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源氏物語

男たちの奮闘  源氏物語たより694

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     男たちの奮闘    源氏物語たより694

  電車に乗ると、女性を好き放題に見ることが出来る。あれほどの見ものを一銭の賂(まいない)もなしに見ることが出来るとはなんと幸せなことだろう。電車に乗ると私の視線はまずは女性の顔に行く。目から鼻へ、そして口元、頬、顎などと這って行く。最近気になっているのがつけまつげである。やたらに長く黒々と鋭く尖っていて、あれでは自分の眼を刺してしまうのではないだろうかと心配しながら見ている。
  ここまで仔細に狼藉至極なことをしていても、誰からも咎められるということはない。

  ところが、平安時代の貴族の男たちは、女性の顔を直に見ることはできなかった。それが出来るのは、男、女が特別な関係、つまり夫婦関係にある場合だけである。親でも容易に嫁の顔を見ることはできなかった。

  結婚までの経過をたどれば概ね次のようになろうか。
  まずは「どこそこの姫様は・・」などという噂などによって女を知ることになる。そのために姫君お付きの女房たちは、栄養剤のコマーシャルのように姫様の誇大広告に精を出す。これでは顔も見ていないのだし、女の本性など捉えることはできない。
  それでも女房などを通じて消息のやり取りなどができるようになれば、その内容が女の教養や趣味や人となりを知る手掛かりになる。縁あって、男が女の家に行けるようになったとしても、始めは簀子(すのこ)に上げられるのがせいぜいである。
  さらに話が進めば、やっと廂(ひさし)の間に通される。しかし女と直接会話を交わすことなどはできない。女は母屋にいて、女房を介して会話するだけで、女房は天皇の言葉を伝える「宣旨」代わりである。
  その上、廂と母屋の間には御簾が掛かって、さらにその向こうには几帳があって女はその几帳の後ろに座っているのだから、顔など見えようがない。御簾だけだったらほのかにではあるが相手の姿を見ることが出来るのだが。
  一方、不公平にもこの時、部屋の中では、御簾越し・几帳越しに女や女房たちは男の品定めをしている。御簾を透かしてあるいは几帳のほころびから男を覗いて観察している場面が物語などによく出てくる。男のいる廂は明るいし母屋は暗いからそれが可能なのである。

  結婚の話が進んで女の家に通うようになったとしても、また閨を共にしたとしても相手の素顔を見ることはなかった。真っ暗闇での物言わぬ行為だったということだろうか(まさかそんなこともあるまいが)。
  通常、女の家に通い始めて三日目の夜、「露顕 (ところあらわし)」と言って、親族等を招いて婿殿のお披露目が行われる。これをもって正式に結婚が成立し、初めて婿殿の顔を見るのである(女はもその席には出ない)。
  「露顕」の「露」は、露見とか暴露などと使われるように、明確でなかった物・ことが「はっきりする、あらわになる」という意味で、婿殿を親族などにはっきりさせるという意味からきた言葉なのであろう。とにかくこの段階でも男、女は相互に顔を見ることはない。ただその後のことは二人に任されるのであろうから、初めて女の顔を見た時にどのようなドラマが待っているのかは私には分からない。

  光源氏も、末摘花のところに通うようになったが、彼女の顔を直に見るのはずっと後のことである。ある雪の朝、末摘花を明るい廂の間に導いて初めて彼女の容姿を見たのである。ところがその容姿は前代未聞のもので、驚嘆すべきドラマが繰り広げられる。
  『落窪物語』にもこのことに関する面白い話が登場してくる。この物語の主人公を「落窪姫」という。母を亡くしたこともあって、今では父・中納言の北の方である継母のところに身を寄せている。姫君はこの継母にあらん限りのいじめを受ける、いわゆる「継子いじめ」の典型的物語である。
  後にこの姫君と結婚した少将は、何とかして妻(姫君)の積年の恨みを晴らすべく、さまざまな謀(はかりごと)をする。その一つが継母の未婚の娘・四の君への意地悪い仕打ちであった。少将は
  「自分が四の君の婿になる」
と偽って別の男を身代りに立ててしまう。ところが、この身代わりがうすのろであるばかりか、格別の醜男(ぶおとこ)で、「おもしろの駒」と渾名されていて、皆の笑いものになっていた。少将の「身代わり」というよりも、まさに「当て馬」になったと言った方がいいかもしれない。とにかく、
  『色は雪の白さにて、首いと長うて、顔つきただ駒のやうに、鼻いららぎたること限りなし』
というお面相だったのである。「いららぐ」の意味は今ではよく分からないが、恐らく馬のように鼻が上を向いていてふうふう荒い息をする状態を言うのであろう。
  さて、四の君の所に通うようになって三日目の夜、恒例の「露顕」が催される。四の君の親たちはこの時初めて婿殿の顔を見た。なにしろ
  『火(灯火)のいとあかき』
下で見たのだから、全てが露骨に見えてしまった。親たちの驚き騒ぐさまは想像するだにあはれである。同席した連中も「あ、あのおもしろの駒だ!」、ということで大笑いになる。これで少将の報復の一つは叶ったことになるが、罪のない四の君になんというあざとい仕打ちをするのだろう。
  この場面を読むと、源氏物語の『末摘花』の巻はここから取ったのではないかといつも思ってしまう。ともに虐めが徹底していてその虐めが何とも凄まじくあざといからである。
  それにしても光源氏は、末摘花と幾夜かを同衾しているのだから、鼻が異常に長いことや、痩せ痩せであることがなぜ分からなかったのか、また落窪物語の四の君も二晩も閨を共にしているのだから、おもしろの駒の鼻息くらい分かったはずだ。どうもこれは不審なことで、平安時代の風俗にかかわる七不思議と言ってもよい。

  当時はこのような厳しい条件下にあったので、男が女に会うことやまして顔を見ることは極めて難しいことであった。
  それでは男はどのようにして女を結婚相手に相応しい人などと決めたのだろうか。
  まず彼らは、女の邸に招かれた時に、部屋の調度や飾り付けの具合などを品定めした。センスあるものであるか、男を迎えるに十分な配慮がなされているかなど、彼らの視線は動き回る。しかし、視覚で判断する点は限られている。そこで彼らは他の感覚を総動員する。香の塩梅はどうか、姫のいる母屋の中のけはいや姫の身動きや息吹、あるいは衣擦れの音などが聞こえぬか、と鼻を耳を肌をフル回転させる。

  光源氏の異母兄弟である蛍兵部卿宮は、玉鬘に恋をし、色好い返事(源氏が無理に書かせたものだが)がきたので、早速六条院に出かけていく。まず彼を感心させたのは香であった。
  『いと深く薫りみちて、かねて思ひしよりもをかしき(玉鬘の)御けはひを心留め給ひけり』
  香は誠に理想的な匂いを漂わせているではないか。この点だけでも自分を心からもてなそうとする気配が汲み取れる、と玉鬘を評価するとともに、「これは脈あり」と判断するのである。もっともこの香も源氏の宮の本性を暴いてやろうと言う企みで彼が心を込めて焚きだしたもので、玉鬘が宮に心を寄せていてそうしたわけではない。

  宮の場合はそればかりでなかった。源氏の宮を試そうとする目論見によって、彼女の姿を見ることまで出来てしまったのである。玉鬘が引っ込み思案になって母屋に隠れていたので、源氏は、妻戸口にいる宮の近くの東廂の几帳のところに彼女を導き出す。その時に、彼は几帳の帷子(カーテン)をさっと揚げた。と、
  『さと光もの(あり)。紙燭(しそく 灯火)をさし出でたるか』
と思われるほどに玉鬘のいるところが明るくなった。なんと帷子に包み隠しておいた蛍を大量に飛び出させたのである。そのために
  『一間(2,3メートルか)ばかり隔てたる見わたしに、かく覚えなき光のうちほのめくを、をかしと見給ふ』
ことが出来たのである。蛍の光りで「すらりとした女性」が横たわっている姿が見えた。何と優美な容態であることか、それはいつまでも見ていたいと思うほどに、宮の心を突き刺した。
  源氏の仕業とも知らずに、彼は玉鬘を見ることが出来た満足と、まともに受け答えしてくれない玉鬘への一抹の不満とを残しながら、夜深く自邸に帰って行く。
  こんな作りめいたことは通常起こりはしない。それに蛍の光りをいくら集めたとしてもほの暗い所の、しかも2,3メートルも離れたところにいる女性の容態が見えるとは思えない。
 
  この場面も完全に『宇津保物語』を写したものである。宇津保物語の蛍の場面も面白いので触れておこう。宇津保物語の主人公は藤原仲忠で、彼の母は琴の名手であり、世にも稀なる美貌の持ち主で、尚侍として朝廷に仕えている。
  帝は、日ごろから何とかして尚侍の顔を直接見たいものと思っている。ある晩、蛍が帝の前を数匹飛んでいるのを眼にして、
  「そうだこの蛍の光りで見てみることにしよう」
と何匹かを袖に入れる。しかし、あまりに少なくこれでは誠に心もとない。その様子を見ていた仲忠は、帝の意をそれとなく察して、水辺に出て蛍をたくさん集めて来る。それを帝は直衣の袖に包み隠して、
  『尚侍のさぶらひ給ふ几帳の帷子を(一番上の横木に)打ち掛け給ひて、ものなどの給ふに、かの尚侍のほど近きに、この蛍をさし寄せて、・・・さる薄物の御直衣にそこら(たくさん)包まれたれば、(尚侍が)残るところなく見』
えてしまった。帝のその行為を、尚侍は
  「何とも困ったことをなさる」
と笑って「随分情けない姿が見えたことでしょう」と自嘲の歌を詠む。
  情景は、源氏物語とほとんど同じであることが分かる。ただ、宇津保物語の方が帝のあどけなさに愛嬌があって、光源氏のような悪趣味がないので楽しい。

  とにかく帝であっても、尚侍の顔をさえ直接見ることが出来なかったのである。そのために彼らはさまざまな方策を巡らしてなんとしてでも女を直に見ようと奮闘する。その最大の手段が「垣間見」であった。源氏物語にも垣間見の場面は何度も出て来る。
  光源氏は北山で偶然紫上を垣間見る。あの時、源氏はこんな独り言を言っていた。
  『かかればこの好き者どもは、かかるありきをのみして、よくさるまじき人(女)をも見つくるなりけり』
  (私のようにたまの外出でさえ、このような素敵な女性(紫上)を見つけることが出来るのだから、供人の好き者どもがふらふら外歩きばかりして、めったに無いような素晴らしい女をしばしば見つけるというわけなのだな、・・それも垣間見あればこそか、フフ・・)
  『若紫』の巻のこの冒頭部分が、『伊勢物語』の第一段、業平が春日に狩りに出て美しい女姉妹(おんなはらから)を垣間見た話から得ていることはとみに知られている。平安時代の貴族の邸の塀や籬によく穴が開いているのも、好き者どもが便利上開けたものであろう。

  垣間見などしなくても、電車の中でいとも簡単に女性を見ることが出来る現代の我々男は、その幸せを再認識しなければならないだろう。
 



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