めて複雑怪奇な貴族社会を生き抜くことが出来のだし、また人にもより良い生き方を示すことができるのである。

  後年、夕霧が柏木の未亡人・落葉宮に激しい恋をして、夫婦別れの岐路にまで足を踏み入れた時に、源氏は
  『いとおとなしうよろづを思ひしづめて、人の誹りどころなく、めやすくて過ごし給ふを、面だたしう、我がいにしへ少しあざればみあだなる名をとり給うし面(おもて)おこしにうれしう思し渡るを・・・・さばかりのことたどらぬにはあらじ。宿世といふもの逃れわびぬる事なり。ともかくも口入るべきことならず』
と理解を示す。意味は
  「夕霧は、大層老成していて沈着冷静。人からとやかく非難されるようなこともなく、立派に今まで過ごしてきた。それを私はおもだたしいこととして誇にしてきたものだ。
  彼に比べたら私は若い時分、婀娜(あだ)っぽく浮ついているという評判をとらないでもなかった。そんな私にとって、夕霧は私の名誉挽回とさえ思え、私にとっては嬉しい息子であるとずっと思ってきた。(この恋にはいろいろな面で問題が起ころうが)夕霧はそんなことが分からぬ男でもないはず。これも宿世であって、宿世ともなれば逃れ難いもの。とにかく私がとやかく口を入れることでもあるまい」
となろうか。
  源氏の度量の広さをうかがうことのできる言葉である。それも彼の若かりし頃に、浮気沙汰や風流韻事の明け暮れがあったればこその至言と言えよう。
  「さばかりのことたどらぬにはあらじ」
  「宿世というもの逃れわびぬることなり」
などはまさに名言である。自分の行為がどのような結果を招くかなどは、ある程度の思慮の持ち主であれば分からぬはずはない。しかし、宿世というものは、その思慮をさえ超える。「宿世から逃れ難い」ことは、源氏が若い時に何度も体験し経験したことである。そうであってこそ「今更夕霧の宿世に口を入れたとしてもどうなることでもない」という言葉が、悟りとゆとりの境地から出て来るのである。

  紫上に語り終わった後、源氏は近くにいる女房たちに向かって、「万春楽(男踏歌の歌曲の一つ)」を気持ちよさそうに口ずさみながら、こう呼びかける。
  『人々、こなたに集い給へるついでに、いかでものの音、こころみてしがな。わたしの後宴あるべし』
  「後宴(ごえん)」とは、内裏で大きな行事などが行われた後に、その行事に関わって慰労などの意味を含めて催す宴のことである。源氏は「内裏で後宴を催すのだから、私的な後宴を催しても悪いということはるまい」と言っているのである。
  彼は早速琴などを引き出して女房とともに「演奏を」と意気込むのだが、恐らく、後に内裏にも負けない大仰な後宴を催すつもりなのであろう。もちろん夕霧の技量をみんなに披露するために。


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