源氏物語便り

心揺するもの 日本の心 源氏物語語り

源氏物語たより621 

源氏物語

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     寝殿造の構造、使われ方  源氏物語たより621

  「源氏物語たより620」では、几帳の使われ方の不可解さについて触れた。これについてはいたるところで見ることができる。『空蝉』の巻を読んでいたら、あれこれ几帳に関する疑問が散見された。
  光源氏は、方違えの場所として紀伊守邸をと決め、そこに泊まることになった。その夜、たまたまやはり方違えのために紀伊守邸に来ていた伊予介(守の父親)の妻・空蝉と強引に契りを結んでしまう。源氏はその後も空蝉と逢うべく様々な方法を取るのだが、彼女は夫ある身として、それ以上源氏と関係することはしまいと頑なに源氏の誘いを拒否し続けていた。
  三度目の逢瀬(二度目は失敗)を謀った源氏は、彼女の部屋にこっそり忍びこむ。その時の様子がこう描かれている。
  『母屋の几帳の帷子を引き上げて、いとやをら入り給ふとすれど、みな静まれる夜の、(源氏の)御衣のけはひ、やはらかなるしも、いとしるかりけり』
  源氏は、几帳の帷子を引き上げて、こっそり女の所に入って行ったのだけれども、みな寝静まって静かなので、源氏の衣が品よく柔らかであるがために、かえって源氏であることが空蝉にははっきりして分かってしまう、というのであるが。
  ここで不可解なことは、源氏はなぜ「几帳の帷子を引き上げて」入って行かなければならなかったのか、ということである。前回も述べたように、几帳を避けるなり、どけるなりして空蝉に接近すれば、ことなく済んだはずなのに。1メートル少々の高さしかない几帳をもぐって入ろうとすれば、いくら源氏が絹の柔らかな衣を着ていたとしても、こそこそと品のある音がしてしまう。
  しかも彼は烏帽子を被っているのだ。烏帽子は彼らが常に着用していなければならない必需品であった。男子は成人すると、髪を束ねて髻(もとどり 丁髷のようなもの)を結った。この髻を他人に見せることは「露頂」と言って恥とされ、必ず冠(烏帽子など)を被ったのである(日本歴史大事典)。寝る時にも烏帽子を脱ぐことはなかった。
  柏木が重篤な状態に陥って臥しているところに、彼の友人・夕霧が訪ねていく。枕に頭を載せてだるそうに横たわっている柏木なのに、烏帽子はちゃんと着けている(国宝・源氏物語絵巻)。また、この源氏物語絵巻の『宿木』の巻では、六の君(夕霧の娘)と結婚した匂宮が、新婚三日目の朝、烏帽子を被って六の君を抱いているところが描かれている。彼は烏帽子を被ったまま六の君と夜を通して睦んでいたということである。
  源氏も当然烏帽子を被って空蝉の寝所に忍んで行ったのである。烏帽子は結構高さがある。この高さでは几帳の横木(手)にぶつかってしまって不都合極まりない。それなのになぜわざわざ「几帳の帷子を引き上げて」侵入していったのであろうか、さっぱり理解できない。

  ところで、源氏が最初に空蝉を犯した時の寝殿の構造やその使われ方、あるいは二人の位置関係もまた分からない。最初、源氏は寝殿の東廂に御座(寝床)を設えられる。なぜ最高貴人の光源氏が母屋に寝床を設えてもらえなかったのかも理解できないことなのだが(暑い時であったからより外に近い所ということであろうか)、とにかくこうある。
  『この北の障子のあなたに人のけはひするを』
  「障子」とは今の襖のことである。障子は、ふつう母屋の中を仕切るもので、その障子には、向こうとこちらにそれぞれ掛け金があって、隣の部屋から勝手に侵入できないように鍵がかけられるようになっている。
  さて、源氏のいる東廂から見て、北側の障子の向こうに女(空蝉)の気配がする、というのであるが、廂と母屋との間は、御簾か襖で仕切る。現代のように壁で仕切ることはしないので、この場合は襖で仕切られているのだろう。となると、「北の障子」とはどういうことになるのだろうか。位置関係が全く理解できない。
  とにかくどうもよく分からない状況の中で、源氏はもそもそと動き出す。
  『みな静まりたる気配なれば、掛け金を試みに開け給へれば、あなたよりは鎖さざりけり』
  源氏は東廂の寝床から起き上がって、母屋を仕切っている障子の掛け金を開けてみた。すると、なんということか鉤がかかっていない。もちろん源氏は喜び勇んで忍び込んでいったことは言うまでもないが、これも随分不思議なことだ。あの好色な源氏が同じ寝殿の廂にいることは分かっているのに、掛け金が掛かっていないとはどうにも納得がいかない。しかしこのことは今回の問題ではないので深入りはすまい。
  源氏は一人臥している空蝉を「好きがましきことなどはしない」と言いつつ、彼女を
  『かき抱きて障子のもと出で給ふ・・奥なる御座(おまし)に入り給ひぬ』
のである。空蝉を抱きかかえて自分の御座に連れて行って、心にもないことを並べたてては、ついに彼女を犯してしまう。
  さて、この「奥なる御座」がまた分からない。東廂は「奥」ではない。一番「外」に近い部屋である。ということは母屋の南側にも彼の御座が設けられていたということだろうか。そして、東廂に寝ていた源氏が、いつの間にかこの御座に移っていたということだろうか。もしそうだとすれば先ほどの「北の障子のあなた」の意味が納得できるのだが。

  それでは、三度目の逢瀬の場面にもう一度戻ることにしよう。ここにもう一つさっぱり分からない状況が出て来る。この逢瀬を計画したのは、空蝉の弟・小君で、彼は今は源氏と姉の間の使い走りとして奮闘している。源氏の「姉に会わせろ」というたっての願望を満たすべく、夕方、源氏を紀伊守の邸に引き入れ、まず源氏を東の妻戸(開き戸)に隠しておいて、自分は南側に回って、格子をどんどん叩いて、
  「この暑いのにどうして格子を下しておく!」
と騒いで、女房に格子を上げさせ、そこから部屋に入っている。格子は上・下二枚になっている(一枚の格子もある)から、女房はおそらく上の格子を上げたのであろう。夜でもあるので下の格子も外したとは考えにくい。とすれば、小君は下の格子をまたいで入っていったということになる。これはほかの場面にもよく出て来るのだが、そんなことが果たしてあるのだろうか。下の格子だけでも一メートルくらいの高さはある。まして夜でもあり、それをまたいで入るとは、一体どういう魂胆なのだろうか。わざわざそんな無理をしなくても、妻戸や遣戸があるのだから、そこから入れば簡単な話ではないか。平安人は不合理なことがお好きなようだ。

  これらの調度や家屋構造に関しては私が素人であるから、疑問ばかり出てきてしまうのかもしれないが、どの解説書を見ても、このことに関してはまことに曖昧な記述しかない。専門家でも分かっていないことが多いのではなかろうか。

  しかし、そんなことを知らなくても源氏物語の面白さは十分味わえることは確かである。三度目の逢瀬の時、空蝉に生絹(すずし)の単衣一枚を着て部屋から逃げ出されてしまう失敗や、それでもただでは起きない源氏の好色に対する執念は、「光源氏」ならではで滑稽である。
  実は空蝉の部屋に、この夜、軒端荻(伊予介の娘)がたまたま一緒に寝ていたのである。それを知らずに忍び込んだ源氏は、空蝉に逃げられた憤懣の代わりに
  『かのをかしかりつる火影ならば、いかがはせむ』
と思ってこの女と契ったのである。というのは、先ほど妻戸に待たされている間に、軒端荻と空蝉が碁を打っているところを、完膚なきまでに垣間見ていた彼の目に、軒端荻のふくよかな官能的な肢体は、舌舐めずりするほど魅力的に映っていたからで、
  「あの火影に見た女だったら、人違いしてもそれはそれで結構」
ということになってしまったのである。何とも呆れた果てた不徳の極みである。いずれにしても好色の天才・源氏の失敗と転んでもただでは起きない彼の執念のアンバランスが可笑しい。
 
  調度の使われ方や家屋の構造などが分からなくても、源氏物語はかくの通り面白く楽しむことはできるのだが、それでも、これらのことが理解できていたら、もっともっと生々しく臨場感を持ってその面白さや可笑しさあるいあはペーソスなどが理解できるのではなかろうかと思うと、当時の風俗に無知であることをいささか残念に思う。

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源氏物語たより620 

源氏物語

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     几帳が分からない   源氏物語たより620

  光源氏は、葵上の中有(ちゅうう)の四十九日の間、左大臣邸に籠りきっていたために、紫上には久しく会っていない。中有の喪が明けて二条院に戻って彼女を見てみると、大層美しく身づくろいしているので、思わずこう声をかける。
  「久しく会わなかった間に、すっかり大人びてしまったね」
  源氏は紫上を惚れ惚れと見ながら、
  『小さき御几帳ひき上げて見たてまつり給へば、(紫上が)うちそばみて(横を向いて)恥ぢらひ給へる御さま、あかぬところなし』
と心から満足するのである。

  ところで、この前半の部分
  「小さき御几帳ひき上げて見たてまつり給へば」
が分からない。とにかく当時の風俗の中で、家具・調度については分からない点が多いのだが、特にこの「几帳」については分からない。ある時、早稲田大学の中野幸一先生にこの点を聞いてみたことがあるが、
  「いや、几帳は分からないですね・・」
と言われただけで言葉を濁されてしまった。この時、国文学の専門家でも分からないのでは、私に分かはずはない、と実感した。

  几帳とは、方形の台(これを土居という)に二本の柱(足)を立て、その上に横木(手)を載せ、この横木に帳(とばり、かたびら~帷子)を垂らす。帷子は、四枚あるいは五枚の布を使い、それぞれを縫い合わせるが、その中途は縫い合わせないで置く。これを「ほころび」といい、その目的は良くは分からないが、とにかくこのほころびを開いては、彼ら(彼女ら)は、几帳の外側にいる人物を見たり、また外側から部屋の中のお姫様を覗いたりしている。だからいわば「覗き窓」のようなもので、そうするのがこのほころびの第一の目的なのかもしれない。
  本文には、「小さき御几帳」とあるが、概ね几帳には小さいのと大きいのがあったようで、小さい几帳は、高さが三尺(1m10㎝ほど)、大きいのが四尺である。横幅は、それぞれ五尺(2メートル弱)と六尺である。
  几帳の役割は、室内を仕切ったり中が見えないように隔てたりするものであるが、軽いので移動は自由にでき、部屋のどこにでも持ていける。風の強い時などには壁際に寄せて置いたりする。

  さて、几帳と言うものをこのように理解できたとしても、なお分からない点が多いのである。先の文章においても疑問はいくらでも出てきてしまう。
  まず、紫上が「美しく身づくろいしている」とか「すっかり大人びている」とかあるのだが、源氏はいつの段階でそう見たのだろうか。そもそも紫上は小さき几帳の向こう側にいるのだから、源氏にはまだ見えていないはずではないか。
  また「小さき御几帳ひき上げて」とはどういうことなのだろうか。帷子を引き上げて見たということであろうが、四枚の帷子は互いに縫い合わさっているので、「引き上げる」と全部がめくれあがってしまう。恐らく引き上げた帷子を横木に掛けておくのだろうが、帷子は横木からだらしなくだらりと垂れてしまい、誠に締まりがない。美しい人を見るのには不似合いな所作と言わなければならない。
  几帳の幅はたかが2メートルなのだから、横に回って見ればいいし、高さも1メートル少々しかないのだから、上から覗けば済む。それがはしたない行為だというのなら、几帳の機能の一つである「ほころび」を開けて見ればいいことだ。彼がそうしなかったのはなぜなのだろう。
  どうやらここにはルールが存在したとしか考えようがないのである。つまり几帳の上から覗いたり横に回って見たりしてはいけないという厳然たる決まりがあったということである。ただし、『紫式部日記』には、道長が几帳の上から紫式部に女郎花の花を一枝折って指し出し、覗いているところが描かれている。
  『橋の南なる女郎花のいみじう盛りなるを、一枝折らせ給ひて、几帳の上よりさし覗かせ給へり』
  道長がルールを破ったのか。

  そして、さらに大きな疑問は、源氏と紫上はれっきとした夫婦なのだから、今更几帳を隔てて対面しなければならない必要はないはずではないか、ということである。もっとも当時は兄妹でも姉妹の姿を見ることはできなかった。親でも容易には娘を見ることはできなかったのである。源氏が養女である元斎宮(梅壺女御、故六条御息所の娘)の姿を見たくてうじうじする場面が『薄雲』の巻にある。里帰りした梅壺が、几帳越ではあるが、源氏には誠に「柔和で優美に」感じられるのだが、その姿を直接見ることができないのをこう残念がる。
  『見たてまつらぬこそ、口惜しけれ』
  とにかく男が女性をじかに見るのは至難の業であったことは確かであるが、夫婦は別であるはずだ。特に二人の場合はもう結婚してから四年も経ち、この間、二人は夜ごと閨を共にしてきたのである。相思相愛の夫婦が几帳越しとは解せないことである。

  几帳や御簾越しに相手の容姿や人柄を偲ぶからこそ女性が美しく妄想されるのだろうが、とにかく几帳は分からない。
  いずれにしてもこの翌日のことである、源氏と紫上が、
  『をとこ君はとく起き給ひて、女君はさらに起き給はぬ朝あり』
と言う状況になったのは。几帳が、源氏の欲情をますます高める働きをしたのかもしれない。

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源氏物語たより619 

源氏物語

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     泣かせる光源氏   源氏物語たより619

  葵上の喪に籠っていて左大臣邸から一歩も出ないでいた光源氏だが、そろそろ四十九日の法事も近い。もうここから去らなければならない時期に来ている。そんな状況の時にしかるべき女房だけを集めていろいろ物語をしながら、こう言う。
  「この喪の間は、他のことに紛れることなく皆さんと馴染み親しむことができた。今更言っても詮無い妻の死ではあるけれども、妻が亡くなってしまった以上、なかなか今のように皆さんにお会いし馴れ親しむことはできなくなるであろう。そうなると耐えがたいことも多くなるだろうな」
  左大臣邸の女房たちはみな源氏贔屓ばかりで、彼女らの心の恋人である。源氏の言葉は彼女らの心に辛く耐えがたいものとして突き刺さる。
  『いとどみな泣きて』
次のように言うのだが、最後まで言いきれずにまた忍び泣くのである。
  「葵上さまの死は、心も裂ける程に悲しいことではありますが、それはそれ、宿命でございます。でも私たちにとって一番悲しいことは源氏さまがこのお邸からすっかりお姿を見せなくなってしまうことでございますわ・・」

  とにかく源氏の話し上手は格別で、今までも何人の女を泣かせてきたことであろう。鬼・神さえ源氏の言葉にはほろっとしてしまうほどなのだ。左大臣邸に来ても、妻の葵上とは背き背きの冷たい関係ではあったが、女房の一人ひとりにはここにやって来るたびに笑わせ泣かせしてきたのだろう。特に泣かせのテクニックは抜群で、あたかも歌舞伎の千両役者のようだったのかもしれない。彼の一言は女房たちの心をわしづかみにしてしまう。源氏が一言言えば笑みがこぼれ涙がこぼれるのだ。
  源氏の教養は深く知識も豊かである。それは処々で彼が繰り広げる弁舌によく表れている。音楽、絵画、書、香道、教育、人物評価・・どの分野をとってもいささか饒舌すぎる程に闊達自在である。しかし、教養・知識がいくら豊かであっても人の心をとらえることができるとは限らない。恐らく彼は、話の間や抑揚、あるいは具体の引用などに生得的な才を持っていたのであろう。そんな源氏が、匂うばかりの容貌で愛嬌たっぷりに話すのだから、聴く者は自ずから魅了されてしまう。葵上との関係はうとうとしいばかりに、源氏が左大臣邸を訪れることは少なかったのかもしれないが、彼がやって来るたびに女房たちは笑いそして涙に袖を濡らしていたのだ。
  その源氏が、いくらうとうとしい関係であったとはいえ、葵上が亡くなってしまったのでは、ここへのお出ましは極端に少なくなってしまうことは必定である。女房たちが
  「名残なきさまに(完全に)」
と形容したのはうべなるかなである。それに対して源氏はこう言って彼女たちを安堵させる。
  「「名残なく」はないでしょう。気長に構えている人は私がそんな男でないことはいずれわかってくれるはずですよ」
  しかしこれは単なる慰めに過ぎない。「夕霧」という葵上との間にできた子があるとはいえ左大臣邸を訪れなくなるのは目に見えている。だから源氏の一言に女房たちが涙にくれるのは当然のことである。

  そのうちの一人・中納言の君(源氏の召人)は源氏の態度を
  『あはれなる御心かな』
と思うのである。この場合の「あはれ」は「殊勝」という意味である。また召人とは「傍に召し使う女、侍妾」のことであるが、いわばご主人の愛人であり、性の慰め人である。もちろん妻ではないから身分的には何の保証もなく極めて不安定な立場にあり、男の愛が醒めればそれで終わるしかない。
  中納言の君が源氏のことを「あはれ」と思ったのは、正妻を亡くした源氏なのだから、今は全くのフリーで、今こそ葵上に遠慮することなく自分と情愛深い契りを結んでいいはずなのに、この四十九日の間、一切自分に手を付けようとしない、そんな源氏を「殊勝なこと」と感嘆したのである。
  彼女は、左大臣家の嫡男・頭中将の求愛をけって、たまのお出ましを心待ちにするほど源氏に魅かれていたのだから、源氏が「名残なく」ここにやって来なくなることは身を裂かれるほどに辛い。
  これから五年後、源氏は京を離れ須磨に流謫する身となる。須磨に流れて行くに際して源氏はしかるべきところをこっそり訪ねて回り別れを告げる。左大臣邸をも当然のことながら訪ねていく。ところがなんとこの夜は左大臣邸に泊まってしまったのである。最愛の妻・紫上が二条院にいるのだから、永の別れを前にして少しでも長く一緒にいたいであろう。それなのに左大臣邸に泊まったのは何故か、それは中納言の君との別れを惜しんだからである。そのことを語り手はこう言って皮肉る。
  『これにより泊まり給へるなるべし』
  「これにより」とは中納言の君がいるからということで、この夜の源氏の言葉がまた彼女を泣かせる。
  『また(再び)対面あらむことこそ、思へばいとかたけれ。かかりける世(流謫の身になること)を知らで、心安くもありぬべかりし月ごろを、さしも急がで(あなたとあまり逢わず)へだてしよ』
  今までもっとあなたと気楽に逢うことができた時には安心しきっていて、隔て隔てにしてしまったことが残念、と言うのである。中納言の君はものも言えずにひたすら泣くしかない。

  さて、先ほどの場面で、源氏はもう一人の人物を泣かせている。それは「あてき」と言う童である。左大臣邸で源氏がこよなく可愛がってきた童である。彼女には親はない。それが、女主人(葵上)をも亡くし、今また自分を可愛がってくれていた源氏が去って行く。そのあてきに源氏はこう言う。
  『あてき、今はわれをこそは、思ふべき人なめり』
  「葵上のいない今、私をこそ頼りとすべき人(親)と思いなさい」という意味である。源氏が今後ここにやって来ることは少なくなるであろうが、こう言われれば源氏を頼りにして我慢して待つことができる。あてきは
  『いみじう泣く』
のである。
 
  源氏物語には「泣く」場面が多い。それが嫌だという人もいる程である。しかし「泣く」とはどういうことであろうか。人との別れや死、あるいは不如意な思いや特別・殊勝な情況や愛しい事象などに直面した時に、胸を締め付けられ、しみじみとした感情が思わず涙を誘うのではないか。それがまさに「あはれ」なのである、源氏物語の主題であるこの「あはれ」は、涙とともにあるのだ。だから、源氏物語は「涙の系譜」と言っていいかもしれない。冒頭の『桐壷』の巻は、帝と桐壷更衣の死別の涙に始まっており、最後の『夢の浮橋』の巻は、浮舟のこの世との別れ・母との決別の涙に終わっている。  
  光源氏とは、その涙を宿命的に背負わされた人物なのである。

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源氏物語たより618 

源氏物語

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     『紐ばかりを』   源氏物語たより618

  葵上の正日(しょうにち 四十九日)までの間、頭中将は、光源氏の部屋にしばしば慰めにやって来ていた。時雨が降る今日もやって来た。源氏は
  『しどけなう、うち乱れ給へるさま』
をしていたが、
  『紐ばかりをさしなほし』
なさる。直衣の襟の紐を外すのはくだけている時だけで、正式には許されないことなのである。二人は若い時からこよなき遊び仲間で、管弦や学びの折々にはいつも一緒に連れ立っていた。いわば良き遊び相手であるとともに良きライバルでもあった。そんな関係にある二人でも、くだけた姿で対応しては失礼に当たるのだ。源氏は臣籍に下っているとはいえ天皇の子、頭中将よりもはるかに身分は上である。それでも源氏の方が「襟の紐を指し直し」て応対するのである。現代では考えられないことである。
 
  ところで、この「紐」とは、狩衣、直衣、束帯などの装束の袍の頸の部分についている紐のことで、結び玉にした雄紐と輪にした雌紐があり、正式の場では、この雄紐を雌紐の輪に差し入れて止めておかなければならない。袍の襟は「円領上頸(まるえりうわくび)」で、現代の「詰襟」と言ったところである。学ランの襟を思い出せばよい。学ランが正服の学校では、朝会や卒業式などの時には襟のホックをきちんと止めておく。それと同じようなものと考えればいいだろう。もっとも今ではホックをきちんと止めている生徒などは少ないようで、一番上のボタンさえはずしていて、誠に「しどけない」姿をしている生徒が多いが。

  『常夏』の巻にも、この「紐」が登場する。大層暑い日、源氏の所に若い殿上人が大勢集まって来て、釣殿でお酒を飲みながらの宴が設けられた。彼らは、大騒ぎしながら氷水(ひみづ)を飲んだり水飯を食べたりする。源氏は無礼講であるからと言って、物に寄り臥しリラックスしながら、若い連中にこう言う。
  『宮仕へする若き人々、(この暑さには)耐へがたからむ。帯・紐解かぬほどよ』
  「宮仕えしている若い人々は、こんなに暑い日でも帯や襟の紐を解くことができずに大変なことであるなあ」と同情したのである。恐らく彼らは、太政大臣(源氏)の前であるから、頸の紐も指したままであったのだろう。源氏は続けて
  「せいぜいここだけでも、気楽に寛いでくれたまえ」
と言っているから、彼らは一斉に「紐」を外したのかもしれない。

  政務のために参内する時には、束帯でなければならない。束帯では、一番上に袍を着、その下には半臂(はんぴ)や下襲を着る。さらに腰には石帯を締め飾り太刀を吊るす。これを「朝服」と言うが、想像しただけで汗が出て来る。ただし大臣の公達や三位以上で特に許された者は、直衣でも参内できる。若い連中は当然直衣は許されないから束帯で、いつも襟の紐をきちっとさしておかなければならない。源氏はそういう若い殿上人に対して
  「この暑いのに気の毒なことよなあ」
と同情したというわけである。
 
  現代では宮仕えする人も随分気楽な服装になってしまって、特に「クールビズ」などと言って、夏の間はネクタイをしなくていいばかりか、半そで・開襟という打ち解けた姿をしている。国会議員さんでさえそうしている。しかし、いざ大事な人との面会のための外出ともなれば、どんなに暑い日でもネクタイと背広は欠かせない。その意味ではあまり変わっていないのかもしれないが、束帯の袍は体全体を完全に覆ってしまっているので、いかにも窮屈で暑苦しそうである。背広は襟が大きく開いているので、風通しも良い。京の夏は格別に暑いと言う。あの束帯を着て政務に励んでいる様子を想像すると、それだけで汗が吹き出てくる。
  
  それにしても、袍の襟の雄紐・雌紐という誠に些細な事象に目をつけ、それによって緊張と弛緩という状況を創るりあげる作者の筆法には毎度のことながら感嘆するしかない。ごく日常的なことによって物語に厚みと深みを添え、それに何よりも真実性を生み出しているのだ。

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源氏物語たより617 

源氏物語

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     葵上の死 ~その際の源氏の真情~ 源氏物語たより617

  昨年の暮れに痛めた腰が未だ回復せず、パソコンの前に座るのもつらい。最近少し良くなってきたと思っていたら、今度は膝の具合が悪い。腰をかばって不自然な歩き方をしていたために膝に来てしまったのだろう。年老いるとは悲しい現実である。留めようがないのだから。
  光源氏が、正妻の女三宮を柏木に凌辱(りょうじょく)されたと知った時の、彼の屈辱はいかんともし難いものがあった。准太上天皇としての誇りも名誉も一気に頽(くずお)れ去ってしまったのだ。
  朱雀院の五十の賀の試楽の日、源氏に会わせる顔もなくやつれた様子で六条院にやって来た柏木に向かって、彼は冷徹にこう言い放つ。
  『すぐる齢にそへて、酔ひ泣きこそ留め難きわざなりけれ。衛門の督(柏木のこと)心留めてほほ笑まるる、いと恥づかしや。さりとも(そうはいっても若さは)今しばしならむ。さかさまに行かぬ年月よ。老いはえ逃れぬわざなり』
  「老いはえ逃れぬわざなり」は、まさに最近の私の実感そのものである。生・老・病・死、いずれも人にとっては苦の本源で、できることなら自分の身に降りかからないでほしいものだが、「さりとも」避けることはできない悲しい事実である。「生」は、人が産道から生まれ出る時の苦しみだというのだが、私は「生きていること」そのものが苦しみの連続であるというふうに解釈している。その生の中に我々は老・病・死の危機をいつも抱えているのだ。
  この四つの苦しみは、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦(求めても手に入らない苦)、五蘊盛苦(ごおんじょうく)の四つと合わせて「八苦」と言われる。これらの苦が一斉にやって来るのが「四苦八苦」である。でもやはり先の四苦こそ、万人の最大の嘆きではなかろうか。まして、源氏のようにいくつになっても若く美しく、栄誉を尽くした人にとっては「老い」ほど怖いものはないであろう。
  ただ、今の私の心境をありのままに言えば、「死」はさほど怖いものではない。死に至るまでの老いと病が怖い。老いと病を経ずにあの世に行けたらと思っている。

  葵上は、夕霧を生む時に亡くなる。まだ二十六歳の若さである。源氏は、彼女と心を割って馴れ親しむ関係にはついになれないままで終わってしまった。彼女が重く患っていた最後の最期に、美しい姿で横たわっている彼女の手を握って、優しい言葉を掛けた時だけが、わずかに二人の間に情の通じ合った時と言っていいだろう。その時の彼女の姿がこう描写されていた。
  『例はいとわづらはしく恥づかしげなる御まみ(目つき)を、いとたゆげに見上げてうちまもり聞こえ給ふに、涙のこぼるるさまを見給ふは、いかがあはれの浅からん』
  「まもる」とはじっと見つめることである。またこの場合の「あはれ」は「情愛」の意を表す。「どうして葵上に対する情愛が薄いことがあろうか、愛しくてならない」と言う意味である。妻の死を直前にした源氏の情である。
  この後、小康を得た葵上は夕霧を出産する。ところが、「これで安心」と油断した源氏や彼女の父・左大臣や兄弟もこぞって参内してしまった時に、葵上は
  『たえ入り給ふ』
てしまうのである。

  彼女の葬儀の帰り、八月二十日余りの有明の空をしみじみと眺めやりながら、源氏は悲しみの歌を詠む。
  『のぼりぬる煙はそれとわかねども なべて雲井のあはれなるかな』
  鳥部野で火葬にされた葵上は、煙となって空に昇って雲となって行った。今その空を見上げても、どれが葵上の雲であるかは、はっきりと見分けることができない。が、あの空井のすべての雲が葵上と思われてきて、愛おしくてならない、と言う意である。
  左大臣邸に帰っても露も眠ることができず、日ごろの葵上の様子を偲び、また彼女に対する今までの自分の対応を深く反省する。
  「いずれは私の本意を分かってくれる時があるだろうと、暢気に構えていたことが、返す返すも悔やまれてならない。いい加減な浮気のことで彼女に辛い思いをさせてしまった、結婚以来、私のことをうとうとしい者、気恥ずかしい存在と終生思わせてしまった」などなど彼の反省は尽きることがない。そして
  「今さらいくら嘆き省みても始まらない。いっそのこと自分が先に逝ってしまえばよかった」
とさえ思うのである。悲痛の限りの反省と言っていい。

  さて、この源氏の反省は本心からのものであろうか。日ごろはあれほど疎々しい夫婦関係で、偶に逢えば冷たい皮肉や刺々しい言葉の交換に終始していたのだ。夕霧が生まれたこと自体奇跡のようなものである。そんな妻に対して「自分の方が先に逝けば・・」などと思えるものであろうか。源氏はとかく言葉が達者で、心にもないことを平然と言い放ったりしてきた。特に女を口説く時などは「鬼神さえ聞き惚れてしまう」ような甘やかな言葉が迸(ほとばし)り出たものである。そんな彼の反省と思うとつい「本心?」と思ってしまうのだが。
  しかし、これ以降、四十九日の喪が果てるまでの源氏の挙措を見ていると、「本心」と言わざるを得ないものがある。彼は、この四十九日間、一歩も左大臣邸を出ていないのである。まして彼の本業のような好色ごとには寸分も心動かすことがなかった。また愛しくてたまらない紫上がいる二条院(自邸)にさえ戻っていないのである。これは単に葵上に対して冷酷であったことに対する反省からではないと思うしかない。
  人は、「死」と言うものに真向かうと本性がむき出しになるもののようである。「四苦」の中でも死はとりわけ人に真情を吐露させる作用を持っている。それは血縁の死に限らない。雪崩で十六歳、十七歳の高校生が八人も亡くなったと言うニュースなどに接すると思わず心が痛み、彼らの親の慟哭に熱いものがこみ上げてくる。それが人の本然の姿だからであろう。まして血縁の場合の嘆きは深い。日ごろはそれほど親しくしていたわけでもなく、あるいは疎い関係であったとしても、同じである。亡き人に対する過去のあれこれが自ずから心に浮かんでくるから、涙が止まらないのだ。「死」とはそういう作用を持つものである。同じ別れでも「生別」は、いずれまた会うことができるという思いがあるから、悲しみは死ほど深くない。
  源氏の場合は、夫婦だというのに、馴れ親しむこともなくつれない関係のまま、死と言う絶対的な状況に陥ってしまったからこそ、思いは複雑になり嘆きは深くなったのだ。

  葵上の四十九日が果てて、源氏が自邸に帰った後、左大臣が彼の部屋に入ってみると次のような二つの歌が残されていた。
  『亡き魂ぞ いとど悲しき 寝し床のあくがれがたき心ならひに』
  (共にした床を離れがたく思うにつけても、亡き人のことがいっそう偲ばれる   新潮社 円地文子訳)
  『君なくて塵つもりぬるとこなつの露うち払ひいく夜寝ぬらむ』
 (あなたのない床に、いく夜涙を払って一人さびしく寝たことだろう  同)
  この歌を見た左大臣と葵上の母・大宮は
  『御声もえ忍びあへ給はず泣い給ふ』
のであった。
  私は、かつてはこの二つの歌を、源氏お得意の、心のもない空言と思っていた。そればかりか、左大臣がやがてこの歌を見るであろうことを計算した源氏の謀りごととさえ思っていた。何しろ二人は「床を共にしたこと」などほとんどないはずだからである。
  しかし、今はそうは思わない。この歌は源氏の本音である。死は人を変えてしまう力を持っている。それは葵上の兄・頭中将さえびっくりしていることでもよく知ることができる。頭中将は、日ごろ源氏が、妹の葵上とは疎い関係であったのに、この四十九日の間の、葵上の死を深く悼む姿を見て
  『あやしう、年ごろはいとしもあらぬ御心ざしを』
と驚いている。「いとしもあらぬ」とは、それほど愛し合う関係ではなかったのに、ということで、死は、人の気持ちを変えてしまうほどに強い作用を人に及ぼすのだ。

  しかし、「年月はさかさまにいかぬもの」であるとともに、過去を洗い流すものでもある。年月は、死の悲しみをさえ忘れさせてしまうと言う怖い作用も持っている。もっともそれだからこそ、源氏物語は面白いのであって、源氏がいつまでも葵上の死の悲しみにうちひしがれ、その死に拘泥し続けていたら、朧月夜も出てこないし、明石の君も存在しなくなる。死以上に怖いものは変化する人の心と言えなくはない。

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