源氏物語

源氏物語たより48

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  桐壺帝は凡庸な天皇か  源氏物語たより48

 光源氏の父親である桐壺帝は、物語ではなんとなく優れた帝のような書かれ方をしているが、どうもよく分からない天皇である。


 桐壺帝は、源氏物語が書かれた時代を百年ほどさかのぼった醍醐天皇(在位897~930年)がモデルになっているといわれる。醍醐天皇は、従来賢帝と言われ、世の中がよく収まっていた時代ということで『延喜の治』と評価されている。醍醐天皇は、当初は優れた学者である菅原道真をよく用い、親政を行っていた。古今和歌集の編纂もこの天皇の時である。
 だから、桐壺帝が、醍醐天皇に比肩される人物だとすれば、相当の賢帝と言わなければならないのだが、その行動を見てみると、怪しいことが多い。

 先ず第一に、女御・更衣たちの扱い方が問題である。桐壷更衣ばかりを寵愛しているのだ。女御と更衣では身分が全く違う。女御には、大臣家または宮家などの娘がなるのに対して、更衣は、大納言以下の身分の娘がなる。大臣と大納言では身分上の隔たりは月とすっぽんほどの開きがあるのだ。
 したがって、帝は、まずは女御を尊重し、夜のお勤めもこちらを優先しなければならないということになる。更衣はそのお余りの愛をいただくのだ。
 にもかかわらず、桐壺帝は、大納言風情の娘・桐壺更衣を溺愛してしまった。このことについては、源氏物語の冒頭に描かれるところであるし、高校の教科書にも必ず取り上げられる場面であるから、日本人であれば誰もが知っているところである。
 『いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり』
 『時めく』とは、「時流に乗って栄える」ということであり、この場合は「寵愛される」ということで、桐壷更衣が天皇の愛を一身に受け、他に並ぶものがないということである。
 これはおきて破りである。天皇は私的な存在ではなく、公の立場にいるものだから、等しく妃たちを愛さなければならないのだ。更衣を、女御に優先して愛するなどというルール違反を犯せば、その報いは必ず来る。他の女御・更衣たちが、桐壷更衣に対して、さがない(意地悪で、いたずらで、手におえない)行為をしたのも、やむないことなのである。
 まして帝が朝政をもおろそかにしてしまったというのだから、周囲や上達部、殿上人などは、面白くないし、いろいろ謗(そし)るのもやむを得ないことである。

 桐壺更衣との間に子供(光源氏)ができると、今度はこの子を溺愛し、帝のそばから離さない。こうなると、第一皇子の母親である弘徽殿女御が、東宮の座が、光源氏に行ってしまうのではないかとカリカリするのも当然である。現に、帝は、光源氏を東宮にしたいものと考えていたふしがあるのだ。これが桐壺帝凡庸論の二番目の理由である。
 桐壷更衣は、身分的な問題があるだけでなく、その父は既に亡くなっていて、後見すべき人がいないのである。後見人がない者が東宮になっても、末は哀れな結果になるのは必定である。たとえ帝が心の中で思っただけだとしても、自ずからその思いは外に漏れ出し、弘徽殿女御を脅かすもとになるのだ。
 いずれにしても天皇にあるまじき惑乱である。

 桐壺更衣を亡くした帝は、悲しみのあまり茫然自失の状態に陥り、政をも顧みないほどであったが、新たに藤壺宮という女性が入内すると、今度はこの宮に熱を入れ始める。どうもこの帝は、女へのこだわりが強すぎるようだ。

 しかし、それにしてはその最愛の妻が、源氏と不義密通の仲になっていることに気が付かないというのだから、可笑しな話である。藤壺宮が里帰りをしている時に、源氏が忍んで行って、密通したのだ。
 しかも、二人の間に子供(後の冷泉帝)ができてしまったのに、これをも全く怪しみもしない。これが三つ目の桐壺帝凡庸論の根拠である。
 藤壺宮が、どれほどの期間里帰りしていたかは定かではないのだが、それでも自分の種であるかどうかぐらいは指折り数えれば分かるはずだ。のんきな天皇である。しかも生まれた子供を抱いて、こう言う。
 『御子たちあまたあれど、そこ(源氏)をのみなむ、かかるほど(幼い時)より明け暮れ見し。さらば、(源氏の顔が)思ひわたさるるにやあらん、いとよくこそおぼえたれ(冷泉帝が源氏に似ている)。いと小さき程は、みな、かくのみあるわざにやあらん』
 不義密通の男を前にして、「お前と実によく似ているなあ」と言うのだから、これはもう笑いを通り抜けてしまって、「愚かな!」というしかない。

 紫式部は、天皇というものに対して、なにか含むものを持っていたのかもしれない。
 醍醐天皇は、賢帝として後代尊敬されるのだが、多分に造られた面があるようである。天皇が漢学を尊重したことで、後代の漢学者たちが、これを祭り上げたと言われもする。事実、天皇は、賢臣である右大臣・菅原道真を守りきれずに、左大臣・藤原時平の讒言に乗って、太宰の権帥(ごんのそち)に左遷してしまう。
 その後、都には異変が相次ぎ、清涼殿には落雷があり、宮廷人が多く死傷した。天皇は、道真の霊と恐れ、そのあまり体調不良に陥ってしまう。さまざまの祈祷などをしたがその験もなく、道真の怨霊に引きずられて地獄に落ちたと言われる(俗言だが)。
 そういえば、源氏が須磨に流されていた時に、地の底から桐壺院がやってきて源氏の夢枕に現われる場面がある。
 『我は、位にありし時、あやまつことなかりしに、おのづから(罪の)犯しありければ、その罪終ふるほどに、(あの世に)いとまなく』
 生きている時は悪いことはしたとは思っていなかったのだが、いつの間にか罪を犯していたものとみえ、あの世ではその償いに忙しくしている、と言う。「あの世」とは地獄のことであろう。
 天皇ともなると、それだけで罪の犯しが多くなったり、いろいろな悩みが多くなったりするのだろう。ぼんくらでいるくらいがいいのかもしれない。ぼんくらには罪を犯す意志も気力もないのだから。桐壺帝は、醍醐帝には及びもつかない、凡庸な天皇であったようだが、それでも地獄では責め苦にあっている。天皇というくらいの難しさがしのばれる。
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